※妖怪の高尾と人間の女の子


百人いたらその内の九十九人に含まれるような極々平凡な16年を送ってきた。ドラマの中では通行人Aの立ち位置で、とてもじゃないがカメラのピントが定まるような人間ではない。そんな世の中に五万といる平々凡々なグループの一員である名前の人生に、ある種のスパイスを加え、見える世界をボール三個分ほどズレたものにしてしまったのは今年の夏のとある一日。父方の祖父母宅には古めかしい蔵があって、前々から整理したがっていた祖父の願いで名前は一家総出で片付けに駆り出された。諭吉を一枚、目の前でひらりとされては断るわけにもいくまい。それに加え、結構な昔から建っている蔵だから、良い値がつく骨董品があるかもしれないとまで言われれば、断る理由などそこにはなかった。こういう時に稼いでおかないと学生は辛いのだ。そうやって諭吉につられ、断る理由を見つけられなかったから現状はこうなのだと、もう何度も最早意味の無い説教を自分にした。過ぎた好奇心は身を滅ぼす。名前は問題が起こった今になってその言葉を痛感している。
その日、意外と涼しい蔵の中で蒔絵が施された漆器の小箱を見つけた。祖父の許可も取らずに開けてしまったその中に、丁寧に包装された札のような紙が一枚あった。それには中央に何か生き物のようなものを描いた絵があり、その周りに達筆な文字でいろいろと書き込まれていた。雨にでも濡れたのか、ところどころ滴が落ちたように文字が滲んでいる 。草書体で綴られた文章は、文字が滲んでいなくとも名前には読めるものではなかっただろう。ただ、そんな文字の中にも一つだけ彼女が認識できるものがあった。

「たか、お…?」

たかお。高尾。ちょうど絵の下に書かれたその文字だけは読み上げることが出来た。その瞬間に名前の常識は180度回転して、見える世界も以前とは異なるものになった。妖怪、幽霊、お化け、エトセトラ。そんな非科学的で非現実的なもの、本やテレビの中にだけ現れる空想上のものだと思っていた。今でさえ、そうであると自分に思い込ませている。けれど、名前の目の前にいる男がそんな彼女の細やかな願いさえ、その存在一つで否定してしまう。高尾。名は和成と言うらしい。数百年ほど眠っていた高尾和成(年齢不詳)は、黒く大きな鳥類の翼を背にもった妖。所謂天狗、もっと正式に言うと烏天狗だった。

天狗なんて、それこそ昔の人間が勝手に作り上げた想像上の生き物だ。現実に居てたまるものか。そう思って目覚めた朝一番に見る顔がその天狗さま、と言う生活も来月で三ヶ月を迎える。せっかく自由になったのだから、何処へでも好きなようにその立派な翼で飛んで行ってくれれば良かったのに、何を思ったのか、あの日から高尾和成は名前のそばで生活を始めた。普段はやたらと賢い九官鳥に化けて名前の家でそれはもう可愛がられ、彼女の前では天狗さま、外に出る時は翼をしまい込んだ人の姿に化ける。寝ても覚めても天狗さまがそばにいる日々。いい加減、高尾和成がいる生活にも嫌でも慣れてきてしまった。それに、天狗さまは名前が想像していたような妖ではなかった。映画とか本とか、特に妖怪もののアニメに出てくる尊大で意地の悪い天狗ではなかった。彼は良い意味でお喋りだった。気さくで人懐こい性格。お喋り上手で気遣い上手。面白いことと目新しいものに興味を惹かれる、好奇心旺盛な子供みたいな人。名前の前でだけ見せる、背に翼を持った天狗さまの姿とは違って、可笑しなくらい人間臭い妖だった。
天狗さまは昔から人間の観察をするのが好きだったのだと以前話してくれた。そして、人里におりては人間を揶揄うのが一等好きだったとも言っていた。だろうな。まだ付き合いの浅い名前でも、一拍おくことなくそう思った。暗闇とか恐怖とか、明るいイメージとは正反対のところにいる妖の類なのに、お茶目で何処か憎めない天狗さまは、ここ最近一人でふらりと出歩いては昔のように現代の人間や文化などを学ぶのに夢中だ。今朝もご丁寧に名前を起こし、彼女が支度を済まして家を出るまで見送ってから自分も探索へと向かっていった。きっと、今日も図書館に入り浸り、飽きたら商店街をふらふらと回っているのだ。以前、商店街に二人で買い出しに行った時の、当たり前のようにおばちゃん達に声をかけられ、愛想を振りまく天狗さまには度肝を抜かれた。どこでそのコミュ力を培ってきたと言うのだ。つい一月前まで蔵で数百年も寝ていたのではなかったのか。そして、気づけば名前の彼氏と言うことになっていたのだから、いい迷惑だ。何の冗談だと、否定しようとした言葉は天狗さまに遮られ、それにも負けず何とか口にした真実は照れ隠しと取られる始末。それはそれは愉快そうに輝く瞳とは裏腹に、恥ずかしがり屋の彼女をちゃんと理解している良き彼氏を演じて、おばちゃん達と話す天狗さまには勿論あとで物理的反論をしてやった。妖の恋人なんて真っ平御免である。

