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きれいなおねだり


「永久脱毛しよっかな」

 すっごく軽い気持ちだった。だって、殆ど毎日カミソリで処理するのは肌に負担がかかるし、何よりも面倒だ。でも彼氏と会う時はできるだけ綺麗にしたい。だから今まで気になりつつも取り組んでこなかった「永久脱毛」というやつをするのもいいかも、と、そう思ったから口に出しただけだ。
 それなのに、わたしがぽつりと零した言葉に、当の彼氏本人はこの世の終わりみたいな顔をして「ヒグァァ…………?」と地獄の底から響いてくるような声を絞り出した。

「待ってくれ、永久? 永久っていうのは、え、永久ってこと?」
「いや、そうだけど……?」
「ウッグゥ、グア」

 ついさっきまで我が家のソファでさんざ寛いでいた筈なのに、今はだらだら汗を流してこちらを凝視しているショットの考えていることが全く分からない。「永久脱毛」という漢字四文字でこんなにも情緒がおかしくなることってあるのだろうか。
 ショットはわなわなと震えながら、恐ろしいものを見るようにこちらを見つめている。彼は口元を掌で覆いながら、恐る恐る、というふうに口を開いた。

「なんで、突然……?」
「処理、するの面倒だし」
「いや処理とか正直そんなしなっ……ごほん、永久脱毛って高いみたいだし、それに、ほら、あれだ! 痛そうだろ!」
「最近はそうでもないって」

 その辺りは既に調査済みだ。まあ確かに痛みはあるだろうけど、以前よりは格段に良くなっているらしい。インターネット社会は知りたいことがなんでも知れて便利だなあ、と思う。
 それに、時間はかかるけれどそんなに頻繁に通わなくてもいいらしいし、始めるなら早い方がいい筈だ。そう続けて言ってみたのに、ショットは納得いかないらしい。あれやこれやと口の中でもぐもぐ言いながら視線を彷徨わせる。

「そうでもないって言っても絶対痛いだろ、なまえには耐えきれないくらい痛いぜ」
「したことあるの? 脱毛」
「ないですけど?!」
「なんでキレてんの」

 もう半ばキレながらショットは叫ぶ。普段はまあ、ちょっとクールな感じを気取っているけれどかなり優しくてかわいいショットがわたしに怒ることなんて一度も無かった。今もわたしに怒っているっていう感じではないのだけれど少しびっくりしてしまう。まさかここまでの勢いで拒否反応を示すとは。「あーいいんじゃね?」くらいの軽い返答を想像していたのに。

「つーか、なんで、急に……?」

 こちらを伺うような瞳に暫く考える。まあ、彼にとっては急な言葉だったかもしれない。確かに今までうっすらと考えていたことを実行に移そうと思ったのは、「面倒」っていうだけではないかもしれない。

「ヌーチューブとかの広告で、なんか、すっごい「毛が生えてる彼女とかムリ!」って言われるし……」
「あ?」

 そう、動画の広告。これも理由にある。毎度毎度ちょっと高い声をしたキャラクターがドラマ調でいかに「毛のある人間に魅力を感じないか」みたいなことを語るので嫌になってしまったのだ。わたし自身は毛の有無なんて個人の好き勝手にすればいいと思っているのだけれど、なんか、こう毎度言われたら辟易してしまうというか。段々、「脱毛してない彼女って、ショット的にはどうなのだろうか……」と不安になってしまったというか。
 それをなんとなく説明すると、ショットの眼光が鋭いものになった。なんなら普段吸血鬼に向けている視線よりもずっと恐ろしい。というか据わっている。

「わ、わたしも処理気を付けてるけどさ、……完璧じゃないし、ショットもやでしょ?」
「嫌じゃねえけど?!?!」
「勢い……」

 ぎらついていた目をかっと見開いて、ショットがこちらに身を乗り出してきた。わたしの肩を両方の手でがっしりと掴んで恐ろしい形相でこちらを覗き込んでいる。正直怖い。普段どちらかというとショットは初心なので、こうして急に迫られたらドキドキしそうなものだけれど、彼の表情が険しすぎて全くドキドキしなかった。別の意味で心臓がひやひやはしている。

