Linhard so beautiful yet terrific.


1188年 2月19日
先日春一番の風が吹き、どうにもこうにも慌ただしい。早朝水やりをしに外へ出れば、庭に植えたクロッカスが一斉に咲いていた。小さいながらも霜や凍結にも負けずに育ってくれて何より!手塩にかけた甲斐があった。
今日は久しぶりに休暇を貰って、リンハルトと街へ出た。最初は1人で行こうと思っていたけれど、夫が道端に落ちていたのだから驚きだ。勿論、早々に回収した。さて、実はこの日、日記をこの時の為に書いたと思う出来事がある。ねぇ私、覚えてる?



「あと少しで寝る所だった」
「やめてよ…まだ賊がいて物騒なんだから」

まだ空気が肌に刺さるこの季節。どうしても行きたい場所があったので、一週間前からスケジュールを切り詰めて時間をあけた。ひと段落つき敷地内を抜け出して意気揚々としていると、前方に見覚えのある洋服が見えたので、足を止めてその姿に目を凝らす。眠そうに地面に向かって蹲っているのはリンハルトのようで、ギョッとして駆け寄った。そもそもなんでこんなところにいるんだ!私の心配を他所に当の本人はのんびりとあくびをしながら立ち上がる。

「金融記帳、経過報告、現場確認、運搬管理……はあ。君のお父さん、僕の事使い勝手の良いルークだと思ってるよね…。主人公がいないと馬車馬のように働かせるんだ」
「逃げてきたの?」
「人聞きが悪いなぁ。お忍びデートの先回りって言ってくれない?」
「デートなのに何で先回りしてるんですか」
「ほら、歩いて歩いて」
「むぅ…」

痛い所を突いてやったのか、リンハルトはせかせかと歩き出した。それを追うように私も歩き出す。今頃実家ではリンハルトを探し回っているだろうなぁ、いや、1人労働者が居なくなったからそもそもその時間がないかも。父の形相を想像しくすくすと笑ってしまう。それにしても、普段街に行こうとしないくせに珍しい事もあるもんだ、彼がこんな所まで出歩くなんて。そう思いながらリンハルトの横に並ぶと、ふと気がつくことがあった。

「あれ?着替えた?」
「違う、朝からこれだよ」
「はは〜ん、最初から抜けだすつもりだったのね」
「君はというと、昨日からコソコソ怪しかった」
「コソコソしてない!」

リンハルトはいつもの紳士服ではなく、お気に入りのローブを着ている。昔からこれが一張羅だと言っていて、戦争の時から着ていたっけ。確かに昨晩、懐に入れるお金と着る洋服を見繕ってたから就寝した。明日お休みというのはリンハルトに伝えていたけれど、なるほど。誰かと会うと思って怪しんでるな。戦果の最中、私達の進軍は所々に噂となり国民の士気や希望を広めたはず。その噂の中に勿論風貌なども含まれている。緑色のローブを着た上背の高い男と来たら、そこら辺の男は尻尾を巻いて逃げてしまうだろう。タンスの奥底にしまってあった服を取り出して、父にバレないよう家から抜け出し、私に追い抜かれないようにそこで待ってたと思うと、その健気さに、胸がくすぐったくなっちゃう。

「ふふ」
「なに急に」
「リンハルトも可愛いところあるなって」
「うるさいよ」

からかうと少し顔を赤くさせ、ふいっと横を向いてしまった。そんなハズないと思いつつやっぱり心配だから着いてきたのかな。考えがバレたと察したリンハルトは、少し恥ずかしそうだった。彼の照れる顔は可愛い、初めて見たときはその表情が胸に刺さりすぎてどうしようかと思ったっけ。

「今日は香油を買いに行くの」
「…?…精油の事?」
「まぁそんな感じ、精油は体や服につけて楽しむでしょ?香油は髪につけるの」
「ふぅん、女性ってそういうのが好きだよねぇ」

リンハルトは興味なさそうに返事をするけれど、今はそんな事どうだって良い。だって、一週間も前から情報を仕入れ、欲しくて欲しくてベッドの中で指折り数えるほど待ち遠しかった物が、もうすぐ手に入るのだ!以前ヒルダちゃんが手紙に書き付けてくれていた、中々市場に出回らないという代物。絶対にゲットしたい!しばらく談笑しながら歩いているとガヤガヤと賑わっている場所が見えてきた。ここかな。

