その視線の先にあるものはよく知っていた。当然だ。黄瀬はテツナの、ふとした瞬間にそちらへと向けられる暖かな眼差しに心惹かれたのだから、それに気付かない訳がない。自分の教育係となった彼女の双子の片割れ同様、あまり感情の起伏がなくて、やたらと落ち着いた性格のテツナが他とは少し違った感情を映した目をするものだから、初めてそれに気付いた時、思わず彼女から目を逸らしてしまったことを黄瀬は未だによく覚えている。マネージャーとして桃井に負けず劣らず周りをよく見ている彼女が、青峰を見るほんの僅かな瞬間の瞳には、黄瀬や片割れを含む他の部員たちを見る時とは明らかに違う色が映っていた。黄瀬や桃井のような目敏い人達にしか気付けないほど自然な流れで向けられ、たった数秒で逸らされる短い視線でも、青峰と自分たちとの差を十二分に理解させた。そんなテツナの、決して自分には向けられない憧憬と隠れた恋情が混ざった瞳を見る度に、黄瀬の目も次第に彼女を追いかけるようになった。最初は単なる好奇心。淡白そうなイメージの彼女が恋慕を募らせてどう変わるのかに少し興味があった。初めの内はそれだけだったのに、いつしか衰えることも燃え上がることもない彼へ向けられる嫋やかな想いが羨ましくなった。その淡い色合いの瞳にこめられた熱が欲しくなった。黄瀬もテツナ同様、その想いが言動に表れることはなかったけれど、ただ一つ、ふとした瞬間に向けられる視線だけは少し饒舌だった。彼女が全体に目を配る際に紛れて、穏やかな熱を帯びた眼差しで青峰を見るように、黄瀬もまた周りへ配る視線に上手く混ぜこんで彼女を盗み見た。まるで、忙しなく家事をする母親の後ろに付いて回っては、こっちを見て、遊んでと服の袖を引っ張る幼子のように黄瀬の目は彼女の後を追い続けた。けれど、テツナにそんな瞳を向けられている青峰も、同じように黄瀬にそれを向けられているテツナも自身に向けられているものの存在には気付いてくれなくて、結局は二人してスタート地点に肩を並べて立ちつくしながら、お互いの視線が絡まることもなく時間ばかりが横を追い抜いていく。いたちごっこだ。二人して想いが表面化することがないから尚更。自身の、そして彼女の想いの行き場がいつ迄も無いことに歯痒さを感じずにはいられないけれど、黄瀬は何か行動を起こすつもりは毛頭なかった。テツナが彼女自身も大好きなバスケを他の誰よりも心底楽しそうにプレーする青峰を見ているだけで満足だと感じているのなら、マネージャーとして友として隣にいるだけでいいと思っているのなら、黄瀬も今のまま平行線を辿るだけでいいと思う。狡い考えだが、テツナが動かないなら自分も動かない。もし彼女が何かしらの行動を起こした時の自分の身の振り方はまだ考えていないけれど、その時はその時だ。だから明確な言葉や行動の代わりに、今日も何気なく窓から空を見上げるような自然さで黄瀬の双眸はテツナを追いかけるのだ。
もう恒例となった1on1を青峰に挑んで、全く追いつくことが出来ない力量の差に今日もまた悔しさと、それ以上の高揚感と憧れを覚えながら負けるものかと食らいつく。相変わらず感嘆してしまうほどキレの良いターンで黄瀬を翻弄して、そこで生まれた隙をついて青峰は素早く切り込んでいく。これで何度目だろう。青い閃光が自身の脇をするりと通り抜けていくのを見るのは。そして彼が通り過ぎた後の視界の中で、一等輝いた瞳でその姿を見るテツナの姿を見つける羽目になるのは、きっと、もうその回数を数えるのが億劫になる程だろう。青峰が彼自身の能力を高め、より洗練されたプレーを見せる度にテツナは、テレビの中の正義の味方を見つめる子供みたいに無邪気な憧れを映した瞳で彼を見ていた。先程ように見事なプレーをした時は嬉しそうに頬を緩めることさえあった。彼女の瞳に映るのは毎回敗北の烙印を押される自分ではなく、そんな自分の横をいつも容易く通り抜けていく青峰ただ一人だ。その時の彼女の視界の中では、自分は目にも止めてもらえない背景の一部なのだろうと黄瀬は思う。けれど、通り抜けていく青を僅かにでも掴むことが出来たのなら、沈黙を保ってそこにあるだけの背景から抜け出して、自分の意思で動ける一人の登場人物になれるのではないか。そう思うと、少し挫けそうになる自分を叱咤できた。初めて何度も何度も味合わされる敗北と追いつけない焦燥感。募る悔しさが結局はそんな遥か前を走る背中を目指す楽しさに変わるように、自分を見ることはない瞳がいつか自分にも向けられるのではと言う淡い期待を変わらず抱かせてくれた。青峰が自身の前を走り続ける限り、テツナがまだ同じスタートラインにいる限り、黄瀬は追いかけることをやめるつもりはなかった。今の自分に出来ることはただ只管に追い掛け続けることだけだから。