「でも、うなじの毛とか、ひかれたくないし……」
「引いたことないですけど?」

 広告では大体うなじの毛とか見られて引かれてた。それを見るたびに無意識に手が確認するようにうなじをなぞってしまうので、もう嫌なのだ。ショットはそれなのに本当に真面目な顔をして「毛に引いたことなんて一度も無い」と言う。それは何よりだ。何よりなのだけれど、今後もそうならないとは限らないじゃないか。

「でも、動画とかで……」
「クソ、ヌーチューブにクレーム入れてやりたい」
「なんでさっきからガチギレなの……?」

 本当に何を考えているのか分からない。どちらかといえばショットって分かりやすい人間なのだ。かっこつけたいときとか、クールぶりたいときとかは特に。本当に動画サイトにクレームの連絡を入れてしまいそうくらいに怒りを燃やしているショットは、拳を握りしめながら震えている。しかしわたしが存分に戸惑っていることに気づいたのだろうか、はっとして、視線を辺りに彷徨わせた。
 ショットは暫くそうしていて、そのままソファの上で今度は深々と頭を下げてみせた。

「とにかく、永久脱毛はやめてください、お願いします……」

 ……本当に何を考えているのだろう、この人。



▽▽▽


「可愛い子にムダ毛があると興奮する!」
「えっ」
「ヒュッッッッッ」


▽▽▽



 焦げ茶のフローリングでドラルクさん家のジョンくんくらいにまん丸に丸まった彼氏様を、ソファに腰かけながら見下ろす。真っ青だか真っ赤だか分からない顔を両手で覆っている彼は、口の中で何かをもごもご呟きながら震えていた。
 シンヨコには変な吸血鬼が多い。吸血鬼ハンターとして働き平和を守っている彼ならもちろんそういう輩に相対することは多い筈である。そして変な吸血鬼筆頭の吸血鬼Y談おじさんとか名乗ったダンディなおじさまのせいで、彼がY談しか話せなくなっていたところに、仕事を終えたわたしが鉢合わせた。
 なんというか、自分で話していても混乱しそうなあらすじ。とりあえずわたしは絶対にそのおじさんのビームに当たりたくない。
 それにしても

「なるほど……ムダ毛フェチか……」

 ビクゥ!と勢いよく丸まっていた彼の肩が跳ねた。先程よりも震えが酷くなっている、とりあえず彼にとってはあの光景は大層羞恥を煽られるものだったらしい。それもそうか。なんだかもうかわいそうになってきた。

「アノ……」
「うん?」
「引きました……?」

 顔をしっかりと覆った掌の隙間から、彼の伺うような細い声が漏れ出している。尋常ではないくらいに震えている。ちょっと考えて「まあ」と答えてみると、ショットの喉の奥から「グァ」みたいな「ギィエ」みたいな変な声が出た。
 まあ、正直びっくりはしたけれど、それよりもまず「なるほどなあ」という感情の方が勝っていた。ついこの前、永久脱毛をしたいと声に出しただけであんなにも拒否反応を示していたことが本当に不思議だったのだけれど、今回の件で納得できたのだ。ショットがあんなにも怒っていたのは、ただ単に、わたしから毛が無くなるのは嫌という、それだけの理由だったのである。

「…………なまえ。した、いんだった、よな……?」
「え? 何が?」
「え、永久脱毛……」

 暫く黙り込んでいたショットがやっと両手を緩めて、僅かにその両目を覗かせた。床に横たわっていた身体をのろのろと起こし、項垂れながら声を絞り出している。そのままわたしの前で綺麗に正座してみせると、ぶるぶると震える身体で、両方の拳を膝に叩きつけた。ぎり、と噛みしめた歯が鳴る。