「大盛況だ」
「商人が来てるんだよ!ねぇ、見てくる!」
「わっ、ちょっと主人公…!……はぁ、子供みたいにはしゃいじゃって」

人波を掻き分けて展示物をぐるりと見渡す。その中で芳しい香りとガラスに様々な色が付けられた綺麗な瓶が目にはいった。あぁ、あれだ!近づけば女性達がわいのわいのと商品を吟味し、その手前で店員が持ち前のうんちくを披露していた。人の荒波に呑まれていると遠目からリンハルトが私を見ている。何が面白いんだかとでも思ってるのかな。やる気のない目が逆に私をほっとさせ、息を整えてから好みの香油を選ぶ。1番人気は薔薇なようだ、でもこの香りを嗅ぐとローレンツ君を思い出すんだよなぁ。だめだめ、試供品と書かれたガラス瓶を元に戻した。よく見るとずらりと並べられていると思った香油の種類は5つ程しかなく、女性達がせっせと目を光らせていたのはどうやら入物のようだった。ガラス瓶は細工が凝っていて、複雑な模様が彫ってあり、それだけで芸術品のように見える。容器を選んでからそれに合った香油を入れるのも悪くないかも。先にガラス瓶を決めちゃおう!そう思い、すぐ近くの棚に沢山置いてあるガラス瓶を手に取ってみた。

くるくると光に当ててみると、反射させて万華鏡の様に輝きを放つ。影までもが虹色に輝いている様に思えて、息を呑んだ。綺麗…、香油を使い終わったあとでもこれなら使い道がありそう。多くの中で私の目に止まったのは、奥の方にあるエメラルドグリーンの楕円のガラス瓶。蓋の装飾は蝶のモチーフ、縁柄は花があしらわれていて春の草原を思わせる。可愛い、装飾もそうだけれど、リンハルトの大好きな原っぱみたい。これにしようかな。今は天馬の節だし春の恵みを祈るのも兼ねて。それなら香油は、草原に根強く咲く花が良い。ガラス棚から目を移し、香油のサンプルの文字をじろりと吟味してみる………あ、ミモザなんてどうだろう?少し蓋を開けて匂いを嗅ぐとパッキリとした清潔感溢れる香りが先に鼻を通った。そのあとほのかに甘くなり心地よい風味になる。甘すぎず、苦味の感じる匂いもなく良い香り、まるで新芽の花が沢山ある丘にいるみたい。よしよしこれにしよう!

「すいません、これひとつください。香油はこれで」
「毎度ありー!あ、今おまけでチャームを1つ付けられるけどいかが?順番で少し時間がかかりますけど」
「是非お願いします!」
「では番号札をお渡ししますので呼ばれたら来てくださいね、今の待ち時間だと1時間くらい見て下さいな」
「分かりました、ありがとうございます」

やりとりを終え、自分のセンスの良さに笑みがこぼれてしまう。心無しか足取りも軽い軽い、1時間でも2時間でも待ちますとも!陽気な気持ちで立ったまま寝ている夫の元へと駆け寄ると、リンハルトは気配を感じたのかぱちっと目を開けた。

「ふあ……買えた?」
「まだ!1時間後だって!」
「いちじっ…?!……何処か暇を潰せる場所に行くしかないか…」
「私お腹すいちゃった、ご飯にしない?」
「それが賢明だ」

御得意の所までの道のりを行き、店に入ると昼時なのもあってか中が大層賑やかだった。中で食べる事も出来なさそうなので、取引先のよしみで持ち帰れる食事を提供してもらう事に成功する。買い食いみたいで両親が居合わせたならはしたない!と怒られそうだけど、リンハルトはそういう小言を言わないから好きだし、こういう些細な馬が合うのは居心地が良い。店主との与太話を終えると私が受け取ったはずのバスケットをいつの間にかリンハルトが持っていた。御礼をいうと何が?と返ってくる。照れてるんだか、無意識なんだか……ただ些細な優しさが嬉しい。

「どこで食べようか」
「主人公、こっちこっち」

嬉しそうに手招きしているリンハルトの方へついていくと、並木道につく。閑散としたそこは寒さはあるものの貸し切りのよう。こういう穴場みたいなのを見つけるのが得意だなぁと感心する。備え付けのベンチに腰掛ければ、外に晒されっぱなしの冷気が下から襲い狂い2人で身震いした。

「ひゃー冷たい!リンハルト、ファイア出してファイア」
「えぇ…加減が面倒…ここ一片燃えそう」
「だめ死人が出る…!」
「こんな時は紅茶でも飲んで手厚い暖を取らなきゃ、ほら淹れたから持って」
「あちっ!」

リンハルトがバスケットから小さなポットを取り出すと、そこから湯気が立つほど暖かい紅茶が顔を出す。受け取った茶器に入った紅茶は熱くて、悴んだ手を暖めた。自分の息で冷ましながら一口飲むと体の芯までじんわり熱が伝わる。この器、あとで洗って返さなきゃなあ。

