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人生を豊かにするもの

気に入っている店がある。いや、最早気に入っているという言葉を頭につけるには、その店はわたしの人生に重きを置きすぎている。生活の一部と化したそれがなければ、きっともう満足に生きることなどできず、たちまちわたしは絶望の縁に叩き落とされるだろう。
びり、と例えるには生ぬるい程に舌を突き刺す刺激、食べた途端に吹き出す汗、身体を流れる血の感覚すらもはっきりする程に、「それ」は大きな衝撃をわたしにもたらしてくれる。嬉しい時も、落ち込んだ時も、そっとわたしに力強くそして優しく寄り添う「それ」に出会うことができたのは、きっと天からの思し召しだったのだろう。

「……ふう、」

店に入ると、馴染みの定員は訳知り顔でそっと頷き、わたしに座って待つよう勧めた。毎度頼むものは決まっているので、注文を取るまでもないのである。
近所の異様なほど料理が達者な高校生には、何とも言えない顔で「飽きないのか?」と問われたが、飽きるはずもない。もちろん、彼の料理も癖になるほど美味しいが、わたしにとって刺激はなくてはならないもの。来ないという選択肢はあろうはずも無いのである。
料理を待ちながら、舌先の痺れと胃を沸騰させるような熱さを想像し、思わず頬を緩める。今週も仕事を頑張ったご褒美として来ているのだから、少しくらいにやけてしまうのも仕方が無い。ああ、早く食べたい。ごく、と唾を飲んだ。

「相変わらずだな、お嬢さん」
「……こんにちは、神父様」

背後から聞こえた声に振り返ると、黒の衣服とロザリオが飛び込んできた。あまりのガタイの良さに、初めて彼と対面した時には凝視してしまったことを覚えている。聖職者、と言われるには違和感が残る筋肉量だ。カソックを着ていても分かる。それにしても何故彼は普段からこの格好なのだろうか。神父はプライベートでもこの服装でいなくてはならないのだろうか。

「相変わらずなんて、言峰神父が言えた義理じゃないのでは」
「食事のことではなく……まあいい、相席しても?」
「もちろん、どうぞ」

わたしと彼は同士である。もちろん、食事面の話だ。普段は教会で神父様らしく仕事をしているようだが、恐らくあまり性格はよろしくないのだと思う。食の好みがそろっていることを知り、時折この店で遭遇した時にテーブルを囲むようになってから、そう気づいた。こう言ってはなんだが、少々胡散臭いのである。

「君は、確か新都に住んでいるのだったか」
「そうですよ。……あれ、言いましたっけ?」

わたしの言葉を聞いているのかいないのか、言峰神父は笑みを深めるばかりだ。何を考えているか分からない。分からないので、わたしは気にしないことにした。本能による退避である。

「いやなに、近頃物騒だからな」
「まあ、確かに、物騒ではありますね」

この所、ニュースはあまり喜ばしくない話題で持ち切りだった。ガス漏れ事件の多発、殺人事件。現場は離れてはいるものの、不安は日に増していくばかりで、正直怖いものは怖い。けれど今日はストレス発散に来ているのだ。不安を呼び覚ますことはしたくない。

「……今日はあんまり考えなくてもいいですか?」
「失礼。楽しい食事の時間に不躾だったな」

全然失礼だなんて思っていなさそうな顔で言峰神父はそう言った。わたしはなるべく当たり障りのない話をひとつ、ふたつ、投げかけていく。
案外会話中の言峰神父は普通だ。特におかしな勧誘を受けたことも、彼の信じるものについて説明されたこともない。ただ、世間話というにも少しふわりとした会話をするだけだった。


そうして暫く、やっとわたし達の求めてやまないものが運ばれてきたのだ。
視界を染め上げるような赤、赤、赤。目の前に運ばれただけで感じる刺激、すでに鼻にも目にも痛みが届いている。私は思わずごくりと唾を飲んだ。心臓がばくばくと波打ち、ゆっくりとレンゲを手に取った。

