可愛げのない後輩。それが黒子テツナに対する宮地の印象だった。そうは言っても、その印象は彼が関わることの多い他の一年生に対しても言えることでもある。偏屈でやたらと高圧的な噂のエース様とか、剽軽者のお面を貼り付けて自身の内を見せようとしない部のムードメーカーとか。どうも一筋縄ではいかない一癖も二癖もある連中ばかりが宮地の周りにはいて、それに比べればテツナはまだ扱い易いし、素直に可愛い後輩だと言ってやれる。けれど、周りが感心するくらい手際良く任された仕事を熟してしまうところや、高校一年生と言う中学生気分がまだ抜け切らないような年の割には大人びているところ等があるせいか、礼儀がなっていても生意気でなくともやはり可愛げがないと感じる。つまりは、世話の焼き甲斐がないからつまらないのだ。加えてテツナはやたらと落ち着いた性格をしていて、そんなところもからかい甲斐がなくてつまらない。ここ最近、心情に変化があったらしいエース様は意外と面白い反応をくれるし、実際はちゃんと分別を弁えているムードメーカーとは一緒にふざけてやるなんてこともあるから、余計に普段からあまり表情を崩すことのない彼女の意外な一面を見てみたくなるのだろう。別に、高尾のようなオーバーなリアクションを彼女に求めている訳じゃない。少しくらい焦ったり、驚嘆したりするくらいの表情の変化でいい。ただ宮地としては、彼女の、波紋さえ広がらない穏やかな水面を保つ湖のような、あの静寂を保つ淡い色合いの瞳が僅かにでも揺らぐその瞬間に興味があった。何か一つでも綻びがあれば、可愛いところもあるじゃないかと笑ってやれるのだ。もっと言えば、時には世話の一つくらい焼かせて欲しいのだ。先輩の前だからと余計に気を張っていそうな生真面目さは嫌いじゃないし、それは彼女の美点でもあると思う。けれど、仕方ねぇなと寄りかかることを許してもらえるのは年下の特権なのだから、たまにはそれを活用しろと言ってやりたくなる。そうやって何かと構ってしまいたくなるくらいには、テツナを含む周りの一年生達のことを宮地は気に入っていた。大坪さえも一目置くほど仕事もできる働き者で、何よりバスケに対する真摯な態度は宮地や他のバスケ部員に引けを取らないバスケ馬鹿。彼女のそんな一つのものに真っ直ぐなところとか、礼儀正しく、時に堅物ともとれる真面目な一面は素直に好感が持てた。だから可愛げがないとは言いつつも、実際はそんな可愛げのないところも最早可愛くもあって、だからこそ構いたくなってしまう。結局のところ、宮地にとって黒子テツナは変なところで不器用な可愛い後輩なのだった。

季節はテツナ達一年生が秀徳に入学した穏やかな春の頃から移り変わり、照りつける陽射しを煩わしく感じる夏へと差し掛かっていた。まだ僅かに梅雨の匂いが残る、湿り気を含んだ夜風が蒸し暑さに耐えかねて腕まくりをした肌の上を滑っていく。温くて不快感しか与えない風の中、時折、僅かに明滅する街灯の下で、宮地は相手に聞こえるようにわざと盛大に溜息をついた。
言葉の代わりに吐き出されたそれには、笑顔で暴言を吐きだす普段の宮地を知っている者なら、思わずびくりと肩を震わせかねない重々しさがあった。それにも関わらず、真っ正面からそれを向けられたテツナは特に表情を変えることもなく、寧ろ眉間に深々と皺を刻む宮地の顔をじぃっと下から黙って見上げていた。そんな彼女の物怖じせず、いつも通り真っ直ぐに向けられる瞳に今度は力が抜けたような小さな溜息が漏れる。怯えて欲しい訳じゃないから、他の女子や後輩のようにびくびくされても困るのだけど、せめてもう少し言われたことに自覚を持って欲しいものだ。
二人が向かい合っている今現在の時刻は疾うに21時を過ぎて、22時に差し掛かっている頃だった。女子高生が一人で歩いているのは些か問題がある時間帯であることはテツナだって分かっている筈だ。それにも関わらず、見た目によらず逞しいところがある彼女はいつも一緒に帰る緑間と高尾とは別に一人で帰路についていた。そして運が良いのか悪いのか、本屋から出てきたところでちょうど帰宅途中だった宮地と鉢合わせたのだ。流石にまずいと言う考えは彼女にもあったので、お疲れ様です、と一言告げてそのまま帰ってしまおうと思った矢先に笑顔で肩を掴まれて捕獲。そして、轢くぞ刺すぞの恐ろしい言葉がオプションで付いてくる説教タイムに入り、今に至る。それまで聞かされた宮地の言い分は分かっているが、今日はたまたま一人なだけで、いつもはちゃんと緑間達と一緒なのだから片割れみたいに口煩く怒らなくてもいいじゃないか。電話で少し遅くなると片割れに伝えた時に、もう既に似たような説教をされ、今から迎えに行きますと押し切られたのだから。なんて、そんなテツナの言い分が通る筈もなく、宮地は更に眉間に皺を増やしていく。どんなにしっかりしていようと、たとえ片割れ直伝の意外と強烈な一発を食らわすことが出来ようと、テツナは女の子だ。宮地から見れば細いしちっこいし、やろうと思えばたった腕一本で押さえつけてしまえる。そんな、か弱い女の子なのだ。
近頃は夏が近付いていて日が伸びてきているからと言っても、遅くまで行われる部活が終わる頃には外は既に真っ暗になっている。迎えが来るとは言っても、こんな夜道を一人で歩いていただなんて本当に何を考えているのだと、つい数分前にも言ってやったことをまた繰り返してやりたくなる。だいたい、いつも一緒に帰る緑間と高尾は今日に限ってどうしていないのか。少し怒りの矛先をこの場にいない後輩に向けつつ、自分よりも30センチ以上も低い位置にある彼女の頭を宮地は大きな手のひらでガシリと掴んで問い詰める。頭を鷲掴みされるとは露にも思わなかった為、流石のテツナも驚いて瞠目して見せる。それでも相変わらず淡々とした声色のまま「宮地さん、痛いです」と訴えるけれど、いいから答えろと言わんばかりに頭を掴む手に軽く力を込められて一蹴されてしまった。顔は笑っているのに、目は笑っていない。よくあるテンプレも彼がやると威圧感が凄まじい。

