特別に気配や視線に敏感と言う訳ではないのだけれど、高尾から向けられるものならば名前は直ぐに気付ける自信があった。さり気ないものや気付かせることを意図したものの区別なく、彼が関わるものは取りこぼすことなく反応することができた。それは、唐突に彼にくいっと手を引かれたり、自身の名前を呼ばれたりしたような、そんな感覚。実際にそうされてはいないから、その不確かな感覚と言うものはただの錯覚だ。それでもその錯覚に陥って振り返れば、必ず名前の視線の先には彼女を見つめる高尾がいた。これは決して偶然や自惚れた過信などではない。歴とした事実としてそこにあった。現にお昼休みの教室でお互い離れたところにいる今も、高尾だと思って振り向いた先にはやはり彼がいるのだ。見えない手で袖を引かれ、聴こえない声で名前を呼ばれているような気分。そうやって、まるで以心伝心しているように相手に気が付くことができるのは、自分が高尾のことをよく気にかけているからなのだろうと名前は思う。いつも意識の何処かしらに高尾の存在があるから、小さな、それこそさり気なく向けられるようなちょっとした視線や、傍に来てくれた時の気配にも敏感になるのかもしれない。なんて、そんな恥ずかしいこと、自覚はしても名前は絶対口にはしないけれど。
逆のパターンもよくあった。授業中、後ろの席からちらりと盗み見た時に狙ったように名前の方を見てくれたり、偶然見つけた後ろ姿を追いかければ、声をかける前に気づいてくれたりする、なんてことにもよく遭遇している。それは、後ろにも目があるんじゃないかと疑いたくなるくらい、驚くほど広い彼の視野のおかげなのだろう。それでも、そこに自分と同じ理由があればいいなとも思う。自分が高尾のことを頻繁に気にかけてしまっているように、彼もまた同じくらいとは言わなくとも自分のことを気にかけていてくれたら、これほど嬉しいことはない。その真意は気になるところだけど、どうなの?なんて、本人に聞くことは自分のことも話さなければならなくなるだろうから、聞くつもりは毛頭ないけれど。ただ、高尾は一度自身の懐に入れた人はずっと大切にするような人だから、自分の予想はあながち間違いじゃないのではないかとも名前は思う。これは流石に惚気とちょっとした自惚れだ。

(たーかーおー)

心の中で名前を呼んで、自分を見ている高尾に向けて小さく手を振る。机にだらしなく身体を倒し、左腕を枕にして顔だけを此方に向けた状態のまま、ひらひらと高尾も小さく右手を振って返してくれる。そんな力の抜けた動作でも、ちゃんと反応を返してくれたことが嬉しくて頬が緩む。すると、名前と同じように高尾も表情を崩す。こうやって目が合うその度に、高尾はいつも切れ長の目を柔らかく緩めて見せた。少し下がった目尻と綻ぶ口許。普段のゲラゲラとお腹を抱えて笑う姿をすっかり仕舞い込んで、他とは比べものにならないほど優しく穏やかな笑みを浮かべる。それは友人の前で浮かべるものよりも暖かで、家族に見せるものよりも独占的で特別な意味合いを持っていた。何よりその笑顔は、たった一人、名前だけに向けられた唯一のものだ。こんな風に視線が絡まる度に、高尾は、まるで口の中に放り込んだ綿飴が直ぐに溶けて広がるように、ふにゃりと蕩けた締まりのない笑顔を浮かべていた。そして特にそれを隠すこともなく、そのままの表情で名前を見ていた。自分に向けられる好意と気付いてくれたことへの喜びが混じり合った、大袈裟なくらい幸せそうな顔。言葉に頼らずに、表情一つで「好きだ」と囁かれているような気分になる。目が合うその度に、高尾は毎回必ずこんな風にいつもと違った顔をして名前のことを困らせた。困ると言っても迷惑に感じるだとか、そういう類のものでは決してない。どう反応すればいいのか、どんな顔をすればいいのかが名前は分からなくなる。自分の中を笑顔一つで容易く掻き乱されて、咄嗟の判断が出来なくさせられるから困るのだ。けれど、そんなところも含め、自分だけに向けられるそれが堪らなく愛しく感じられて、名前は高尾のその笑顔だけでいつも顔を赤く染めるのだ。

(あー、かわいい…)

一瞬で朱色がさした頬を隠すようにパッと目を反らし、恥ずかしそうに顔を背けてしまった名前を見て、高尾はそんなことを思いながらまた更に頬を緩める。名前はいつも、彼が自身の思いの丈を隠すことなく破顔する姿を見る度に、面白いくらい初々しい反応してくれる。どうすればいいか分からない。まるで迷子のように、答えを見つけ倦ねている。彼女のそんな姿に胸の辺りがキュウッと締め付けられるような、けれど心地よい息苦しさを感じる。きっと愛しいとは、こう言う感情を言うのだろう。擽ったくて、苦しくもある胸のざわめきに襲われて、言葉で言い表せない熱が内側から溢れてくる。十秒にも満たない僅かな間に交わる視線だけで、十二分に言葉以上のものを感じ取れる。自分が相手を想っているように、相手も自分のことを想ってくれている。だから、お互い気づき合える。そう実感させてくれるから頬を緩ませずにはいられない。また一層、綿飴のような甘ったるい感情を含んだ笑みを、だらりと身体を伏せることで隠しながら、高尾は反らされてしまった目を追いかける。そうして直ぐにまた、バチリと絡み合った視線に嬉しそうに破顔するのだ。


溶けるんだよ、わたしたち


Title by 3gramme.





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