※高校三年、初冬くらい


目で見て取れるくらいに赤く染まった頬と、びくりと揺れた華奢な肩。振り返ると同時に自分との間に距離を取り、しまった、と目を見開いて後悔している彼女の表情は珍しく雄弁だった。今まで見たことがないその反応に、鈍いとよく言われる緑間でも流石にこれは自覚せざるを得ない。あの、黒子テツナから自分に向けられている好意に、ここまであからさまに表されて気付かない訳がなかった。これでもし気づかなかったならば、高尾に鈍すぎる!おかしい!その眼鏡は飾りか!と騒がれても緑間はその言葉を素直に受け止めなければならないくらいだ。それほど分かりやすい反応だった。自他共に認めるほど色恋沙汰に疎い自身でさえも気付けてしまう分かりやすい態度を、まさか彼女が、しかも自分に対して取る日が来るとは緑間は露程も思わなかった。彼女の片割れほどではないけれど、彼女は何を考えているのか掴みにくいタイプの人だ。感情を上手くコントロールし、ポーカーフェイスを貼り付けるのが時に憎たらしくなるほど彼女は得意なのだ。だから正直、テツナが自分に異性としての好意を向けていることよりも、こんなにも感情を露わにしているなんて珍しい、と言う気持ちの方が緑間には大きかった。初めて見る彼女の表情に緑間も目を丸くする。いつも物怖じせずに真っ直ぐに向けられる瞳は、全く彼女らしくなく気まずそうに伏せられている。心なしか、その姿がいつもより小さく華奢に見えた。
おかしな話だが、この時、緑間は彼女が周りにいる他の同年代の女子達と同じ存在だったのだと久しぶりに思い出した。別に黒子テツナを女だと思っていなかったとか、そんな失礼極まりないことを言いたい訳ではない。彼女は一人で立って歩いていけるような逞しさと強さを持ち合わせた人物であると彼は勝手に認め、思っていた。だから、他と変わらない花も盛りの十代の女の子らしい一面を垣間見て、テツナは自分と同等に位置する仲間であると同時に、男である自分よりもか弱い女だったのだと再認識させられた。ただ、今まであまり性別を意識せずにいることが多かったから、そう改めて思うと途端にどう接すればいいか分からなくなる。これまで自分は何と声をかけ、どのように触れていたのだろう。動くことをやめてしまった時計の針のように、自分達の間に鎮座する沈黙はその場から動いてくれそうもない。重々しい空気が気まずい筈なのに、何故だろう、胸の辺りには居心地の悪さよりも不思議とこそばゆい感じがした。

