何となくだが、緑間とテツナの間には入り込めない何かがあるように感じていた。だからこそ、始めのうちは付き合っているのだとばかり思っていたし、今でも時々、こいつ等は本当はそういう関係なのではと疑いたくなることもある。相手との間にある垣根をひょいっと乗り越えて、自然に距離を縮めていくのは得意だけれど、未だに彼等と自分の間には越えることが出来そうにない壁があるように高尾は感じてならなかった。入学当初から比べれば、もう随分と仲良くなっただろう。緑間は認めたがらないだろうが、部活もクラスも一緒と言うのもあってよく共に過ごすから、周りから見れば高尾と緑間、テツナの三人は仲の良い三人組なのだ。それでも、時々声をかけることを戸惑われることがある。穏やかに言葉を交わす時も、よく見かける嫌味のドッチボールをする時でさえも、二人だけにしか分からない合言葉でもあるかのように、そこに容易に踏み込めなくさせている何かを感じることがある。それらは共に過ごした時間の長さと、共有してきた日々の濃さによって培われてきたもの。お互いに反りが合わないと言う割に、意外と似ているところもある二人は高尾が身を以て知ることが出来ないものを共有している。年単位で過ごしてきた彼等の間に入るには、自分はなんと頼りない繋がりしか持たないのか。普段はあまりそんなことを気にせず飛び込んでいけるのに、緑間とテツナの間にだけは、踏切線の前で飛び越えようと力を入れた爪先から力が抜けて急に足が止まる。踏み出すことを躊躇させる何かがそこにあって、結局行きたい所に行けず終いで終わってしまう。緑間とテツナの単体それぞれとなら、今までがそうであったように友好な関係を築けているし、何かしらの隔たりなんて感じることなく一緒に過ごすことができていた。そうやって個人個人として付き合う場合は絶妙な距離感を保って足を前へと進めることが出来るのに、二人が一緒になった時はそうはいかなくなる時がある。誰かから、そうするように求められている訳でもないのに、踏み込むことを許されているのか否か、それを見極めるのが途端に難しくなって足が止まる。毎回ではないけれど、確かにそう思わされる時があって、きっと今はその時なのだと高尾は思った。

緑間は自分が中学時代、彼に味わされたような敗北の苦味など知らないのだろうと高尾は思っていた。その予想は高尾の僻みでも何でもなく正しい事実であったし、そんな緑間の高慢にもとれる意識をぶち壊すのは自分でありたいと、秀徳に入学するその時まで高尾は思っていた。そう意気込んで此処に入学してきたと言うのに、なんと現実は残酷なことか。高尾の今の居場所は緑間のチームメートと言う正反対の立ち位置で、そんな緑間に一泡吹かせてやる役目を全うしたのは勿論高尾ではなかった。その人物は自身と何処か似たようなものを感じた緑間の嘗てのチームメートで、更にはテツナの双子の弟だった。いったい何処まで自分はその輪から弾かれるのだと、半ば八つ当たりにも近い感情が顔を出す。黒子テツヤを嫌いだと、反りが合わないと何の迷いもなく口にするクセに緑間は彼の才能を買っていて、同等の相手として扱っていた。これは既に分かってはいたことではあったが、やはり黒子テツヤを含む緑間とテツナの同中組の中には入っていける訳もなかった。彼等は彼等で高尾の知らない何かを抱えていて、入り込む余地すらそこには見つからない。高尾は当たり前だが部外者だった。
どうやら彼等が共有するその「何か」は、今日この日に、絡みに絡まったその糸を少しだけ解くことが出来たようだった。高尾の、緑間の、秀徳の敗北によって。この試合で、きっと高尾の知らない何かが変わった。その変化の波を一番大きく受けたのが緑間だったに違いない。秀徳に入る前まで、高尾が緑間に味合わせてやりたいと思っていた敗北を、嘗てのチームメートが彼自身のプレーを持って緑間の目の前に叩きつけたのだ。心境に何かしらの変化があった筈だ。だから、緑間は一人で控室を出ていったのだろうし、こうやって探しに来るまでずっと考え込んでいたのだろう。雨の中、濡れることも厭わずにポツリとそこに立ち続けて。そのことについて、何を言うつもりも高尾にはない。今の緑間の心境なんて想像するまでもなく、今まさに自身が抱いているものと同じだと分かるし、今回の結果を受けていろいろと考えたいことがあるだろうから一人になったのだとも理解している。けれど、緑間の傍にもう一つの人影を見つけた時、高尾は自身の中に急に顔を出した他の感情を自覚せずにはいられなかった。きっと、今まででこれほどまでに差を見せつけられたことはないだろう。無意識の内に痛いくらい強く拳を握っていた。高尾の切れ長の瞳は驚きで見開かれると同時に、普段以上の鋭さを纏って射抜くようにその光景を凝視していた。そうだ。そこには僅かな隙間さえ最初からなかった。そんなこと、もう既に分かりきったことだった。それなのに、何を秘かに期待していたのだろう。彼等にとって部外者の自分が、そこに足を踏み入れられる訳がなかったのだ。