「部活で疲れているのに付き合わせる訳にはいかないので、先に帰ってもらいました。……あの、本当に痛いです」
「はぁ?!帰ってもらいました、じゃねぇよ!そこはアイツ等がどんなにへばってても付き合わせるんだよ!」

お前は女だろうが、馬鹿。掴んだ頭に更に力を込めながら、そんなことを勢いに任せて口にすれば、テツナはきょとんとした表情でまじまじと宮地を見上げた。なにをそんなに驚くことがあるのだろう。寧ろ宮地としては、テツナが珍しくこんなにも分かりやすい反応を示していることの方が十分驚きだ。普段は高尾がどう絡んでこようが大して気にも止めないで、淡々とした代わり映えのしないリアクションしか返してやらないくせに。宮地を見上げてくる彼女の目は、離れたところから初めて会った人間を観察している猫のそれと少し似ていた。初めて見るものに対する好奇と驚きの瞳。彼女の中での自身の印象が、後輩の、しかも女の子の心配さえしない冷酷な人間だったとしたら宮地としては大いに心外である。だいたい、こんな風に自分が彼女を心配することは、そんなにも奇異に感じることなのか。それとも自分の言っていることは的外れだっただろうか。いや、そんなことはない筈だ。彼女があまりにも不思議そうな顔をするものだから、一瞬、自分が間違っているのかと思いそうになったが宮地の意見は至って正論だ。反省すべきは彼女の方。そう結論づけて、飽きれた目で目の前の後輩を見遣る。そう言えば頭を鷲掴んだままだった、と改めて彼女に視線を移してから思い出して、遠慮なく乗せられていた手を退けてやる。そのついでに乱れた髪を適当に整えてやると、テツナは更に驚きの色を映して僅かに目を丸くした。淡い色合いの双眸が少し戸惑いつつも、やはり真っ直ぐに宮地を見つめてくる。そして戸惑っていた割には、はっきりとした口調で紡がれた言葉に宮地は思わず頭を抱えてしまいたくなった。