「…あったかい」
「うん…でも僕は引き篭もって暖炉の前で一日中寝てたい」
「…熊か何か?燃えないでよね」
「春が恋しいよ」

サンドイッチをパクリと口に運び、噛むとレタスが水々しく音を立てた。うん、美味しい。

「そういえば士官学校、建て直しが進んでるってさ」
「あぁ、うん。中々長い道のりだったってこの間陛下が仰ってたなぁ。聖堂から着手したから学士内は後回しになってるって。寂れた部分は一度取り壊して…騎士団も出払っちゃってたから進まなかったらしいね。魔法で簡単に再建設出来ればいいのに」
「まぁワープで資材運びとかは楽にできるだろうね」
「ライブでどうにか修復出来ない?」
「出来るわけないでしょう。用途がそもそも違うんだから。大司教様だって骨が折れるよ」
「だよねえ」

風で冷える手を摩りながら紅茶を飲む。空っぽになった茶器をバスケットにしまってから、ぼうと空を見た。士官学校……士官学校か。私たちがあそこに居たのはもう7年前の事だ。時のうつろいは体感よりも簡捷で、切なく思う。もし私が生きている間に完成するのなら、あの失った空間に、再び足を踏み入れてみたい。

「そろそろじゃない?」
「うんうん!戻ろ!」

意気揚々と立ち上がった瞬間、北風が身体を通り抜け、暖まった身体に釘が刺さった。





「番号札宜しいですか?」
「はい!」

札を渡すと、店主は番号を見てから奥へと行ってしまう。硬貨を用意して待っていると、再び奥から今度はガラス瓶を持って現れた。どうでしょう?と確認を勧められ手に取ってみた。付けられたチャームは銀色の留め具に小さなガラス玉のようなものがつけられていた。キラキラしていて、とても綺麗。

「ありがとうございます、満足です」
「なら良かったです」

支払いを済ませて品を受け取る。手にした瞬間、なんとも言えない高揚感が胸から溢れだす。嬉しい、嬉しいすぎる…!今日の夜、お風呂に入る時につけてみようか?ふんわり匂わせたいからシャンプーのあとリンスー代わりに少しだけ髪に塗って…!

「よっぽど欲しかったの?」
「むふふ…わかる?」
「うん、不敵に笑ってるから」
「失礼なっ!」

彼の脇腹を肘でこつくと、今にも倒れそうに顔を悪くする。そんなに強くしてないぞおい。当初の目的を終えたのでこれからどうしようかと投げかけると「もう寝たい」などと目を擦りながら呟くリンハルトを見て、聞くまでもなかったかと苦笑いする。私の袖を引っ張りながら家の方へ歩き始めるので、どうやら有無は関係ないらしい。

「早くあったかくなると良いね」
「先は長いよ」
「あ、ウグイス!」

指を指した方向にリンハルトもつられたのか顔をあげる。ホーホケキョ、と愛らしく鳴くその姿に2人して惚けながら帰路を進んだ。帰ってから父が小言を言ってきたけれどそれを上手く交わしたリンハルトは、倒れるようにベットへと滑り込み一瞬で就寝する。今日は肌寒かった所為か人肌恋しくなって私も一緒になって寝た。その日の夜、私は早速、香油を髪に擦り込んでお風呂をあがる。毛先から仄かにミモザの香りが鼻をくすぐってそれが嬉しくて、堪らない。寝室へ入るとリンハルトが本を読みながら何かを考察していた。床にメモの走り書きやら紙束が散らかっていて肩を竦める。ゴミか大発見かわからない用紙をせっせと集め、リンハルトの横にわざとらしく置いてみた。

「床が見えなくなる!」
「主人公が片してくれるからその心配は要らないよ。これとそのメモ以外は捨てといて」
「うん、分かった……ってリンハルトが自分でやるの!」
「……なんか花の匂いがする」
「あ、気づいた?今日買った香油」
「いい香りだね、ちょっといい?」
「うん」

本を読むのをやめたリンハルトが私の髪の毛を1束取り、匂いを嗅ぐ。少し微笑んでからそのまま髪をいじり出すので、リンハルトも気に入ったのかな。つけてあげようか?と提案してみるも、すぐさま却下されてしまった。なにを思ったのかリンハルトは無言で立ち上がる。腰に手を回してから頬に手を当てられ、優しいキスが降ってきた。一度唇が離れ、もう一度。

「リンハルトはキスが好きだね」
「僕が好きなのは主人公だよ」

藍色の瞳がいつにも増して優しく私を射抜くから、恥ずかしくなり目を逸らした。彼は気にせず耳元を啄んでから香りを吸い込む。ばか、恥ずかしい、そんな匂いの嗅ぎ方あるか、そんな言葉が言えないくらい彼の腕の中は心地良かった。私も、リンハルトが好きだよ。この言葉は、日記に書き留めておこう。


囁きを忘れない






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