「……、…」

雨音にかき消されて聞こえなかったが、テツナが何か言葉を発したことだけは分かった。思わず高尾は咄嗟に身を隠す。見てはいけないと思うし、見たくないとも思う。それなら、さっさとその場を離れてしまえばいいのに高尾にはそれができなかった。再び二人に目を向けながら、自分は何をしているのだといろんな感情が入り混じった頭で考える。そもそも、高尾の知らぬ間に選手控室を出ていって行方をくらました緑間を真っ先に探しに出たのはテツナだった。それに続いて高尾は探しに出たのだから、テツナが先に緑間を見つけていても何ら驚くことではない。それでも、テツナの姿を認識した瞬間、緑間に駆け寄ろうとしていた足が止まった。かけようとしていた声が喉の辺りで急ブレーキをかけて、釘を打って固定したようにそこから視線が反らせなくなった。二人の間には途中参加の自分には入り込めない部分があると自覚していたのに、急に目の前に大きな壁を建てられて完全に隔てられたような感覚がした。今更その存在を再認識するほど鈍感ではなかった筈なのに。
高尾の視線の先で、テツナはまた何か言葉を紡ぐ。多分、それは謝罪の言葉なのだろうなと高尾は思った。追いかけてきたことに関してか、それとも彼女の片割れか試合に勝ったことに関してか。その理由は定かではないが、自身に非がある訳でもないのに彼女は謝罪の言葉を口にする。緑間同様にびしょ濡れになった彼女は俯いていて顔は見れないけれど、少し離れたところで二人を見つけた高尾にも分かるほど肩が震えていた。寒さのせいだけではないのは、先程の彼女の様子からも明らかだった。泣いているのだ。テツナは今、泣いている。人前で泣くなんて絶対に嫌だと思ってそうな彼女が、互いに苦手だと評する相手の前で泣いている。これだけで十分に分かることもある。やっぱり緑間とテツナの間には、他者を入り込ませない特別なものがあった。それを恋情だと決めつけるのはまだ早いし、認めたくないとも思うけれど、彼等の間には他者の侵入を決して許さない程の確固たる信頼があることだけは覆せない事実であった。彼等の持つ信頼と言う繋がりは、自分と緑間が、そして自分とテツナが、それぞれの間で築いてきたものよりも遥かに大きく強固なもの。見せつけられた差に最早笑うしかないと諦めた自分がいる筈なのに、そんな心境でも実際は乾いた笑みさえ浮かばない。意外と現実は高尾に重たくのし掛かっていて、身体だけでなく頭も上手く回らなくさせる。高尾は今日、二度目の敗北を味わったのだ。

「緑間、ごめん……ごめん、なさい……」
「馬鹿か。お前が謝るようなことは何一つないのだよ」

微かだが先程より声量が増したらしい彼女の声が聞こえた。その声色はいつもより感情を露わにしているように感じた。少しも取り乱すことのない緑間の淡々とした声が更に彼女の声を際立たせる。彼等の声に耳を奪われ、目の前の光景に目までも奪われる。高尾の視線の先で、テツナの手が恐る恐ると言った具合に緑間のシャツを小さく握る。その、瞬きの隙に終わってしまうような短い時間の中で行われた行為が、映写機のネガを一つ一つ丁寧に映しているみたいに、ゆっくりと高尾の瞳に焼き付けられていく。気づくことさえ出来ないくらいに早々と過ぎ去っていって欲しい光景や時間ばかりが、スローモーションに感じてしまうのだから憎たらしい。普段の凛とした意志の強さを感じさせる姿とは打って変わって、今にも崩れてしまいそうなほど脆く弱々しいテツナの姿は、まるで助けて欲しくて足元に縋ってくる小さな子猫のよう。緑間へと伸ばされた彼女の震える手は、自分の存在に気づいてもらう為に力を振り絞って鳴く、子猫の微かな鳴き声と同じだと高尾は思った。出来るならばその子猫を抱き上げて、温もりを分けてあげるのは自分でありたかった。微かに震えている身体を優しくぽんぽんと撫でながら落ち着くまで傍にいてあげたかった。ごめんなさいと、非がないのに謝り続けるのを止めて、その代わりに気が済むまで感情を吐き出していいと、そんな悪事を明かすように泣かなくてもいいのだと言ってあげられるその立ち位置が自分のものであったならば、どれだけ救われた気持ちになれたことだろう。
今まであまり意識してこなかった、否、意図的に意識しないようにしてきたが、高尾はテツナを友人だとか部活仲間とかのカテゴリーだけでなく、好きな人と言う枠内にいつの間にか入れていた。部活みたいな狭いコミュニティの中での恋愛沙汰なんて面倒臭いから御免だと思っていた筈なのに、結局は自身の気持ちを無視することが出来ないところまでやって来てしまった。けれど今の高尾には、好きな人の、テツナの泣いている姿を見ていることしか出来ない。それどころか、他の奴が慰めている姿をただ黙って傍観するしかない。全く、なんと歯痒く惨めなことか。目の前に築かれた、侵入を許さない大きな城壁を前にただ拳を握りしめるだけで、その壁をよじ登ることも壊すことも出来ずに立ち尽くす。二人を目の前にした時、その間にある絆を様々と見せつけられた時、高尾は途端に意気地なしになる。いつもの飄々としたノリで二人の間に入って行けばいい。そろそろ帰る時間だと、そう伝える為にわざわざ探しに来たのだから、その目的の為に彼らに声をかければいい。手段や言い訳はいくらでも思い尽くのに、やはり足は動いてくれなくて、踏み出す勇気が出てこないのもだから高尾はただそこで二人を見ているだけだった。
その時、緑間の手がテツナの髪に触れた。そっと、まるで幼子にするように彼の手は彼女の頭を優しく撫ぜる。神経質なまでに手入れを欠かさない彼の指がゆっくりと彼女の髪の間を通っていく。その光景に、一瞬、息の仕方を忘れたのかと錯覚するくらい、ぎゅっと息が詰まる思いがした。

