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星は輝いているか

 暖かい風が前髪を揺らして、春が近づいてくる匂いがする。
 今日はふと目が覚めてしまい、なんとなく、いつもよりも早く家を出た。門を潜り、いつもよりも静かなその道を、踏みしめるようにゆっくりと歩いた。家を出てすぐに後を纏わりついてくる集団もまだおらず、偶には早く起きるのもいいかもしれないと思う。
 そんなことを考えながら学校に向かってゆっくりと歩いていれば、足の先が石畳を踏んだことに気づいた。アスファルトよりも確かな感触と、息を吸えば、辺りに爽やかな空気が満ちている。

「あれ、承太郎君だ」
「……なまえ」

 聞こえた柔らかな声の先にそっと目を向けた。自分が思い描いた通りの少女が不思議そうな顔でこちらを見つめている。彼女が毎朝境内の掃除に精を出しているのは知っていた。だから、この時間なら会えるのではないかと、そう期待をしていなかったと言えば、嘘になる。

「今日は随分と早いね」
「ああ。……目が覚めてな」

 そう返せばなまえは意外そうに目を見開いた。こちらへ駆け寄ってきた彼女のその手には竹箒がぎゅっと握られていて、やはり掃除の途中であったのだろう。なまえはそっと目を細めて「今日あったかいから散歩日和だものね」と笑っている。
 なまえはこの神社の一人娘で、そうして俺の昔馴染みでもあった。随分と長い付き合いになるが、こいつは昔から変わったようで変わらない。確かにその顔立ちは大人びた。昔は俺よりも高かった背丈も疾うに越してしまった。けれど昔から、なまえは目を細めて、そっと幸せをつめこんだような表情で笑う。

「あ、そうだ、急いでないなら少しお話しようよ」

 「久しぶりにそこで座って。……どうかな」なまえがそっとこちらの顔を伺った。昔はしょっちゅうお互いの家を行き来してはこの境内でよく遊んでいたが、確かに最近ではその機会もめっきり減ってしまった。嬉しそうに微笑むなまえの言葉を断る気にもならず、二つ返事で言葉を返す。

「それか、お家あがってる? あと少しここの掃除しなくちゃ」
「待ってる」

 俺の返答にますます顔を綻ばせた彼女は「ほんの少しだけ待ってね」とせかせか腕を動かし始めた。軽く漏れ出す鼻歌が、風に乗って耳に運ばれてくる。彼女は何故かウチの校歌を上機嫌に歌いながら手を動かしていた。真面目にメロディーを覚えているのはこいつくらいのものだろう。
 なまえが歌っているというだけで、その音楽が特別なものに聞こえるのは、流石に現金すぎるだろうか。自分の単純な思考に内心呆れながら、箒を動かす彼女の姿を眺める。毎日飽きるほど繰り返している動きだろうに、隙なく几帳面に落ち葉を掃いていて、しかしその表情は新しいことを始める子供のように純粋だ。彼女のそういうところを、愛しく思う。

「よし、お待たせしました」
「ああ」

 なまえと肩を並べて、階段に腰を下ろした。彼女は家からとってきた最中をこちらへ差しだして、「朝からお菓子食べるの、なんか背徳感」と笑っている。包みを開いて頬張ると、餡子の甘い味が口に広がった。小さな頃から食べていた、甘さが控えめの、慣れ親しんだ味だ。ペットボトルの緑茶を受け取って、一口、二口飲みながら、ぼんやり彼女を眺めるのは、どうにも安らぐ心地がした。

 今日わたし英語あたるかも。嫌だなあ。承太郎くん英語得意だから羨ましい、今度教えてよ。代わりに古典教えてあげる。承太郎くん出席ギリギリだって、先生がぼやいてたよ。一緒に卒業したいもの、サボっちゃだめだからね。
 彼女が楽しそうに話す様子を、時折相槌をしながら見つめる。心地よい声が、耳になじんで、安心する。瞳を閉じて、聞き入ってしまいそうに、なるくらいに。