「おかえりー」

そんな茶目っ気たっぷりの天狗さまはいつも校門から少し歩いた場所で帰路に着く名前を待っている。ひらひらと手を振って、人好きする笑顔を浮かべるこの好青年を誰が妖だと思うのだろう。名前はぺこりと頭を下げる。そして、少し駆け足で天狗さまの元へ行く。そうすれば途端に口角を緩めるものだから、待てを課していた愛犬に尻尾を振られている気分になって、名前も表情を崩して素直に「ただいま」と口にしてしまう。天狗さまはどんなに出掛けるのが億劫になる天気でも、名前が学校へ行く日は必ず出掛けて、頼んでもいないのに迎えに来てくれる。だから余計に商店街では彼氏と位置づけられ、学校でも名前は他校の彼氏持ちと勘違いされるのだ。いい迷惑!と口では言いつつも、悔しいかな、天狗さまはそれなりに身長もあって顔も整っているものだから、彼氏ではないけれど隣を歩く時は少し優越感を感じる。それに、彼と話しながら帰る時間は楽しい。帰り道、天狗さまはその日知ったことを名前に面白おかしく話してくれる。物語を読み聞かせるように、聞く側を話の中に引き込む術を彼は熟知している。だから、名前が当たり前に知っている常識的なことでさえ、彼が話すと聞き入ってしまうし、新しいことを知った彼の表情はいつもより少し無邪気で楽しそうで好きだった。また時には、名前の知らない色んなことを覚えてきては驚くほど分かりやすく教えてくれる。天狗さまは頭の良い妖だった。知識をひけらかす嫌味なインテリとは違い、物知りなおじいちゃんのように優しい口調で話して聞かせてくれた。高尾和成は優しい。人付き合いも上手く、人成らざる力があって、頭も良い天狗さまがどうして、と疑問に思ってしまうくらい彼は名前に優しかった。
天狗さまはいつも名前の右隣を歩く。名前が何かにぶつかりそうになる前に彼女の肩を引いたり、足元に何かあれば彼女が気づくよりも先に教えたり、それを退かしたりする。そして、いつも色んな話題で彼女を楽しませる。そこら辺の恋人達の彼氏なんかより、ずっと立派な彼氏だった。きっと、たぶんこれが理想の彼氏像だ。名前はそう思う。天狗さまとそうなるつもりは到底無いし、揶揄っておばちゃん達の前で彼氏面をしても、実際に彼だって名前にそんなアプローチをかけていたことは未だかつて一度もない。だから、名前と天狗さまの奇妙な同居人関係はこれからもきっと平行線のまま交わらないで終わるだろう。それでも、自然とこんなことが出来てしまうのだから天狗さまは恐ろしい。名前の頭には収まり切らないほどの知識を有している彼は、女の子を落とすテクニックなんて当たり前に知っているのだ。
天狗さまは今日も今日とて面白おかしく本日の成果を話す。今日は日本の現代文化について学んできたらしい。天狗さまが眠りにつくまでに生きていた時代と今は信じられないくらい違う筈だ。けれど、そこに戸惑うどころか楽しみを見出す天狗さまは丸太よりも図太い神経をしているに違いない。まだ出会って二ヶ月とちょっとしか経っていないが、名前は高尾の憂いを帯びた寂しそうな顔など一度も見たことがなかった。

「今日はハロウィンなんだろ?」
「はぁ、まあそうですね」
「じゃあ、言うべきことは一つだよな!」

天狗さまは、ウキウキ!と擬音が見えてしまいそうなほど楽しそうにそう言って名前の一歩前で立ち止まり、振り返る。彼はお祭り事が大好きだ。以前、名前の部屋にある少女漫画を読んでいた彼に、クリスマスについて説明を求めれたことがある。仏教徒ではあるが篤い信仰心がある訳でもない名前は、自分の宗派すらよく分かっていないのにキリスト教のことなんて分かるはずもなく、正しいクリスマスの知識を教えることは出来ないので、とりあえず日本版クリスマスについて軽く話してあげた。きっと天狗さまのことだから、次の日には図書館にでも行って正しい知識を蓄えただろうが、名前が話した夕食がちょっと豪華になって、ケーキが出て、子供はサンタさんからプレゼント、街もイルミネーションでキラキラしだす、と言う信仰心の欠片もない日本のクリスマスを彼は本気で楽しみにしている。商店街のそれなりに頑張って電球で飾り立てた様を見に行きたいのだとか。そんな天狗さまだから、あまり日本では大々的に取り上げられないハロウィンでも気になって仕方ないのだろう。子犬のような目で天狗さまは名前の言葉を待っている。高校生にもなって、今までまともに参加したことのない行事に乗っかるのはちょっと気が引けたが、目の前で楽しそうにしている高尾を見れば、そんな小さなプライドなどどうでもよくなってしまった。大概、名前も天狗さまに甘い。

