近すぎる関係は厄介なものだ。伝えたいこと、伝えるべきことでさえ、相手と自分の間に居座る幼馴染みと言う壁が邪魔をして、思わぬ婉曲の仕方をしたり、音になる前に消えてしまったりする。元から変なところで素直じゃない質のせいでもあると自覚しているけれど、自分達の距離間が周りの異性達との間にあるそれとは明らかに異なるものだと気付いた時から、赤司の前だけでは見せられていた自身の内側も、心の奥の奥の方へと隠れるようになってしまったと名前は痛感するばかりである。家族にも兄弟にも近いこの関係はやはり特別で、大切な繋がりだと今でも思っている。一方で、男女の関係が身体の成長に伴って変化していくにつれ、特別な繋がりが煩わしいものに感じるようになったのも否定出来ない事実であった。簡単に繋げていた手は何処に行ったのか。手放したのは名前自身だった。
名前も赤司も、思春期特有の冷やかしを気にしてギクシャクするような繊細さなんて持ち合わせていなくて、寧ろそれとは程遠い図太さがあったから、下の名前で呼び合うことも、一緒に登下校をして、当たり前に手を引いて歩くことも何ら恥ずかしいこととは思っていなかった。けれど、男子をガサツで煩い対象としか捉えてなかった周りの女子達が色気付く頃には、今のままではいられないのだと名前は悟るしかなかった。早熟で、自分達を取り囲むどの大人達にも一目置かれる優等生であった赤司は、早々に女子達の憧れの的となり、物心付く頃から築いてきた名前と赤司の特別な関係は表立った羨望と妬みをもたらした。ずるいと言われた。協力して欲しいと頼まれた。名前ちゃんになりたいと目の前で泣かれたことさえある。その度にそんな理不尽達への少しの憤りと、いたたまれなさに襲われる。そして最後は必ず彼女達が羨ましくなる。名前が自ら赤司の手を離したのは、自分達の仲の良さが年頃になって恥ずかしくなったからでも、周りからの妬みや理不尽な責めの句が煩わしくなったからでもない。赤司が誰かの恋人になると想像した時に嫌だと感じた自分が、幼馴染みとしてではなく自分を妬み羨む女子達と同じだと気付いたからだった。戸惑いと焦りから少し距離を離した。そうすることで周りと同じスタートラインに名前は立ちたかったのだ。赤司に恋がれる女子達が名前を羨むように、名前だって何のしがらみもなく赤司に想いを告げられる彼女達が羨ましかった。彼女達は近しいが故の微妙な難しさを知らない。家族も同然の存在が急に異性に見えた時、兄弟のように育ってきた関係を自ら壊してしまう時の、言いようのない喪失感と恐怖なんて知らないのだ。心の距離が近いからこそ言えないことがある。自分のスタートラインは周りの女子よりもずっと後ろにあるように名前は感じていた。

