青峰から手紙がきた。メールでも電話でもなく、お世辞にも綺麗とは言い難い文字で綴られた手紙での一報。わざわざアメリカからご苦労なことである。郵便ポストを開けてエアメールを見つけた時、テツナは心の中で今は日本にはいない相手に向けて、そう皮肉たっぷりに吐き捨ててやった。青峰からの連絡が彼女の元に来るのは、呆れることにほぼ二年振りのことだった。その間に電話どころかメールもなかった。その手紙は、正真正銘、彼が日本を飛び立ってから初めてくる連絡だった。何を今更。そうは思えど、子供じみた感情に素直に従えるほど幼くはなれないから、湧き上がった苛立ちに飲まれて見なかったことには出来なくて、進まない気持ちでテツナはそれを手に取った。相変わらず歪な文字。アルファベットになっても変わらない乱雑な字に懐かしさと少しの愛しさを感じた。

手紙の送り主、青峰大輝は大学を卒業するのと殆ど同時に渡米した。青峰の才能、バスケへの思い、それら全てをテツナは中学の頃からよく知っていた。だから、青峰がアメリカの名門バスケットボールチームから声がかかり、卒業したら直ぐに其方に行くつもりだと言った時、彼女がその知らせに驚くことはなかった。ついに来たんだ、と静かに喜ばしき日の訪れを祝った。それと同時に酷く腹が立った。理由は簡単で、渡米について青峰がテツナに話をしたのは卒業式の前日。青峰が日本を離れる二日前のことだったからだ。渡米の話は勿論もっと前から決まっていたことだったし、どう考えてもその日よりも前に伝える機会は沢山あった筈だ。それにも関わらず、この仕打ちではテツナに限らず誰だって怒るに決まっている。現に出発当日、片割れは無言で青峰の腹にイグナイトを決め、桃井は何処からそんなに文句が出るのかと言うほど責めたて、黄瀬は思わずひやりとするほど冷たい目で青峰を見ていた。テツナ以外の知人達には前々から伝えてあったのに、どうして恋人である彼女には伝えなかったのか。申し訳ないから?寂しい思いをさせたくないから?その他諸々、せめてもの気休めにと黄瀬が一生懸命そんなフォローを入れていたけれど、見くびらないで欲しい。そんな風に気を遣ってもらうほど、テツナは弱くもないし物分りが悪い我儘な女でもないつもりだ。寂しくないと言ったら流石に嘘になるが、恋人としてでなくとも、青峰のアメリカ行きをテツナは本当に心から喜んだ。初めて出会った中学の頃から、馬鹿みたいにずっと青峰と言う選手を見て、追いかけてきた彼女にとって、彼がバスケの高みへとまた一歩近付いたことを喜ばずして何を喜ぶと言うのか。ただ出来るなら、その朗報を一番に伝えて欲しかった。一緒に喜びたかった。テツナは簡単には会えなくなることを、日本に置いていかれることを悲しみ、恨んでいるのではない。そんなこと、青峰と付き合い始めた時から既に覚悟していたことだ。止めるつもりも、連れていってと縋るつもりも毛頭なかった。けれど、その朗報を共に喜んでくれると、笑って背中を押してくれると信じて、直ぐに教えに来て欲しかった。恋人だからと言うのではなく、共に歩んできた仲間としての信頼を見せて欲しかった。ただ、それだけ。これは過ぎた我儘だったのだろうか。
その日、テツナは敢えて出発時刻を聞かなかった。青峰も教えてこなかった。彼女はいつものように淡々とした声と表情で「おめでとう。よかったね」と、それだけしか言えなかった。他にもっと言葉にしたかった思いはあった筈だ。けれど、それらが音になることはなく、喉までせり上がってきては言葉になる前に消えてしまった。そうして卒業式を終え、何事もなかったようにいつもの二人のまま過ごした。結局、出発当日にテツナが青峰を見送りに来ることはなかった。今、冷静になって考えてみると小さな子供みたいにくだらない見栄を張ってしまったと思う。せめて、いってらっしゃいくらい電話で言えばよかったのかもしれない。けれど、上手く口も手足も動いてはくれなかった。また、一方的に置いていかれる立場なのか。そう思うと、酷く身体が重く感じた。唇を糸で縫い付けられてしまったかのように、口を開くことがとても困難になってしまった。こんなに悔しい思いをしたのは、中学のあの時振りだ。やっと隣を歩けるようになったと思っていたのに、テツナはまた遠ざかっていく青峰の背中を見ているだけだったあの頃に逆戻りだ。対等だと思っていたのは自分だけなのだろうか。青峰にとって自分は、そんなにも信頼が置けず、容易く手放せてしまう程度のものでしか在れなかったのか。悔しくて悲しくて、嬉しいのに腹立たしい。いろんな感情が胸の一箇所でごちゃ混ぜになって、雁字搦めに押しつぶされたテツナは重たくなった身体でただ立ち尽くすだけだった。
青峰は見送りに来なかったことを責めることはなかった。それどころか、渡米してから連絡がくることもなかった。意地を張って、テツナからも連絡はしなかった。自然消滅。自分たちの関係は正にこれである。よくニュースで青峰の活躍を目にするテツナとは違い、アメリカにいる彼が彼女のことを知る術なんで限られている。彼女の片割れとか、彼の幼馴染とか、共通の知人を介して彼が彼女のことを尋ねてこない限り、また彼らが彼女のことを話題にしない限り、彼はテツナの現状を知る機会を得ることが出来ないのだ。無条件で情報を与えられ、嫌でも頭の片隅に追いやった青峰の背中を思い出させられるテツナと、今までとは違った景色の中で、新しい刺激を受けて目まぐるしく変わっていく生活に身を置く青峰。きっともう、自分達の道は交わることはないのだろうと思っていた。二年近くも遠く離れたところで静かに平行線を辿ってきたというのに、青峰はいったいどんな顔でこの手紙とも呼べない短い文章を書いたのだろう。正直、腹が立った。それでも、テツナが封筒の中身ごとその手紙を破り捨てることが出来なかったのは、この連絡が来るまでの年月を馬鹿正直に待ち続けたが故だった。

