緑間、無自覚タラシの巻 → 緑間、何かに気づくの巻




あまりにも“いつも通り”だったから無性に腹が立った。

あれから何度もあの時の彼女の態度や表情を思い出しては、自分はどうするべきか、どうしたいのか、頭を悩ませていた。バスケのことでも、勉強のことでもなく、たった一人の女子のことで緑間の眉間のシワは倍増だった。しかも、その悩みの種の女子は中学の頃から一緒の相手で、今さら信頼のおける仲間・友人以上のものになるなんて思いもしていなかったのだ。黒子テツナは良き友人で、信頼のおける仲間。そう、やっと数年かけて素直に認められるようになったばかりだったと言うのに。自分たちの間に突如出来たズレに緑間は戸惑うばかりだ。
正直、緑間が彼女を相手に男女の垣根を感じたことは殆ど無かったと言ってもいい。緑間はテツナのことを特別な友人だとは思えど、特別な異性と思ったことは正直今まで一度もなかった。嘗てチームメイトであった桃井さつきに対してもそうであったように、黒子テツナが歴とした女子である、という大前提を忘れたことはないが、女子だからと特別に気を遣うことも、クラスの他の女子のように少し壁のある接し方をすることもなかった。なぜなら彼女は同じ土俵に立ち、同じ目線で、同じものを追い求める仲間だったから。それ以上でも、それ以下でもない。黒子テツナは、気難しく、容易く他者に心を開かない緑間が認める数少ない信頼できる仲間であり、心許せる友だった。
その認識が一変してしまった初冬の夕暮れ時。それまでのように当たり前に伸ばした手が、テツナにあんなにもらしくない表情をさせた。ただ少しだけ彼女の耳を掠め、絡まったゴミを取ってやろうと細い髪に通した自身の指をじっと見つめる。なんてことはない。よくあることだったじゃないか。けれど、その瞬間に、テツナは今まで見たことない表情を緑間にして見せた。過剰な反応。冬の寒さだけのせいではない頬にさした赤み。そんな、桃井が彼女の双子の片割れに向けるような顔を見るのは、はじめてだった。はじめて緑間はテツナの年相応の女の子らしい部分を見た気がした。恋愛ごとには驚くほど鈍い緑間でも彼女の反応が意味する事柄に気づいた。そして、戸惑った。拒絶も受容も、どちらに転がろうと今までのままではいられない。痛いほどの沈黙に支配された中、何か言わなければと言葉を紡ごうとした時、緑間はせっかく喉元まで出てきていた言葉を飲み込まざるを得なくなった。

「……ごめん。ちょっと、びっくりしただけ」

ああ、何もなかった。何もなかったことにしなければならないのだ。彼女はそれを望んでいる。そう、瞬時に緑間はテツナの表情と声色と纏う雰囲気から読み取った。それは緑間自身にも都合の良いことだった。今までのまま、平行線で交わることのないこの関係に満足し、それが壊れることに躊躇したのは他でもない、緑間自身だ。けれど、いざ二人の中で暗黙の了解が締結された時、安堵するどころか釈然としない蟠りを、微かな苛立ちを確かに感じた。そして、それは家に帰り、ベッドに横になった今でも消えることはなく、寧ろ益々緑間の中で存在を主張している。消えることのない光景や答えを見つけかねるもやもやとした感情が、普段の穏やかな眠りの妨げているのだ。カーテンの隙間から差し込む微かな明かりに照らされた天井を睨みつけた。案の定、快適な眠りが訪れるはずもなく、緑間は寝不足で朝を迎え、いつも以上に眉を顰めて不機嫌さ丸出しだった。それもこれも、原因は黒子テツナだ。

