まさかこういう関係になるとは思いもしなかった。そう思うのはテツナに限らず、桜井もだろうし、二人の周りの人々もそうだろう。当初は事務的な会話しかしない、ただのクラスメートであり部活仲間でしかなかった。あまり口数が多くないテツナと、口を開けばスイマセンと謝るばかりの桜井との間に親密な繋がりが出来る訳もなく、時に青峰を介することで僅かながら他愛もない会話が成り立つような関係だった。別に意識して避けていた訳ではないし、苦手意識があるわけでもなかった。ただ、きっかけがなかったのだ。お互い人より社交性の欠ける性分だから、何か関わるきっかけのようなものがないと相手に言葉が向かない。だから何とも味気ない会話ばかりだったし、間に第三者を挟まなければ話も弾まない。当時の二人の関係は言うなれば、知り合い以上友達未満だった。それが今となってはどうだろう。友達を追い越して恋人だ。随分と進歩したと自分達でも思ってしまうくらいには、現状は二人にとって意外な未来だった。まさか、こんな風に桜井にご飯を作って貰ったり、彼の部屋が自分の部屋と同等の落ち着きを与える場所になったりするなんて、あの頃の自分には想像も出来なかった筈だ。伸ばした手すら届かないような遠さだった距離は、今では肩が触れ合うほど近くまで縮まっていた。息をするのと同じくらい隣に居ることが当たり前、それが自然な在り方。意外と大きな桜井の手が触れる時の擽ったい幸福感は他の誰にも譲ってなんかやらない。桜井の隣も、彼が与えてくれる暖かな感情達も全て、他の誰でもないテツナだけのものだ。
他人を挟んで保たれていたか細い繋がりを、自分達だけの手で繋ぐまでに至ったきっかけは意外にも桜井が得意とする料理だった。食は細いが自分が作った料理をいつも嬉しそうに食べてくれる片割れと、遠慮のえの字もないほど当たり前に手作りのお菓子を催促してくる紫原のおかげもあって、何かとこの二人に甘いテツナは彼等の為にお菓子類を中心とした料理を作ることが多かった。回数を重ねるごとに増す技術と、何より喜んでくれる相手がいることにより、いつしか彼女も趣味に料理を入れれるくらいには台所に立つのが好きになっていた。経緯は違えど、誰かの為に腕を振るうのが好きな桜井とテツナは料理に対して似たような感情を持っていた。バスケ以外で初めて見つけた二人の共通点。それもまた、青峰が桜井に弁当を作ってくるように言ったおかげで見つけることが出来たことだったのだけど、お互いが相手との会話のきっかけを掴むことが出来たその日から少しづつ距離が縮まっていった。
特に気にも止めないようなことでさえ直ぐに謝るところを除けば、桜井の隣は意外と落ち着く場所だった。過剰すぎると時々は思うけれど、そうやって謝ってばかりいるのはそれだけ桜井が気を配れる性格だからだとテツナは思っている。小さなことでも見落とさずに気付いてくれて、迷いなく手を差し伸べてくれる優しさに助けられたから、いつしか桜井は彼女にとって特別になったのだろう。たまに見せる負けず嫌いなところも、自身とその片割れがそうであるからか好感が持てるところだった。意外と男らしいよ。そう言って桜井のことを語ったテツナの表情があまりにも自分の知らない女の人の顔をしていたものだから、その時、片割れは言葉にはしなかったけれど言い様のない寂しさを感じていたなんて彼女は知らないのだろう。そうやっていつの間にかテツナは桜井に染められて、一緒にいることが普通になっていった。未だにその予想だにしなかった自分達の在り方に擽ったさを感じるけれど、言うまでもなくこうやって共に居れることに満足している。寧ろ与えられた現在は充分過ぎるほどの幸福だ。

「良、手伝うよ?」
「あ、ありがとうございます」

夕飯の準備をしている桜井にそう声をかければ、ふにゃりと蕩けてしまいそうな気の抜けた笑顔を向けられる。自然にありがとうと言う感謝の言葉が出てくるくらいには深まった自分達の関係にテツナは笑みを溢さずにはいられない。もう、桜井が彼女に対して過剰な謝罪の言葉を並べることは殆どなくなった。申し訳なさそうにして今にも泣き出すのではないかと言う表情より、春の陽だまりのような笑顔の方が多くなった。相変わらず他の人にはおどおどしているのだけど、彼女に対しては驚くくらい穏やかで暖かい表情と声色が返ってくる。その、一つ一つの表情の変化や素直に感情を乗せる音が自分にだけ向けられるのだと思うと、言いようのない満足感をテツナは感じてしまう。何かにこれほど強い独占欲を抱くなんて今までなかったことだったから、時々自身の感情に戸惑うこともあるけれど、それだけ相手を想えるようになれたのはある意味では進歩なのだろう。それに、一時のものではなく揺るがない確かなものがあることは幸せなことなのだとテツナは思う。想いの余りに縛りつけてしまわないよう気をつけながら、けれど離れて、離してしまわないようしっかりと手を握る。テツナも桜井もそうやって共に時間を過ごしてきた。想ってくれる相手がいることと同じくらい、想える相手がいることも素敵で幸せだ。いつだったか片割れがテツナに投げかけたそんな言葉を、こんな風に有り触れた日常の中で噛み締めては、自身の胸の真ん中がほっこりと暖かくなるのを彼女は感じていた。二人で並ぶと少し窮屈なキッチンで、肩を並べながら同じ作業をする今みたいな時は尚更。盗み見た横顔が自分と共に居る時に見せるものだと気付いた時の、この胸を擽る愛おしさが堪らなく幸せだった。