「もしもし…」
「……おう」

初めて国際電話をかけた。二年振りに聞いた声は相変わらず低くて、それまでお腹の辺りに居座っていた苛立ちや潜めていた寂しさが一気に霧散していく感じがした。腹を立てる以上に懐かしさと愛しさが込み上げてくるのが分かった。礼儀的な言葉しか出てこない。久しぶりとか、元気にしてたとか。それは青峰も同じようで、素っ気なく歯切れの悪い言葉しか返ってこない。お互い、似たようなところで不器用だったから、気まずさに負けて重々しい沈黙が流れる。テツナには何も言われず残され、健気に待っていた二年間で溜まりに溜まった思いの丈をぶつける権利がある筈だった。今日この日まで、いつかそうしてやるつもりでいた。それでも、久方ぶりに彼女の鼓膜を震わせたその低く心地よい声に、用意していた言葉は全て音になる前に消えていた。震える手で受話器を握り直す。言葉が詰まって、目の奥がツンと痛み出す。歪む視界の中で、本当に馬鹿じゃないかと自嘲した。声一つで泣いてしまうほど恋がれていたなんて、いったいどこのB級映画のヒロインだ。全く自分らしくない。似合わない。そうは思えど、溢れてくる涙を止める術が彼女にはなかった。ただ、こんなみっともない姿を晒すことだけは避けたくて必死に嗚咽を抑え込む。鼓膜が震えて、音を伝える。手紙着いたか?少し間を置いてから、今日届いたことを伝えた。電話越しに安堵するのが溢れた吐息で分かった。青峰は戸惑いがちに、けれどはっきりとした口調で口を開いた。ひゅっと息が詰まる。テツナの心臓が大きく音を立てた。

「あー、その…結婚してください」

なんて軽い言い方!きっと彼の幼馴染がこのプロポーズを聞いたら、頬を膨らませながら頭ごなしに否定して、女の子の理想を長々と語って聞かせたことだろう。けれど、そのくらいが青峰らしいとも思う。余計な装飾のない、シンプルな言葉。その真っ直ぐさが彼らしい。テツナが望んだ時に彼女の欲しい言葉はくれず仕舞いだったのに、自分だけ伝えたいことを言う。本当に勝手な人。今更それを言う資格が自分にあると思っているのか。そう責め立ててやりたいのに、テーブルの上で部屋の灯りを反射する指輪と、今しがた言われた言葉と同じものが綴られた一枚の紙が目に入り、テツナは余計に言葉を詰まらせる。どちらも今日、テツナの元に届いた封筒の中に無造作に入れられていたものだ。封筒を開けて一番最初に手元に現れた指輪は、確かに彼女の薬指に合うものだった。添えられた手紙にさえ 、謝罪の言葉はなかった。ただ一言、結婚してください、とだけ懐かしい筆跡で書かれていた。全く青峰は自分勝手で、そして不器用な男だ。彼は自分の大切なものほど上手く扱えない。だから、逃げてしまう。そうして長々と遠回りしてから、やっと戻ってくる。バスケの時と一緒。二年待たせて漸く彼はここまで来た。どんな思いで電話を取り、どんな顔をして告げたのだろう。その、あまりにも彼には似合わない情けない表情をしているであろう顔を、目の前で笑ってやりたかった。ついでに一発、その横っ面を引っ叩いてやりたかった。どんな思いで今まで過ごしていたか、その痛みで思い知ればいい。

「そう言うことは、直接言って…」

最後の方は声が詰まって上手く音にならなかった。受話器の向こうで、そのつもりだとぶっきらぼうな答えが返ってきた。たった一文の手紙の裏。その下部に控え目に添えられた日付は、ちょうど来週のテツナの休日。そして、時間と空港で待ってろの一言が書かれていた。こう言う大切な情報をどうしてちゃんと伝えないのか。また、二年前と同じことをする。変なところで不器用な男は、堪えきれずに漏れ出した彼女の嗚咽に焦っているようだった。今日言えなかった文句の数々、そして返事は来週顔を合わせるその時に言ってやる。勿論、答えはイエスに決まっている。泣きながら、けれど笑顔を浮かべてテツナは心に決めた。


その心を受けとめるためだけに駆けていくということ


Title by ダボスへ



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