「お疲れさま」
「やっぱ、青峰っちは凄いッスね。まだまだ敵わねぇや」

体育館の壁に寄りかかって荒い息を整えていた黄瀬の前に真っ白なタオルとスポーツドリンクが差し出される。それに礼を言って受け取れば、いつも通り淡々とした口調で「そうだね」なんて返されるものだから、黄瀬はタオルで顔を拭きながら柔らかなタオル地の下で少し情けない笑顔を浮かべた。自覚していることだけれど、あんな嬉しそうな目を見た後に彼女からそう言われてしまうと、ちくりと小さな棘が胸に刺さって情けなくも眉が下がる。彼女に悪意なんてないし、先程の言葉はいつもの軽い冗談だと分かっている。そう、普段なら特に気にも留めないような他愛ない言葉のやり取りだ。それでも少しだけ胸の辺りでそれらが引っ掛かって一瞬言葉を詰まらせる。そんなにはっきり言わなくても、と何事もなかったように冗談混じりにそう茶化して、いつも通り駄々を捏ねる子供みたいな声色で戯けてみせる。タオルを退けて目の前に立つテツナにへらりと笑いかけるその表情は、いつもと変わらない黄瀬涼太そのものだ。上手く笑顔の下に感情を隠せていた。伝えるつもりのない余計な感情はひっそりと胸の奥の方にしまわれていた。いつも通りの自分で在れた筈なのに、少しだけきょとんとした表情を浮かべた後、黙って黄瀬の隣に移動したテツナは同じく壁に背を預けるようにして腰掛けた。思いの外、その距離が近くて少し肩に力が入る。いつも真っ直ぐに相手を見つめる淡い色合いの瞳は前に向けられていて、物静かな横顔だけでは彼女が何を考えているのか益々分からなくなる。本当に今は何を考えているのだろう。やはり彼女は相変わらずあまり感情を表に出さないから、予想することも突きとめることも叶わなくて、余計なことばかり考えてしまう。例えば、この距離感と二人だけの状況に心臓が煩く騒いでいるのは自分だけなのだろうな、なんて女々しい考えが頭を過るから内心自嘲する。傍にいれることは嬉しいけれど、その瞳に映してもらえないのは悔しくて、色んな感情が混ざって歪んでしまいそうになる表情を隠せるように、黄瀬はさり気なく汗を拭く振りをしてタオルで顔を覆った。

「上手くなったね」
「へ?」
「毎日思うの。あぁ、昨日より良くなってるなぁとか、また新しく出来ることが増えたんだなぁ、って」

黄瀬の無意識に零れた間抜けな声に小さく笑って、テツナは更に言葉を続ける。一つ挙げる毎に一本づつ指折り数えながら、この前はこれが出来るようになった、最近前よりディフェンスが上手くなった等、時には自分では気付いていなかったことまで次から次へと挙げられていく。意外だった。すらすらと止まることなく挙げられるほど、些細なものさえも含め、自分の成長についてテツナが知っていてくれたなんて黄瀬は思いもしなかった。驚いてタオルを退けて隣に目を向けると、頭の中に記録してきた部員に関する情報の中から黄瀬に関するものを、一文字一文字、丁寧に指で文字をなぞって読み上げるように思い出していく彼女がいて、その横顔はとても楽しそうに見えた。あとはね、と更に言葉を続けようとした時に、瞠目してまじまじと自分を凝視してくる黄瀬のらしくない表情に気づくと、堪えられないとでも言うように彼女はくすくすと笑みを零す。自身に向けられた擽ったそうなその笑みにいっそう胸が騒ぎ出す。テツナの瞳が青峰を追い掛けるのと同じくらい自分のそれも彼女を追っていたと言うのに、彼女から自身に向けられていた目に黄瀬は気付くことが出来ていなかった。瞳に込められた意味は違えど、彼女は確かに黄瀬だけを見て、その成長を追いかけてはこんな風に喜んでいてくれたのだ。そう自覚させられると胸の辺りがじんわり暖かくなった。同時に、先程まで出来ていた彼女の顔を真っ直ぐに見ると言う造作もない動作さえも、もう簡単には出来そうになかった。