「う、く、…………し、して、いいぜ、……永久、えい、永久脱毛…………ぐ……!」
「わあ」

 ショットは泣いていた。わりかしガチで泣いていた。わたしはぽかんと間抜けに口を開けて彼の瞳からぼろぼろ溢れている涙を眺めていた。親の仇を見るような顔で多分自分の頭の中の「永久脱毛」という四文字を睨みつけているのだろう。そんな泣きながら言わなくても、と一人ごちると、ショットの悲痛な瞳がこちらを見上げた。

「フェチで捨てられるくらいなら、俺は好きな女のムダ毛を見る機会を一生失うことを選ぶ」

 多分漫画なら強調線かなにかが出ていたと思う。情けなく涙をこぼしているとは思えないくらいの非常に精悍な面持ちで、ショットはわたしに言い放ってみせた。こういうときもカッコつけるのがショットっぽいけれど、それにしても締まらない。全然言ってることはかっこ良くないし。
 そう、全然、かっこ良くない。それなのに、何故かわたしの心臓はちょっとだけきゅんとしてしまった。本当に、ちょっとだけ。ささくれ分くらいのきゅん。

「………………いいよ、」
「え?」
「脱毛、やめる」

 けれど埃程度とはいえ、きゅんとしてしまったので、わたしはちょっと彼へ譲歩することにした。ここまで泣かれて永久脱毛するのもちょっと忍びないし。大分溜めて永久脱毛止める宣言をすると、ショットの顔が驚愕に染まっていった。ぱちぱちぱちぱちぱち、と高速で瞬きを繰り返し、瞳がまた潤み始める。はくはく、と口を開けたり締めたりを繰り返し、大きな感情を噛みしめるように瞳を閉じて俯いたショットの口からは、「…………ありがとう……!」と震える声が零れ落ちた。

「ありがとう…………なまえ、本当に、ありがとう……」
「いいよ、好きな人に引かれなきゃいいんだもん。……あ、処理はするよちゃんと、気になりはするし」

 わたしがそう言って付け加えると、ショットは柔らかく微笑んで、「いいんだ」とわたしの手を取った。すり、とからめとられて、きゅう、と繋がれる。う、ちょっとまたきゅんとしてしまった、なんか嫌だ。

「これで、なまえのちょっと油断した時に見えるうなじの毛とか、指の毛剃り残したのを誤魔化すために引っこ抜いて赤くなったのとか、また拝めるんだな……」
「やっぱ脱毛する!!」
「うぇっ、なんでだ!?」
「ゾッとした!」

 ショットに握られていた手を勢いよく振りほどいて立ち上がるけれど、彼はそれ以上の力でわたしの腕にすがりついてきた。そんな捨てられた犬みたいな顔で見上げても絶対に嫌だ。ちょっと細かく言われたのが耐えられなかった。今までそんなところまで見られていたのか、という羞恥心で埋まりたくなる。

「ごめんごめんごめんなさい! しないで、脱毛! する時にちょっとチクッとした毛に興奮するんだ!」
「ぎゃー!」

 わたしが本気で嫌がっていることを悟ったのか、ショットが慌てた様子で謝り倒し始める。でもさっきから彼のフェチがだだ洩れていて本当に何の説得力も無い。まだあの吸血鬼の影響でも残っているのか、バレたことでタガが外れたのか。それにだだ洩れのフェチの内容がとてつもなくリアルで耐えられそうになかった。
 うなじの毛とかも、ちゃんと肌が見える時は処理に気を使っていたけど、確かに、気を抜いていた日もあっただろう。あと指の毛ってちょっと忘れやすいんだもん!と一人心の中で良い訳をしながらとりあえずショットをもう一回引きはがした。

「な、なんでもするから!」
「…………」

 なんでも。その言葉にはたり、と動きが止まった。

「本当に、なんでもする」
「なん、でも…………」
「なんでも!」

 わたしの表情に希望を見出したのか、ショットが追うように「なんでも」という言葉を重ねる。そう、なんでも、か。じわじわとその言葉と一緒にふと考えていたよく宮が滲みだしていく。永久脱毛を強行突破するか、彼氏に言う事を聞かせるか。