「何だか新婚さん、みたいですね」

野菜を切る手を止めることなく、桜井は照れ臭そうにそう言った。頬がほんのりと赤みを帯びて、柔らかく煮込んだ甘いコンポートみたいに蕩けてしまいそうな微笑みが、更に紡がれた言葉に甘さを乗せる。きっと桜井のことだから無意識に音にしてしまった言葉なのだろう。深い意味なんてそこには存在していなくて、心のまま素直に紡いだ無意識と言う彼らしいタチの悪い甘言。そう、テツナだって分かっている筈なのに身体は正直者で、真っ正面からその言葉を受け取って頬を桜井以上に赤く染め上げてしまった。赤みの広まった両頬から身体中を電流のように熱が駆け巡っていくのをテツナは感じた。頬だけじゃなく、水に触れている指先さえ熱を持っているような気さえした。一人だけ意識しているのが恥ずかしくて、ちょっと悔しくて、テツナは隠すように下を向く。細やかな抵抗はあまり意味をなさない。髪の隙間から除く耳でさえ赤く染まっているものだから、何の反応も示さないテツナに少し不安になって彼女を盗み見た桜井にその即席の防壁は脆くも崩れ去った。なかなか見れない真っ赤になって照れる彼女の姿に、やっと自身の言葉が含意する大胆な告白に漸く気付くと、途端につられて桜井も同じく頬を赤く染める。互いに手際良く調理をしていた手は言うまでもなく止まっていて、未だに引かない頬の熱もそのままにあたふたとし始める桜井と、同じく火照った頬と口許を両手で覆って隠すテツナは背筋を擽る沈黙に更に羞恥心を煽られていく。けれど、自分達の間に流れる空気は決して不快なものなんかじゃなくて、今の関係になった当初の頃のような、砂糖をたっぷり入れたココアみたいな甘ったるさを含むそれだった。

「あ、いや、そのっ…そう言う意味じゃない、訳じゃなかったけど、その…あの」
「だ、大丈夫!私こそ…変な反応して、ごめんなさい」
「いえ、嬉しかったし、それに」

急に試合中に見せる表情で桜井はテツナを見つめた。あちこちに彷徨っていた目は今は真っ直ぐにテツナに向けられている。顔の赤みは引いていないけれど、浮かべる表情は彼女が片割れに男らしいと内心自慢気に語った、競争心に燃えた時のそれだった。桜井の右手が彼女の左手を掴む。逃げないで、いや逃がさない。まるでその手からそんな風に言われているように感じた。テツナの手を容易に片手で包み込めてしまうその手に、彼女が痛みを感じないように気を配りながら力をこめる。桜井の心を表すように、テツナを見つめる双眸は痛いほど真っ直ぐだ。そんな瞳から逃れられる訳がなかった。

「テツナさんと、そんな風になりたいって…お、思ってますから!」

お互い、頬の赤みは増すばかり。疾うに羞恥心の臨界点を超えた桜井は、いつもの彼のようにオドオドすることもスイマセンと謝ることもなかった。ただただ真っ直ぐな瞳でテツナを見ている。包まれた手が酷く熱を帯びていた。見つめてくる瞳が逸らすことを、無視することを決して許してくれなかった。耳の直ぐ傍で自身の心音の音がけたたましく鳴り響く。これは言葉の通り、そう受け取っていいのだろうか。成人したとは言え、まだ互いに学生の身分ではあるけれど、桜井の中では自分との未来が描かれているのだと自惚れてもいいのだろうか。テツナにしては珍しく、表情にも態度にも戸惑いと期待と喜びが一気に混じり合った様が有り有りと浮き上がる。恐る恐るテツナは空いてる方の手で桜井の左手を握った。この繋がった部分から言葉にしても足りないくらいの想いが伝わればいい。桜井がテツナの左手にそうするように、テツナも桜井の左手を握る手に力をこめる。桜井が言葉にした未来のようにあって欲しいとテツナだって願っているから。

「今の言葉…忘れたら怒るよ」
「は、はいっ!」

数年後も、数十年後も今日みたいに肩を並べて料理する自分達でありたい。頬に僅かながら赤みを残しつつも、お互い、やっといつものように笑いあう。軽く腕を引けば、より縮まる距離と触れ合う部分から自然と伝わってくる相手の鼓動。未だに砂糖菓子みたいな甘さを含んだ空気に背中を押されて零になった距離に、桜井もテツナも擽ったそうに笑みを溢した。


手紙にだって日記にだって書けない


Title by ダボスへ
フリリク企画 うずらら様へ



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