「落ち込むことないよ。黄瀬はいつか絶対追いつくから」

その言葉がお世辞や慰めではないことは、普段の彼女を見ていれば分かることだったし、何より真っ直ぐに向けられた誇らしげな瞳を見て、そんなくだらない疑念が浮かぶはずもなかった。これは素直に受け取って、喜んでいい言葉。自分に与えられた真っ当な評価と声援だ。彼女の片割れがそうであるように淡々と容赦ない毒を吐かれたことは多々あれど、そんな彼女からこんなにもストレートに褒めてもらえたのはこれが初めてだった。耐性がない分、あまりの威力にいつものようにへらりと笑って躱すことも出来なくて、黄瀬は自身の顔に集まる熱を抑えられそうにもなかった。もう既に格好がつかない状況だけれど、それでも流石にそんな情けない顔を晒したままにしておく図太い神経は持ち合わせていないので、膝を立ててそこに顔を埋める。あー、もう!悔しげに悪態をつく。卑怯だ。不意打ちにも程がある。言葉一つ。たった、それだけのことでこんなにも一喜一憂させられるのだから困ったものだ。

「テツナっち、ずるい……」
「褒められ慣れてるモデルが何言ってるの」
「いや、それとは別物じゃないっすか…!」

少し覇気のない弱々しい声で反論する黄瀬の頭に何かが触れた。柔らかな金糸の髪をぽんぽんと数回撫でて離れていった頃に、やっとそれが彼女の手だったのだと気付いて、心臓がいっそう大きく跳ね上がる。脈を打つテンポが速くなる。どうして、そう、心臓に悪いことをするのか。照れ隠しに何か言うことも出来ないくらい、珍しく黄瀬は焦っていて、頭を撫でてくれた小さな手の感触を思い出しては騒ぎ出す心臓を抑えるので精一杯だった。

「前だけを見て突っ走ってる方が黄瀬らしいし、そう言う直向きな姿に私も励まされてるんだよ」

少し離れた所からテツナの名前を呼ぶ桃井の声がして、隣で立ち上がる気配がした。ちゃんと水分取ってね、だとか何とか。そう、マネージャーとしての言葉を残して彼女は去って行ったような気がしたけれど、励まされてるよと言う、先ほど投下された本日最大の爆弾が頭の中で何度も繰り返し投下されていて、正直その他の声に耳を傾けているどころではなかった。まだ赤みの引かない頬を口許をタオルで覆うことでさりげなく隠しながら、そろりと桃井と話をしている彼女の方に目を向ける。偶然か否か。淡い色合いの瞳とかち合う。目元が緩んで、柔らかな眼差しが黄瀬へと向けられる。やはり其処には青峰に向けられるような感情は見受けられない。テツナの瞳に映し出されているのは、桃井や紫原と言った仲の良い友人に向けられるそれだ。そうだとしても、あんなにも穏やかな瞳が今は自分ただ一人に向けられていると言うことは素直に嬉しいことだった。交わること数秒。直ぐに彼女の瞳は桃井の方へ戻ってしまって、視線が合わさった一時のことが既に懐かしい。名残惜しげにその姿をぼんやりと眺めながら、手持ち無沙汰になってしまったので彼女から貰ったスポーツドリンクに口を付ける。自身の諦めの悪さと粘り強さも少しは報われているのだろう。ならば、今はそれだけで十分だと黄瀬は思う。求めるものが手に出来なくても、彼女の世界の中で少しでも存在を主張出来ているなら、今のところはこれ以上の高望みはしない。無い物ねだりもしない。ただ、今までと変わることなく直向きにバスケに打ち込むだけだ。だってテツナが言ってくれたように、前だけを、そして先を行く青峰の背だけを目指して只管に走り続けている時が、煩わしい外面も何かもを投げ捨てて、黄瀬涼太が一番自分らしくいられる時なのだから。


あなたが恋しくなくなる日なんて来なくて良い


Title by 3gramme.



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