「……仕方ないな、」
「神様!」
「じゃあ、言質は取ったので」
「え」




「わ、わ、わ、や、やば!」
「…………そんなにいいもん?」

 ちょっと微妙そうな顔をしたショットが首を傾ける。その一方でわたしは激しく首を縦に振って見せた。目の前に立って若干照れたような表情を浮かべ頬をかいたショットは、ぴったりと肌の線を浮き上がらせるようなタートルネックを着用している。わたしが準備した。

「これが見たかったの」

 ぴちぴちのインナーを着たショット。その言葉に、また更にショットが微妙そうな顔をした。照れるわけでもなく、ただ単に困惑している顔だ。「好きなんだな、こういうの」と呟くように言って、にこにこ笑っているわたしを見つめている。
 わたしはショットの筋肉が好きだ。ムキムキ、と言うほどではないけど丁度良く引き締まっていて、まさにわたしに理想の筋肉といえる。多分世間一般で言うと彼はムキムキの域に入るのだけれど、筋肉フェチのわたしにとっては丁度いい、のラインなのである。これは怒られそうだから言わない。

「ずっとロナルドさんの服、えっちだなあって思ってて」
「は?」

 さっきまで微妙な顔をしつつ、満更でもなさそうにしていたショットが、ぐぐ、と眉間に皴を寄せる。不機嫌をありありと浮かべ、唇をひき結んだ。あ、ついうっかり。と思いつつ、なんてことない風に「怒らないでよ」と言う。

「他の奴変な目で見んなよ」

 明らかに苛立っている。でもわたしにとってロナルドさんが着ている服がえっちだというのは、単なる事実でしかないのだ。変な目で見ている訳じゃない。そう思って、口をへの字に曲げたショットの髪に触れる。ドレッドって、手触りが面白い。

「変な目で見てないよ」
「…………」
「ぴちぴちなインナーを着てるの見て、かっこいいなー、きゅんきゅんするなーって思うのはショットくんだけだもん」

 かっこいい、とか、きゅんきゅんする、っていう言葉に大層ショットは弱い。案の定ショットはへの字に曲がっていた口をちょっと緩ませて、照れたように視線を彷徨わせている。かわいいなあ、と思いながら、とりあえず写真を一枚撮った。
 写真を撮って、段々と冷静になってくると、ショットには負けるけれどフェチっぽい要求だったな、ということに気づく。彼が散々自分のムダ毛フェチについて叫んでいたので感覚がバグってしまった。今更ながらちょっと恥ずかしくなって、彼の表情を伺った。

「……引いた?」
「え? いや、」

 不意をつかれたように、ショットが目を瞬かせる。そんなことねえよ、と存外穏やかな声を出したショットは、こんなタイミングで恥ずかしがるわたしがおかしいらしい。声を漏らしながら笑った。その目を細めて笑う姿に安心する。
 笑っていたショットが、ふと思案するように自分の顎に手を添えた。

「なあ、あのさ……」
「却下で」
「まだ何にも言ってねえよ?!」
「またこれ着るから、剃らないでしよ、って言うんでしょ」
「う…………!?」

 図星だ。なんでこうも考えていることが分かりやすいのだろうか、この人は。ちょっと拗ねたみたいな、可愛い顔をしているショットにちょっと頬が緩みそうになるけれど、駄目なものは駄目だ。

「考えなかったわけじゃねえけど、違う。用意されたムダ毛は解釈に合わない」
「なんか語ってるな……」
「まあいい。……冬に気ぃ抜いたとこ、狙うしかないか……」

 ぼそり、と呟いた声が聞こえてきて、わたしは「ばか!」と思い切り声を張り上げた。
 ……絶対寒くなっても処理、忘れないようにしよう。そう強く心に決めたのに、気を抜いたわたしが、冬、目を血走らせたショットに詰め寄られることになったのは、また別の話である。




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