「黒子…?」

いつも通り図書館で勉強をした帰りだった。頬を刺すような木枯らしに身を震わせながら、寂しげに光る街灯と家に灯った明かりだけが頼りの閑散とした住宅街の道を歩いていた。高尾と別れた後、そうやって二人並んで帰るのが緑間とテツナの日常の一コマになっていた。ぽつりぽつりといつ途切れてしまうのか分からない不安定な会話の最中に、ふと見下ろしたテツナの髪に付いていたゴミを、緑間にしては珍しく親切にもとってやろうと手を伸ばした。黒子、と彼女の名前を呼んで、彼女が何?と振り返るより先に、見た目通り細く柔らかい髪を少しだけ持ち上げた。するりと指を絡ませて、髪に付いたゴミを取ったちょうどその時、几帳面に手入れされた緑間の指が彼女の耳の辺りを掠めた。その一連の動作に、瞬時に染まる頬と見開かれる双眸。大袈裟なまでに取られる距離。予想外の彼女の反応に、伸ばされた緑間の手は行き場を失って未だに呆然とその場にあり続ける。思わず再度彼女の名前を呼んだ。何も言えず、気まずそうに伏せられる瞳と街灯の白い光に照らされて際立つ頬の赤さがテツナらしくなかった。
手を伸ばした時、ただ名前を呼んだだけで、ゴミが付いてたことも、それを親切にも取ってやろうとしたことも緑間は別段彼女に伝えなかった。中学を経て、どちらかと言えばあまり仲が良かった訳じゃない緑間とテツナが、高校生活も後一年と言うところまで来て漸く刺々しさが抜け、驚くほど友好な関係を築けるようになった今だからこそ、それは成せることだった。流石にここまで一緒だと男女の境目も曖昧になって、相手を異性だと意識する方が少なかった。緑間にとって、黒子テツナは黒子テツナでしかなかった。その認識に異性だとか、恋愛対象になり得るだとか、そんな余計なものが入ってくることはなかった。そして、その認識はテツナだって同じであると勝手に思っていた。彼女と自分との間には色恋沙汰など無縁だと、いったいいつ誰がそう決めたのか。緑間の中に当たり前という顔をして平然と居座っていた根拠のない自信は、つい先程いとも容易くその偽りの仮面を剥ぎ取られた。黒子テツナは緑間を好いている。友人としてだけではなく、一人の異性として好意を示している。そんなこと、夢にも思わなかった。緑間にとってテツナは異性である以上に信頼できる仲間であり、良き友人であったから。
何年かぶりにテツナを友人としてではなく、異性として、男女の境を意識する目を持って見た。出会った頃よりは伸びたけれど、未だに緑間と比べたら小さな背丈。もっと食べるべきだと言いたくなる華奢な身体。年相応の幼さを持っていたのに、いつの間にか顔立ちさえ大人びていた。月並みな言葉だが綺麗になったと思う。万人が認めるような美しさではないけれど、大人へと近づく過程で見受けられる成長の美しさがあった。今更それに気付くなんて、やはり緑間は鈍感だ。可愛くなったなぁ。そう、いつだったかポツリと溢した黄瀬の言葉を今になって思い出し、何処が変わったのだと怪訝に思った自分を恥じた。緑間が気付いていなかっただけで、黒子テツナは確かに少しづつ変わっていた。伏せ目がちの瞼を縁取る睫毛が街灯に照らされ、色白の肌に淡く影を落としているその様から目を反らしたくなった。つい先程まで認識していた姿と一致しない。緑間の中にいた黒子テツナは、出会った頃の少し大きめの帝光中学の制服を着た少女ではなく、すっかり大人びて、大人への階段を駆け上がっていく一人の女性へと姿を変えていた。一度意識し始めるとどう反応を返したらよいか分からず、とりあえず行き場を失った手を降ろす。テツナの頬からは既に赤みが引いていた。白熱灯に照らされた頬は一段と白く見えた。綺麗だと思った。柔らかく、滑らかそうな色白の肌は黒子テツナが女であることを緑間に思い知らしめた。不意に伏せられていた瞳が緑間をとらえる。眉尻を下げて困ったように、そして少し悲しそうにも見える曖昧な笑みをテツナは浮かべた。緑間が何かを言う前に彼女が言う。

「…ごめん。ちょっと、びっくりしただけ」

何もなかった。緑間は何も見ていないし、気づいていないし、自分たちの間には何も特筆すべきことなんて起こらなかった。そう言うことにすべきなのだと、テツナが真っ直ぐに目を見て告げた言葉を聞いて、緑間は瞬時にそう思った。彼女はそれを望んでいる。余計な詮索はすべきではない。今迄のままで、それがいい。わざわざ穏やかな水面に波紋を広げる必要はないのだ。友人として、部活仲間として築いてきた関係を彼女は守ろうとしている。それを自ら捻じ曲げる必要が何処にある。黒子テツナは自身の中に生まれた厄介な感情をこれ以上表に出すことなく、今まで通り良き友人としていることを選んだ。緑間だって、自分達の間にあった絶妙な距離感に入った亀裂に戸惑いを隠せなかったように、イレギュラーな変化など求めてはいなかった。今日この日まで、自分達の関係はこれ以上進むことも、また戻ることもないと思っていたのだ。
それでよかった。よかった筈なのに、どうしてテツナが自分の感情をなかったことにしようとすることに、少しの安堵とそれ以上の苛立ちを感じるのか。何も無かったと振る舞おうとする姿に、そして今までのままを維持しようとするその態度に確かに憤りを感じている。そのまま平然とした顔で歩き出した小さな背に向けて、何か言ってやりたい衝動に駆られた。けれど何を言いたいのか自分でも分からなくて、言葉の形も与えられないまま、不明瞭な苛立ちが胸の辺りで燻っている。吐き出された息が白く染められ消えていく。それは形を成せない曖昧な緑間の気持ちとよく似ていた。緑間真太郎と言う男は、何か言いたいことがあれば、そしてそれが正しいと確信を持てるものであればいつも躊躇なく口にしてきた。けれど、今回ばかりはそうはいかない。今、離れていく小さな背を引き止めて、上手く言い表せない感情を伝えることは憚られた。きっと、もっと慎重に判断しなければならない。それだけは疎い緑間でも分かることだった。



ただきっと、歯車は狂ったのではなく正常に動き始めたんです


Title by 誰そ彼



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