「くそっ……」

目の前の光景は高尾の複雑な心境に更に追い打ちをかけるように、普段は穏やかな水面を波立たせる。そんな簡単に触れないでくれ。醜い感情が顔を出しては高尾の中で煩く騒ぐ。自分は手を伸ばすことさえ躊躇われるのに、緑間は普段の様子から全く想像できない程に迷うことなくテツナに触れる。まるで、そうすることが当たり前とでも言うように、今その手は彼女の為だけにある。感情が昂ぶって、冷静な判断が出来ていない彼女を落ち着かせる為に優しく髪が梳かれ、当たり前のように引き寄せられたテツナはその頭を緑間の身体に預ける形になっていた。躊躇いながらも彼女の左手は片方の手と同様に緑間のシャツを掴み、びしょ濡れの胸に額を預けた態勢のまま彼女は更に肩を震わせて泣き始めた。堪えきれずに漏れ出す嗚咽の音が雨音の隙間を縫って高尾の耳に届く。高尾には緑間の表情を窺い知ることは出来ないけれど、相変わらず彼女の頭に乗せられた左手が、幼子をあやすように優しく背を撫でる右手が、確かめる必要がない程その全てを物語っていた。きっと、緑間は今まで高尾に見せたことがない優しい目をしている。友人や家族に向ける眼差しとは異なる特別な感情を潜ませたそれをテツナに向けているに違いなかった。
腹の底からせり上がってくる、それら対する醜い感情を思いのままに口にする訳にはいかないから、高尾はグッと握りしめた手に力を込めて堪える。惨めだ。見せつけられた圧倒的な差に立ち向かう勇気さえ殺がれ、無様に立ち尽くす自分のなんと惨めなことか。行き場のない感情を落ち着かせるために、少しだけ曇天の空を代わりに睨みつけてから、鉛のように重たく感じる自身の足を叱咤して何とか歩を進める。高尾は逃げ出した。何もできずにその場に立ち尽くすことも、そうしているうちに抑えきれなくなった自身の感情が余計な行動を取りかねないことも堪えられなくて、その場から逃げたした。けれど脳裏にちらつく先程の光景が結局は高尾の中に燻る嫉妬や羨望を煽り、身体は逃げれても心は逃がしてはくれなかった。分かっていた筈だった。頭では現状を理解して、来るであろう未来も予想できていた。それでも、自身の心はそこまで追いついて来れなかった。その結果がこの惨めな今の自分だ。唇をキツく結んで、今にも溢れかえりそうな醜い感情に無理やり蓋をする。少しだけ時間が欲しい。頭を冷やして、いつもみたいに飄々とした態度で振る舞えるようになるための時間をくれ。そうしたら、何処行ってたんだよ!っていつも通り笑って、二人の手を引っ張っていつも通りの三人に戻れる筈だから。特に目的地もなく歩いていた足を止めて、傍の壁に背を預けて座り込む。未だに脳裏で繰り返される光景に高尾は苛立たし気に前髪をぐしゃりと掴んだ。知ってたさ。これからどうするべきかも、自身の立ち位置も。だって、道化の面を被るのは高尾の得意技だったから。


あなたのために終われ


Title by 3gramme.



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