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04


 半田桃には所謂腐れ縁のような存在が居る。名前を満井陽という。
 陽は小学校の同級生だった。それを彼女は覚えていないし、そもそもあの頃は、向こうは半田のことを認識もしていなかっただろう。一言二言会話したことがあっただけで、クラスが同じになったことだって一度も無かった。後に高校へ進学した頃に、一度顔を合わせる機会があったものの、自分の存在は覚えられていなかった。

 小学生の頃。半田は現在に比べ大人しい性格だったと言える。ランドセルを背負った彼はある日下校途中に激しくすっ転び、コンクリートに強かに膝を打ち付けた。膝は擦り切れ、かなりの血が出た。
 半田は泣いた。そこそこ激しく泣いた。それは彼にしてはという話で、声も控えめなものだったが、それでも普段に比べれば泣いた。痛かったからではない。血が出たからでもない。母の手製の巾着が、傍のフェンスに引っ掛かって破けたからだった。ほんの少しの切れ目だったが、それでも彼にとってはショックだった。愛する母が繕ってくれたお気に入りだったのだ。

「……きみ、どうしたの? 転んだ?」

 同じく下校途中だったのだろう。突然少女が声を掛けてきた。知らない子だった。半田は泣き言が漏れないようにきゅっと口を引き結んで、しかし違うとも言えず、すごすごと頷いてみせた。

「血、でてる。痛い?」
「…………いたくない」

 少女が目を瞬かせて「そっか」と言った。きょろきょろと辺りを見渡して、彼女が数メートル先へ指先を向ける。視線を移すと小さな公園があった。滑り台くらいしか遊具の無い、開けた公園だった。

「傷、洗ったほうがいいよ。いこう」
「帰りは寄り道しちゃ、ダメだ」
「きんきゅうじたいは、いいの。お母さん言ってた。おいで」

 酷く迷ったが、「おいで」の言葉に導かれるように、半田は彼女に付いていった。少女は水道の方まで半田を導くと、蛇口を捻り、流れ出る水に掌で触れた。真面目な顔で少女は水の温度を確認し、半田を手招く。

「くつとくつした、脱いで」
「…………」
「おひざこっち。つかまってていいよ」

 少女は甲斐甲斐しく半田を支えて、膝についた砂利と血液を洗い流した。差し出されたタオルで濡れた個所を拭き、靴下と靴を履きなおす。その間にも、膝からぷくぷくと血が滲み始めていた。少女が今度は半田をベンチまで導いて、座るように言う。

「ばんそうこうもってるから、貼ってあげる」

 自分で貼れる、と言おうとしたけれど、少女はごく自然な動作で半田の膝に絆創膏を貼り付けた。よくある無地の絆創膏。できた、と少女が呟き、柔らかく微笑む。

「これでだいじょうぶ。痛くない?」
「……もともと、そんなに、痛くない」
「じゃあなんであんなに泣いてたの?」

 ごく純粋な疑問として少女は聞いただけだっただろうが、半田にはそれが先程までの悲しみを呼び起こすきっかけとなった。ランドセル脇に下げられた巾着を見て、再び涙が滲んでくる。全てを失ってしまったような心地だった。
 半田が巾着を握って震えているのを見て、少女も気づいたらしい。巾着と半田を交互に見て、「破けちゃったのね」と言う。
 滲んだ視界のままで、半田は頷いた。

「そっか。……触ってもいい?」

 少女が手を差し出した。最初は何のことか分からなかったものの、巾着袋を指しているのだと気づいた。少女は半田から巾着を受け取って、自身のランドセルを漁り始める。
 中から小さなポーチが出てきた。半田にも見覚えがあった。学校で購入した裁縫道具のセットだった。何をするのかと不安になりながら少女を見ていると、少女が目を細めて微笑む。

「ちょっとだけ待っててね」

 慣れた動作で、少女が針に糸を通して、巾着の裂けた部分を縫い合わせていく。最近小学校で少し習った、という手つきではなく、普段から慣れ親しんでいる動作に見えた。
 少女はさっさと巾着を塗って、綺麗に糸を結び、丁寧に糸を切った。
 再び半田の手に戻ってきた巾着は、裂け目は綺麗になくなっていた。

「すごい」
「えへへ」

 感嘆の言葉に、少女が照れたようにはにかんだ。少女がこちらに手を伸ばす、半田は躊躇うことなくその手をとった。とった後で、自分でも不思議に思ったが、少女の手は安心した。
 少女とは半田の家の近くで別れ、それ以来話すことは無かった。
 その次の日、半田は彼女の名前と、自分と同学年だという事実と、裁縫が好きなことを知った。時折友達と話す少女を見ては、遠くから眺め、その掌が次は何を直すかと考えた。


 高校に進学し暫く経ち、彼女を見た時初めは勘違いかと思った。でもそうだった。吸血鬼から助けた彼女はあの時の少女であった。振り返って無事を確認して、そう気づいた。
 期待しなかったと言えば嘘になる。あの時の、転んだ少年が目の前に居る半田だと、気づいてくれないかと。でも彼女の口から出たのは距離感のある「ありがとうございます」と「お名前は」だった。
 こんなものだ。なにせ小学校の話だ。そう鮮明に覚えているものでもない。
 半田はロナルドを煽りながらちらりと彼女をもう一度見た。高校生になった少女は半田を未だに見つめていた。

 そして、社会人になり、吸血鬼対策課に入ったあと、また彼女と再会した。最初は全く気付かず、その向日葵の刺繍ばかりに気を取られていたが、数回目に会った時に気づいた。彼女はきっと、半田と小学校の同級生だったことなど覚えていない。高校生のときに、自分と会ったことも。話題にされたこともない。
 ……高校生のあの日、陽はきっと、ロナルドに。


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