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02


 わたしには所謂腐れ縁のような存在が居る。向こうは多分そんなことつゆほども思っていないだろうが。縁、という言葉を使うとしたら、ハンターロナルドに対してだけだろうから。

 わたしが半田と出会ったのは高校生の時だ。とはいえ、半田はきっとその時のことなんて全くと言っていいくらいに覚えていないだろう。わたしは実家から電車で一駅、隣町の公立高校で手芸部に入った。趣味の延長みたいなものだった。放課後も高校から近い手芸用品店に通うことが日課だった。
 その日は友達とご飯を食べて帰った日。いつもよりも時間が遅かったけれど、週末弟に巾着でも作ってあげようかな、なんて考えていたから、変わらずいつもの店に向かって、いつもの道を歩いていた。
 そしたら、突然吸血鬼に襲われた。半ばパニックになって、すっころんで蹲って震えることしかできなかったわたしを助けてくれたのが、半田だったのだ。
 こんなことを言ったら笑われそうなのだけれど、その時本当に、半田がスーパーヒーローに見えた。情けないくらいに、一瞬で恋に落ちたのだ。恋の波にわたしのそれまでの恐怖は一瞬で霧散した。

「怪我は?」
「だいじょうぶ、です。ありがとうございます。あの、お名前……」
「…………半田だ」

 本当は、あわよくば連絡先まで聞きたいくらいだったのだけれど、半田はさっさと友達の元へ駆けて行って目の前から去ってしまった。今思い返すと、あの時駆け寄ったのは現在のハンターロナルドで、半田はロナルドを煽り倒すためにわたしの目の前から去ったのだけれど、この瞳の中では存分に美化された。さっと助けてすぐに去るヒーロー。そんな感じ。そんな風に、見えてしまったのだ。



 けれど、わたしの淡い恋は叶わなかった。他所の高校の、名前どころか名字しか知らない男の子。同じ道を何度通っても会うことは無くて、恋心は次第に小さく、あの時のことも夢のようになっていった。
 それでも好きだって感覚は完全には消えてくれなくて、誰と付き合ってもあのスーパーヒーローを思い出してしまうから最悪だった。けれど、けれどやっと、社会人になって忘れられそうだっていう時に。

 あの日、あの店で。ハキハキとした声に顔をあげて、その時すごく驚いたのを覚えている。わたしが恋したあの子が居たからだ。しかし彼は驚くわたしになんて毛ほども気づくことなく、個包装されたコットンと絆創膏を差し出していた。いつも持っているのか、と後で聞いたら吸対志望なら当たり前だと返された。簡単な怪我の手当の知識は持ち合わせて当然だと。
 その時はもう、目の前の出来事にどうしていいか分からなかった。

「セロリの刺繍を教えてくれ!」

 その上、恋したその子に、突然セロリの刺繍の教授を求められたのだから余計。
 はじめは、「セロリ」があの好き嫌いの分かれる野菜であると気づくのにも時間を要した。普段あんまり、セロリって言葉にすることないし。それに、我が家の食卓にセロリが並ぶことも、あまりなかった。
 目の前に立つ彼、その口から出たセロリの言葉。考えることが多くて固まっていると、彼は何を思ったのか「お礼はもちろんする」と言った。

「頼む! セロリの刺繍を!」

 多分、わたしは若干舞い上がっていた。半田くんがわたしの目の前に居ることに。そうじゃなければ、あんな変な言葉に、あんな数秒で頷くなんてことは、しないだろう。

 「あの時の彼」が「半田くん」に。「半田くん」が「半田」になるのはあっという間だった。わたしの中でスーパーヒーローとして輝いていたあの男の子は、「変人」へとレベルが変わった。レベルアップかダウンかはわたしにも分からない。
 セロリの刺繍を共に練習する。という酷く意味の分からない繋がりから始まったわたし達の関係は、いつの間にか長いこと続き、そうしてまさしく腐れ縁のようなものへと発展している。




△△△




「へえ、そんなこんなでズルズル好意を伝えられないで今に至るんだ」
「………………」

 陽くんの顔が分かりやすく歪んだ。歪んだと言っても、微々たるものだ。彼女の元来の性質なのだろう、根っこにある人の甘さのようなものは消しきれていない。彼女は結構顔に出やすいタイプなのだ。まあ、あの五歳児なんかは「半田の友達の人」は「大人って感じで落ち着いてる人」なんて評しているが、まるで分かっていないと言わざると得ないだろう。
 わずかに眉間に寄った皺。軽く噛まれた唇。気まずそうに避けられた視線の奥に「恥ずかしくてたまらない」という色がありありと浮かんでいる。超分かりやすい。

「……好意なんて」
「無いって?」
「無いというか……」

 ほら、こうやってもごもごと口を結んで否定しきれないところも分かりやすい。
 彼女はカップに残っていた珈琲を一気に喉の奥へと流し込んだ。おかわりをいれると、すぐに丁寧な「ありがとうございます」が返ってくる。よくできたお嬢さんだこと。

「別に、好き、とか。……こうなりたい、とかは無いです」
「ふうん」
「半田はわたしのこと、そもそもどうとも思っていないし。わたしもその、良い感じの人?と出かけても……半田と付き合うとしたらハードルが高いなあと、その度に思うくらい、だし」