「おはよう、緑間」

いつも通りだった。寝不足で迎えた朝、普段より三割り増しの不機嫌な顔で通学路を歩く緑間に声をかけたのは、他でもない悩みの種。相変わらず朝が弱いらしく、少しとろんとした眠たげな目をしていた。その姿が普段と何ら変わらないものだったから余計に緑間の眉間の皺が深くなっていく。緑間を目の前にしても、彼女の表情も声色も何もかも普段と何ら変わらない。いつものように緑間の隣に並んで、いつものように他愛もない話をしている。どうやら昨日の延長線上にいるのは自分一人だけらしい。テツナの中では昨日のことなどもうなかったことになっていて、これからもずっと今まで通り過ごしていくつもりなのだ。そう、テツナのいつも通りの態度から緑間は直ぐに理解した。昨夜、あれほど思い悩んだ自分は何だったのかと思わずにはいられない。今まで築いてきた関係を変えてしまうのは億劫だった。自分たちの間に友愛以外のものを望んだことはなかったのだから、緑間にとっても、きっとこれが一番良い方法なのだ。けれど、それを素直に受け入れるのは釈だった。何故か無かったことにはしたくなくて、忘れてしまおうと思う傍ら、気にかけて、そこに理由となる明確な答えを探していた。ほっと安堵したのに、無性に腹立たしかった自身の不可解な感情はそのままにすべきではないと思った。このまま、テツナが求めたように近付き過ぎた二本の直線を元の平行線へと戻してしまえば、きっともう名前のつけられない感情を暴くことも、自分たちの間で起ころうとしている何かを知ることもできないまま、距離だけが離れていくと思った。それは避けたいとも思った。何より自分ばかりが乱されて、当の本人は涼しい顔だなんて不公平だ。あんなにも彼女らしくもなく取り乱したくせに、何もなかったみたいに振る舞って、何とも無い顔をして隣に立つなんて腹が立った。緑間は声をかけることもなく、唐突に左側を歩くテツナの細い右手首を掴む。思っていた以上に細くて少し驚きつつ、痛めてしまわないよう、彼なりの配慮をしつつ腕を引く。足を止め、無理やり自分に向かい合わせる。見上げてくる顔は、眠たげだった目を昨日のように見開き、彼女らしくもなく焦りや戸惑いを露わにしている。少しだけ頬も赤い。そのテツナの姿に緑間はとても満たされる心地がした。
そうだ。乱されればいい。あの時のように、その淡々とした態度を、涼やかな表情を崩せばいい。自分だけが乱されたままなど許さない。はじまりの狼煙を上げたのはテツナの方だ。満足のいく結論を出せるまで、一人だけ知らん顔で過ごさせるつもりはなかった。緑間は少し意地の悪い顔をして、テツナを見下ろした。同じく悩め。煩わされろ。

「黒子」
「な、に……」
「俺は無かったことになど、してやらないのだよ」

宣戦布告だ。きっと、もう後戻りは出来ない。今この瞬間に、これまで築いてきた友人としての関係とは別の道に一歩踏み出したのだ。
緑間の言葉に、射抜くような鋭い深緑の双眸に、テツナはたじろぐばかりだった。変にギクシャクするくらいなら、変わらず友人でありたかったのに。それを緑間も望んでいると思っていたのに。掻き乱される。無かったことにしないのなら、緑間は自分に何を求めると言うのか。昨日の戸惑いと焦りが混ざった緑間の表情を思い出す。明らかに困っていた。そんな彼が同じ感情を抱いてくれているとは思えない。緑間がどうしたいのか、テツナには分からなかった。それは、あまりにも彼らしくない言動だった。
手首を掴んでいた手が離れていく。満足気に鼻を鳴らし、緑間は再び歩き出した。掴まれていた手首がまだ熱を持っている。同じくらい頬も熱い。全力で走った後のように心臓の音が煩い。緑間は振り返ることも、テツナを待つこともしなかった。先を行く広い背中を期待と不安が入り混じった目で見つめる。何かが変わる兆しが見えてきた。一度絡まってしまった二本線は解けるチャンスを逃してしまった。けれど、テツナにとっては好機でもある。一度奥底にしまい込んだ感情を掘り起こす。だって、もう隠す必要はないのだから。
呆然と立ち止まっていた足に力を入れて走り出す。だいぶ離れてしまった緑間との距離を詰め、テツナは思い切りその背を叩いてやった。片割れ直伝の強烈な一発。自分の気持ちも分かっていないような鈍感男に振り回された悔しさと憎たらしさと、それでもやっぱり好きだと言う気持ちを込めた一発だった。後ろからの予想外の衝撃に噎せる緑間を、してやったりと笑い飛ばす。もう後には引けないのだから遠慮なんてしてやらない。覚悟しておけ、鈍感野郎。

「さっきの、後から無しになんてしてやらないからね」

今だに抜けない驚きに緑間は惚けた顔でテツナを見る。先程までの戸惑い、頬を赤らめていた姿はそこにはなく、彼女らしい強い眼差しで自分を見上げていた。挑戦的で、楽しそうな笑みを浮かべ、テツナは緑間からの挑戦状を真っ向から受け取ったのだ。


呼吸が下手なわたしたち


Title by 3gramme.



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