「お気遣いありがとうございます。でも、私はマネージャーです。選手を優先するのは当然だと思います」

至極当たり前のことだと言わんばかりの堂々とした口調で言われたものだから、宮地は思わず言葉を失ってしまった。女である自分より選手。これは自分の私用だから、緑間と高尾の貴重な休息時間を削らせる訳にはいかない。そんな理由で彼らに嘘を付いて先に帰らせるなんて、本当に彼女はどれだけバスケ馬鹿なのか。こうと決めたら中々意志を曲げない頑固なところが彼女にはあるから、きっと食い下がる高尾さえも有無を言わせず先に帰らせたに違いない。全くどうして、こうもウチの一年共はある意味馬鹿ばかりで、素直に誰かに甘えると言う可愛げさえ持ち合わせていないのか。本日三度目の溜息が漏れる。重々しく長めに吐かれた息にも臆することなく、テツナは相変わらず真っ直ぐな瞳で宮地を見上げてくる。その双眸はまるで自分の意思を変えるつもりはないと、言外に主張しているように宮地には感じられた。本当に可愛げがない。内心そう悪態をつきつつ、何だか聞き分けのない子供を叱る親のような心持ちになってきてしまったので、消化しきれない言葉を仕方ないと脇に追いやることで宮地は口を噤むことにした。
他者を気にかけ、他者の為に行動できることは美点だろう。だけど、それが行き過ぎて自分を蔑ろにしてしまうのは、場に応じて適切な判断が出来ない愚者のすることだ。今回の彼女の判断と行動は後者に当てはまるし、決して褒められたものではない。そう、一々噛み砕いてまで説明しなくても、実際のところ、テツナは言われるまでもなくちゃんとそれらを理解している筈なのだ。ただ、少しだけ自分に関して無頓着なのかもしれないなとは思う。彼女はどうにも自分より、自分の周りの人に比重を置きがちだ。だから、宮地や高尾のような彼女の周りの人間から見れば、時にひやりとさせられてしまうような行動も、彼女の中では大したことではないものなのだろう。見た目によらず意外と逞しいところがあるから、一回くらいは大丈夫だろうとか、そんなことを彼女は思ったに違いない。けれど、何かあってからでは遅いのだ。そう思うから彼女の片割れも宮地のように説教をし、迎えに行くと押し切ったのだ。真っ当な反応だろう。だが、そんな周りの心配を申し訳なく思うのなら、普段からもっと甘えて欲しい。宮地も片割れも、もちろん彼女の周りの人間も、それを迷惑だとは決して思わない。寧ろ、甘えベタなテツナが少しでも寄り掛かってくれたら、嬉しいとさえ思うだろう。だから、遠慮なんかしないで欲しい。そう言う素直さを、年下らしい可愛げを宮地は期待しているのだ。

「……はあ。よくはねぇけど、まあいいわ。ほら、行くぞ。弟にここまで来させるの、申し訳ねぇんだろ?弟と会える所まで一緒に帰ってやるよ」
「いえ、先輩にそんなことは……」
「いいから素直に厚意を受け取れ」

テツナの言葉を途中で遮り、皆まで言うなと軽く頭を小突いてやる。本当は家まで送っていくつもりでいたのだけれど、片割れがわざわざ迎えに来るのなら宮地はお役御免だろう。だが、迎えが来るからと言って彼女を置いて先に宮地が帰れば、きっと彼女のことだ。大人しくこの場で待っている筈がない。どうせ途中で会うのだからと一人で歩いて行くだろうと容易に想像が付く。黒子テツナはそういう子なのだ。
未だに戸惑っている彼女から、先ほど買ったのであろう本を包んだ紙袋をひょいっと取り上げて、さっさと歩き出す。こうでもしないとこちらの申し出を受け入れて、大人しくついて来てくれないことぐらい学習済みだ。歩く足を止めることなく、振り返って嫌味を込めてニヤリと笑ってやる。そうすれば、困惑を映す瞳が仕方なく負けを認めて閉ざされる。長めの瞬きを終えて、テツナは小走りで宮地の数歩後ろまでやってくる。まるで親鳥を追いかける雛鳥みたいに、とてとてと。そして、宮地との間に一定の距離を保ってから速度を落とし、歩調合わせて後ろを歩き始める。そんな彼女の一連の動作に、宮地からまた一つ溜め息が零れ落ちる。そうじゃないだろ。どうしてそうなる。出会い頭に説教をしたからか、もう説き伏せる言葉を口にするのも億劫になって、ここは一つ行動で示してやろうと半ば諦めにも近い決断を下す。歩みを進めていた足を予告なく止めて、踵を返して二歩ほど離れて歩く彼女に歩み寄る。どうしたのかと不思議そうに見上げてくる淡い色合いの双眸に、なぜそうも鈍いのかと心の中で毒付いておいた。宮地に合わせて立ち止まった彼女の細い手首を、有無を言わせず掴んで再び前を向いて歩き出す。後ろを歩いてどうする。それでは何かあった時に気付けないではないか。だから、痛くないよう配慮しながら腕を引いて隣を歩かせる。離したら、また目の届かないところに行ってしまいそうだったし、何より驚きのあまりテツナが無反応だったから、そのまま手首を引いて歩いていく。特に話すこともなくて沈黙が辺りを支配する。掴んだ手首から伝わる低めの体温が心地よいだとか、思っていた以上に彼女は自分よりも小さくて華奢なんだなとか。触れ合った部分に意識がいって、沈黙に気まずさを感じることもなく時が過ぎていく。気分としては迷子を親の元へ届けるそれなのに、離すタイミングを逃した手が胸の辺りをもやもやさせた。決して不快ではないその感情と睨めっこしながら歩いた道の先で、試合の時とはまた違った鋭い瞳で自分を見てくる黒子テツヤと出会った時、何となくその正体を掴めた気がした。明らかに敵意を感じる瞳と声色で礼を述べてテツナを連れて帰った彼女の片割れに、宮地は姉に近づく不埒者認定されたのだ。そして、それはあながち間違いじゃないと宮地自身も思う。可愛げがないと言いつつ、そんなところが可愛くて、必要以上に構いたくなってしまうのは、つまりそう言うことなのだ。


予定は調和させません


Title by ダボスへ



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