 半田桃と付き合うことへの想像を逐一働かせていたことについてはスルーしておこう。指摘したら彼女も、「良い感じの人」だったという方々も可哀想だと、流石の私でも良心が痛む。……正直つつき回したいけれども、ここで突っ込んだら彼女が慌てすぎて先に進めなさそうだし。

「半田くんが「どうとも思ってない」とは限らなくない?」
「限ってます」
「自信満々だね」
「そりゃそうですよ。半田はロナルドとお母さん意外の人間には基本熱量ないんですから」

 ううむ。その件に関しては私も口を噤まざるを得まい。大方その通りだし。彼の執着は確かに恐怖を煽るほどのものがあるし、あんなのに関わってきたら恋愛関係に発展する気も失せるかもしれない。まあ、それが半田くん自身への好意を損なわせている訳ではない、というのが本当に意味不明だが。

「……ていうかそもそも陽くんは彼のどのへんが好きなの?」
「顔」
「恐ろしく正直だな君」

 彼女は私が作ったクッキーを指先でつまんで口元に運ぶ。横でジョンもほくほく顔でクッキーを齧っている。ヒナイチくんが現れないということはきっと今不在なのだろうなと思考の隅で思った。
 顔か。顔。まあ確かに、あの男は端正な顔立ちをしていると言えるだろう。彼のお母様も綺麗な方だったしね。だから彼の魅力を語る時に「顔」という言葉が出てくることに違和感自体はないのだが。

「……そうは言ってるけど君」
「なんです」
「本当はロナルド君みたいな顔の方が好きでしょ」
「ごふっ」

 ロナルドくんが居ないからこそ言ってみた。
 追加のクッキーを口に放り込んでいた彼女がその言葉に思い切りむせる。その姿に口角が思わず上がってしまうのを悟られないように、彼女に珈琲を勧めてやった。ジョンも慌てて彼女の目の前に置かれたカップを勧めている。
 彼女は珈琲でクッキーの欠片を流し込むことができたのか、ふうと息をつき、そうして私の顔を困ったようにちらりと見やる。

「……半田には言わないでくださいね」

 彼女が半田くんを好きなこと、ロナルドくんの顔が好みなこと、どっちのことだろう。意地悪な質問をしそうになるが、今度こそクッキーで彼女が窒息してはたまらないので我慢した。私って偉い。

「ちなみに本当に好きなとこどこ?」
「内緒です」
「ええー」
「きゅるきゅるした顔作ってもダメです」
「ええー」
「じょ、ジョンと並んでもダメです」
「ヌヌー」

 やっぱり揶揄い甲斐がある。
 彼女とこうして、時折お茶を共にする仲になったのはもちろん、かのダンピールがきっかけだった。



 いつものようにロナルドくんの不在時を狙って現れた彼は、いつもと違い後ろに女性を連れていて、簡潔に「満井陽だ」と彼女の名前だけを私に教えると我が物顔で事務所のソファへと腰掛けた。その前にデスクにセロリをぶち込むことを忘れないのがなんとも言えない。

「えっと、ご紹介されました、陽です。突然すみません、……本当に……」
「うわー超いい人そう」

 突然事務所に押し掛けたことに罪悪感が拭えないのか、萎縮していた彼女に、とりあえず私は超紳士的に「気にしていないとも」という顔で笑いかけ、半田くんの隣を勧めてあげた。優しくしておけば結構ころっと後で血を提供してくれそうだったし。

「それで? このお嬢さんは?」
「……刺繍の先生だ」
「いや何故急に刺繍の先生を連れてきた」

 刺繍の先生、と告げられた陽くんの表情はもう哀れなものだった。諦めという感情を煮詰めて顔に塗りたくったみたいな顔をしていて、そりゃあもう面白……かわいそうだった。
 この日、半田くんはロナルド君の座る椅子におびただしい数のセロリの刺繍を施そうと思い立ち、しかし手が足りないと気づいたので文字通り「手」を連れてきたのだそうだった。それを嬉々とした表情で説明する彼の横で、「刺繍の先生」は尚も諦めの境地に居た。誰だって分かる。ただの刺繍の先生ではないでしょ、この子は。少なくとも彼女にとっては。

 結局その日は予想より早くトラップを掻い潜って現れたロナルドくんによって、「ロナルドの椅子どうやっても取れないセロリだらけ作戦」はおじゃんになった訳だが。私は彼女をつつくとちょっと面白そうだとすぐさま察知した。そしてそれは正解だった訳だ。さすが私。



「いやあ、それにしても、案外昔から拗らせてるんだねえ、君たちは」
「…………」

 昔話に対して、改めてしみじみと感想を溢すと、彼女の顔がまたあの「諦めの境地顔」になった。あまりにも切ない表情なので慌ててまたクッキーを勧める。
 クッキーを指先で摘み、彼女は視線をぼんやりと膝へ落とすと、はあ、と息をついた。

「……もういいんです」
「うん?」
「半田がぽっと出の人と結婚とかしなければ別に……なんなら奴が一生ロナルドを追いかけて独り身で居てくれれば……そう誰のものにもなるな」
「めんどくさいファンみたいだな」

 暗い瞳でぼやく彼女がものすごく憐れに思えたので、お土産代わりにクッキーを包んでやる。こっちは持って帰るといいよ、そう言って差し出してやれば「ありがとうございます」と丁寧なお辞儀付きで返事が返ってきた。やっぱりこの子、バカ真面目だなあとしみじみ思った。



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