「お盆とお正月は帰ってくるでしょ?」
「あぁ、流石にね。オレが居ないのは寂しい?」
「最初だけ。赤司が居ないのにも直ぐ慣れるよ」

半分強がりで半分は本心だった。寂しくない訳がない。けれど入学して、慣れない高校生活を送って夏を迎える頃には、きっと名前も赤司も15年間ずっと傍に居た幼馴染みが居ない生活にも慣れてしまうのだろう。それでもやはり寂しさは拭えなくて、時にその感情がひょっこりと顔を出しては自分を苦しめるのだと名前は安易に予想出来てしまうから笑えない。玄関を飛び出して直ぐに辿り着けた距離は、卒業して三日後には東京から京都と言う途方もない距離に変わる。こうやって毎日一緒に歩いた通学路も、朝に弱い名前を迎えに来る赤司の習慣も明日でさようなら。春から赤司は京都にある洛山で、名前は都内の高校でそれぞれの高校生活をスタートさせる。それは名前にとって、中学に入学すると同時に呼び方を征から赤司に変えたあの時に、まるで今までそうだったように何も言わずに赤司がそれを受け入れたこと以上の喪失感だった。そうやって一歩、また一歩と互いに離れて遠くなる。それは強靭な囲いである幼馴染みから抜け出したくて自ら望んだことでもあったのに、距離を離した分だけ寂しさを覚えては、置いてかないでと手を伸ばしかけて空を切る。掴みたい手は直ぐ傍にあるのに自身の手は空振りばかり。簡単に掴めていた手が掴めなくなったのは、腕を伸ばしきれない自分のせいだと、そんなこと言われるまでもなく名前はちゃんと分かっている。
物心つく頃から、もしかしたらそれよりも前から一緒に居たのだから赤司の性格は彼の両親並に理解している。それに何だかんだで三年間ずっと同じくバスケ部にも所属していたから、赤司のバスケへの打ち込みようも間近で見てきてよく知っている。ストイックで常に勝利を目指すその姿勢は尊敬に値するし、好きなところでもある。だがそうは言っても、卒業して三日後には既に京都へ旅立ち、洛山の練習に参加するつもりだなんて名前は呆れしまう。何年も会えない訳でも、国境を跨ぐ訳でもないが、これでは別れを惜しむ暇さえない。寄っていかないか、と誘われて訪れた赤司の部屋は元から必要最低限の物しか置いていなかったが、更に整理され、真新しい段ボールの箱が部屋の隅にまとめて置かれていた。部屋の中で唯一存在感のあった大きめの本棚の本達は半分以上が段ボールに詰められたらしい。がらんとした本棚や積み上げられた段ボールに、赤司が此処を離れていくと言う現実を嫌でも自覚させられて名前は小さく口を結ぶ。呼び名を変えた時も、手を繋がなくなった時も赤司は何も言わずそれを受け入れて、いとも容易く手放した。今度は自分がそんな風に何の感慨もなく手放されてしまうようで嫌だった。机の上に置かれた写真立ての中では、今よりも大分幼い顔立ちをした二人が笑っている。置いていくのだろうか。この写真のように。

「ちゃんと持っていくよ」

後ろから伸びてきた手が名前の視界から写真立てを奪い去る。突然のことに驚いて振り返ると、思いの外、赤司の顔が近くにあって名前は二重の意味で驚きの色を浮かべた。彼の宝石のような朱色の瞳は昔の記憶を愛しむように細められ、名前に優しく微笑みかける。空いている手は頭に乗せられ、意外と大きなそれが小さな子供をあやすようにふわりと髪を撫でていく。赤司に触れられるのは何時ぶりだろう。結局はよく一緒に過ごしていたのだけれど、昔のように赤司が名前に触れるのは久々だった。

「少しは寂しさも紛れるかと思ってね」
「何それ。赤司は私が居ないと寂しいの?」
「当たり前だろ。オレが居ない間に彼氏なんて作られたら泣きそうだ」

写真を眺めながら、赤司は冗談っぽく笑ってそう言った。離れていった手の平を名残惜しく思うけれど、やはり今回も掴めず仕舞いで、名前は自分の意気地の無さを恨めしく思う。赤司は知っているのだろうか。そうやって、まるで年の離れた妹にするような扱いをされたとしても、赤司に触れられる度に、微笑まれる度に名前の胸の真ん中が騒がしい音を立てると言うことを。何とも思っていなかった昔とは違い、頭を撫でる手の感触にいちいち意識を持っていかれて、離れれば途端に恋しくなる。冗談めいた言葉でさえも、その言葉の裏に自分の求めるものがあるのではないかと期待する。馬鹿みたいに赤司の一つ一つの言動に振り回される自分が悔しくて、せめてもの仕返しに名前はベッドに置かれていたクッションを投げつけてやった。寂しいのなら置いてくな。言えなかった言葉は飲み込んで、強がりを一つ。

「じゃあ、夏までに彼氏作って泣き顔拝んであげる」

茶化してくると思ったのに、何も言わずに何処か寂しそうに赤司が笑うから調子が狂う。笑っているのに咎めるような朱色の瞳に耐えられなくて、名前は目を反らした。素直になれないのはどちらも同じだった。


伸ばした手を空振って、憎まれ口でごまかして


企画サイト「黄昏」様に提出



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