「……ん、」

ぱく、と一口。その瞬間脳天を貫くほどの刺激がわたしを襲った。辛い。あまりにも辛い。最早痛みを通り越すほどの刺激、暑さ。

「おいし……」

ほう、とため息をつくわたしの前で、言峰神父も黙々と麻婆豆腐を食べ進める。一口、二口、食べる度に汗が吹き出し、胃の中が煮えたぎるようだ。
つう、と言峰神父の額を汗が伝ってゆく。わたしも身体が熱い。それでも食べることは止められず、わたし達は一心不乱に目の前の麻婆豆腐を食べ進めた。
食べ始めると、会話はほぼ無い。目の前の至高の麻婆豆腐に意識を集中させる。
最後の一口は特別で、わたしはゆっくりと、また味わうように赤い麻婆豆腐を食んだ。身体中の血液が巡る感覚。はあ、と口から息が零れた。

「…………ふう、」

言峰神父も麻婆豆腐を食べ終え、口元を紙布巾で拭っていた。普段は上までぴっちりと閉められたカソックの前部分がくつろげられ、綺麗な鎖骨が晒されている。……いや、何を見ているんだわたしは。
いつものようにわたしは少し目を逸らした。

「……どうかしたのかね?」

酷く楽しそうに言峰神父はそう言った。性格が悪い。



「……ああそうだ」
「はい?」

麻婆豆腐を堪能したあと、わたしがデザートの杏仁豆腐に舌鼓を打っていると、言峰神父がふと思い出したようにそう切り出した。
ごそごそと懐を探り、すっとわたしに掌を向ける。

「これを渡しておこう」

その手の上には、シンプルな小ぶりの石がついたブレスレットが置かれていた。

「はあ……何ですかコレ」

恐る恐る受け取ったわたしに、言峰神父は「御守りのようなものだ」と口元を引き上げる。しかし目は笑っていない。
頭に「霊感商法」という言葉が浮かび、思わず顔が引き攣った。幾らで売りつけられるんだ。この神父まじでやばい人だったらどうしよう。

「…………買いませんよ」
「安心したまえ、無料だ」

うわ、胡散臭っ。そう零しそうになった口を噤んで、わたしがブレスレットを彼の手の上に戻そうとするが、その手はもう机の下に引っ込んでいた。

「なんで急に」
「最近物騒だからな」
「は、はあ……」

正直怖い。手元のブレスレットがまだ特大の数珠がじゃらじゃらついている訳でもなく、非常に質素であるのが救いだ。警戒を顔に貼り付けたま、わたしは石を注意深く見つめた。普通だ。
言峰神父は何を考えているのか全く分からない顔で、また懐を探り、今度は1枚の紙切れをわたしに手渡した。

「……え」

渡された紙には数字の羅列があり、わたしは数拍考え込んで、そうしてそれがどうやら電話番号らしいと理解した。

「何かあったらかけたまえ」
「待って、何かってなんですか?」
「ふむ」
「えっ怖い怖いわたしなんか憑かれてるんですか?」

思わずごく、と唾を飲んで言峰神父を見つめても、もう彼はただ意味深に口元を引き上げるだけだった。だから怖いって。

「……」
「何か言ってください」
「変質者に追いかけられた時にかけると良い」
「先に警察にかけます」

間髪入れずに投げた答えに、言峰神父は喉で少しだけ笑った。
最近物騒だと言ったばかりなのに縁起が悪いな、と顔が引き攣る。しかしわたしのそんな表情が面白いのか、言峰神父は笑みを深めていた。


杏仁豆腐も食べ終わり、少しだけ会話を楽しんだ後、それぞれ会計を終えた。
帰り際、暫く悩んだけれど、ブレスレットと電話番号が書かれた紙切れは貰っておくことにした。泰山の前で向かい合う。言峰神父が目の前に立つと更にガタイの良さが露呈して少しだけ面白い。

「じゃあ……これ、一応貰っておきます」
「なに、私も同士が減るのは本意ではないのでな」
「……………………」

縁起が悪いとか、そういうものでもない。
背筋にうっすら寒いものを感じながら、わたしは言峰神父にひらりと手を振った。

まあ、とりあえず駅前のラーメン屋が出来たら電話するかあ。
先ほどの少し縁起の悪い会話も、きっとタチの悪い揶揄いが含まれているのだろう。わたしはそう自分を納得させて帰り道を歩いた。かなり早歩きで歩いてしまったのは、仕方の無いことである。

その時のわたしは後日全身タイツの男に追いかけられ、テンパって言峰神父に電話してしまう未来を知らない。



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