「……ん?」

 だから、気が抜けていたのかもしれない。なまえから驚きの混じった、不思議そうな声が漏れ出たことに気づき、目を向けた。
 スタープラチナが、彼女の側にぴたりと寄り添っていた。
 しかし、その光景に驚くよりも前に、彼女がしっかりとスタープラチナをその瞳に写していることに気づき、思わず言葉を失った。なまえは不思議そうにスタープラチナと真正面から向かい合っていて、確実にその瞳には青が映されている。

「……えーっと…………」

 ぽかん、という音をくっつけていそうな顔で、なまえがこちらに向き直った。そのあどけない表情に、思わず、帽子を下げて目線を逸らした。


△△△


「スタンドかあ……不思議だね」
「俺はオメーの順応の速さの方が恐ろしいがな」

 なまえは往来の性格故か、小さいことを気にしない質なのか、それとも考えなしなのか、あまりにも柔軟に目の前に現れた未知の存在について理解してみせた。……否、本当に理解しているのかは怪しいところだが、目の前の存在が現実であるということを飲み込んでみせた。簡単に説明をしてみたものの、しかし次には、何故彼女にスタンドが見えるのか、という疑問が湧いてくる。

「……なまえは、」
「うん?」
「スタンドを発現させたことはないか」

 またぽかんと口を開けた彼女は、その言葉の意味を数回に分けて飲み込んで、そうして勢い良く首を横に振った。

「は、初めて会ったもの、無いと思う」

 じゃあ、何故。顔を曇らせる俺に気づいたのか、なまえは困ったように手の中のペットボトルを弄んでいた。
 目の前の彼女がスタンドが見える故に何か面倒なことに巻き込まれてしまうのでは、と恐ろしい感情が胸によぎる。

「何かあったらすぐ俺に言え」
「わ、分かった」

 真っ直ぐと目を見てそう告げた。彼女は少しだけ肩を強張らせ、緊張した様子で頷く。ジジィに相談してみる必要があるかもしれない、と考えながら、彼女に危険が及ぶことがないようにしなければ、という使命感も灯る。
 この何とも言えない空気を変えようとしたのか、「神社の娘だから、幽霊とか見えるのかなあ」と彼女がへらりと笑った。やはり幽霊ではなく精神エネルギー、という俺の言葉は理解できていないようだった。

「……そうかもな」

 思わず彼女の頭に手を伸ばした。久しぶりに、彼女の髪に触れて、撫でてやりたかった。そして、少しでも安心させてやりたかった。しかし、それよりも前に、スタープラチナが背後から包み込むようにしてなまえを抱きしめたことに固まる。彼女は「わっ、」と一瞬体をびくつかせたが、それがスタープラチナだと気づくと嬉しそうに微笑んだ。

「ふふ、スタープラチナくんは、甘えたさんなのかなあ」
「…………おい」

 地を這うような声が出てしまったのは仕方がない。例え自分のスタンドだとしても、好きな女に触れられるのは許せるものではないに決まっている。
 なまえの腕を掴んで、そっと引き寄せた。拘束が外れ、俺の胸の中によろけて飛び込んでくる。髪になるべく優しく触れていると、胸の中から彼女の戸惑ったような声が聞こえてきた。

「承太郎くんも……甘えたさん……?」

 不名誉ではあるが、目の前のスタンドにべたべた触られるよりは数倍マシだ。俺は否定も肯定もせずに彼女の髪を撫で続けた。

「……あはは、くすぐったい」

 なまえの笑い声が、耳に馴染んで、心地よい。スタープラチナは何を考えているのか分からない顔のままだ。恐らく、気を抜けばまた彼女を勝手に抱きしめるのではないかと、そんな予感がして、腕に力が籠る。面倒なことになった気がする。
 手を離せなくなった俺は、ひっこみがつかない自分を笑いながら、暫く彼女を抱きしめていた。
 学校に向かう時間まで、あと数分てところだろう。それまでは、腕の中の温もりをまだ感じていたい。あと、ほんの少しだけでも良いから。


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