「トリック・オア・トリート」

言葉と共に勿論手も差し出す。聞いて欲しいと自らせがんだのだ。用意していない訳がない。

「ん!それじゃあ、トリートなっ!」

くるっと右手を回転させると、彼の手にはジャック・オー・ランタンの絵がプリントされたセロファン紙に包装されたロリポップが握られていた。例えばこれをクラスの友人がやって見せたなら、名前はマジックだと思って凄い凄いと騒いだだろう。けれど、相手は天狗さまだ。奇術とは訳が違う、人成らざる力によるものだ。現にロリポップを名前に手渡すと、次から次へと新たにハロウィン風に飾られたお菓子を出してくる。南瓜のマフィンにハロウィンに因んだ形のクッキー、チョコレート。いったい何処で手に入れたのだろうか。最後に取り出した紙袋を満杯にするほどのお菓子の量と、それを何処からともなく取り出してみせた天狗さまの力に、彼女は目をパチクリさせて驚いていた。まさか、ここまでするとは思っていなかった。今だに言葉を発せない名前の姿に満足気な笑顔を浮かべ、天狗さまは言う。

「帰ったら一緒に食おうぜ」
「え?あぁ、はい…。じゃあ、いただきます」
「ぶはっ!驚きすぎだろ!」

驚くに決まっている。少なくとも名前にはこんな芸当できやしない。それに、マジックには何かしらタネがあるが彼の場合はそんなもの存在しない。強いて言えば天狗の力。人にはない、妖だからこそ成せる技だ。

「今度はこっちの番な。トリック・オア・トリート!」
「え?こんなに持ってて私にたかるの?」
「えー。せっかくの祭りなんだから、貰う側にもなりてぇじゃん?」

ほら、ねぇの?左手をいくら目の前に差し出されても無いものは無い。普段お菓子を持ち歩く習慣はないし、ハロウィンだからと言ってお菓子用意しておくほど日本ではメインの行事ではない。そんなこと、物知りで知識欲旺盛な天狗さまなら知っている筈なのに強請ってくるなんて、それはちょっとズルいのではないか。トリック・オア・トリート?お菓子か、悪戯か?そんなのお菓子をあげて御役御免と成りたいに決まっている。でも、肝心のお菓子は手元にはない。確信犯め。ムッと眉間に皺を寄せて、名前は天狗さまを睨らみつけてやる。いったい何をするつもり、またはさせる気なのか。自分に優しくすることで、どんな利があるのかと聞きたくなるくらい高尾は名前に優しいし、今まで軽く揶揄われることはあれど、彼に恐怖を抱いたり本気で嫌がったりするようなことをされたことはない。それでも楽しいことと悪戯好きの天狗さまだ。何より高尾和成は妖だ。もしかしたら、いつもより少し質の悪いことをするかもしれない。人慣れしていない野良猫みたいに警戒する名前を意に介すこともなく、高尾は相手が拍子抜けするほど無邪気に笑った。右手に先程の紙袋を持って、空いてる左手で名前の右手を握る。反射的に強張る名前を落ち着かせるように、いつもより一層優しく笑って、高尾はそっと控え目に手を引いて歩き出す。

「お菓子をくれない名前ちゃんは、今からオレの寄り道に付き合ってもらいまーす」
「そんなので、いいの?」
「それがいいんだよ」

警戒した自分が馬鹿らしくて、同時に恥ずかしかった。少しでも高尾和成を疑ったことが恥ずかしくて仕方なかった。出会ってからずっとこんなに優しいのに、それに応えられてない自分が情けなく感じた。一等優しい声で、表情で、手で名前と向き合ってくれる。胸が暖かくなって、少し速めのテンポを刻む。高尾の手の平は名前のそれをすっぽりと包み込めるほど大きくて、彼女より体温が高かった。高尾和成の人柄そのものだった。
天狗さまはゲームセンターに行きたいと宣った。前々から、ずっと行きたかったそうだ。今日までの間に行ける機会は沢山あっただろう。それでも、わざわざハロウィンに乗じて誘ってくるということは、名前と行くと決めてこの機を待っていたのだろう。そう思うと、自分よりも何百年も生きて多くのことを知る妖が、とても可愛らしく感じてしまう。自然と名前から笑顔が溢れる。繋がれた手を控え目に握り返すと、同じくらいの力でまた握り返させる。まだ天狗さまがいる生活を全て受け入れられている訳ではないけれど、こんな風に名前は一日一日を通して彼を知っては人として好意を覚えていく。意外と人間臭い彼の良き友人になれたらいいと最近思うようになった。だって、高尾和成は良き妖だから。お前は良い人間だな、と笑ってもらえるように成れたらいい。ちらりと振り向いた高尾と目が合う。真っ直ぐ見つめ返して、いつもよりも柔らかく嬉しそうに名前は笑う。その笑顔に少しだけ頬が赤らんだ所を見せてしまったのは、高尾の順調だったハロウィン計画の唯一の失敗だった。


いぢらしい生き方にこうべを垂れた

Title by ダボスへ
2013 Happy Halloween!!



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