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 志波海燕との出会いは、わたしにとって確実に、なくてはならないものであったのだろうと、そう思う。教本を広げ、今日の実習の問題点について書きだしていると、窓から入りこんだ柔らかな風が頬を撫でた。優しく香る春の匂いは、彼がわたしに施した回道の暖かさを彷彿とさせる。
 死神を目指し始めたわたしは、実際に学び、回道の難しさにようやっと気づいた。「回道は苦手なんだよ」なんて言っていたけれど、きっと彼はとても優秀な死神なのだろう。
 教本に書き込んだ文字をそっとなぞった。乾ききった墨は決して崩れることがなく、じっと並んでいる。一角と弓親は今頃何をしているのだろうかと、ふと考えながら、二人が刀を振り回す姿を思い浮かべた。

「よう、睦。また探し人のこと考えてるのか?」

 背中を軽く叩かれ、揶揄うように微笑む藤波がこちらを覗き込んだ。手を止め考え込んでいたわたしに気づいたらしい。彼の言う探し人はもちろん一角と弓親のことで、以前死神を目指す理由をしつこく問われた時に、うっかり零してしまったのだった。理由など適当にでっちあげてしまえばよかったと後悔しても、もう遅い。

「……どうしてるかなって」

 ぽつ、と零したわたしの応えに引きつった笑いを浮かべた藤波は、「そればっかだな、お前って」と呟いて、わたしの隣に腰を下ろす。ぎしり、と図書室の古い椅子が軋む音が響いた。
 そればっかりだと言われても、実際にわたしにはそれしかない。周りの者が如何して死神を目指しているのかなんて一々問いかけてみたことはないけれど、とにかくわたしはあの二人を追いかけてここに来たのだ。二人に並びたくて、また一緒に居たくてここへ来た。
指先が、髪の結び目に触れる。それに気づいた藤波は、頬杖をつきながら眉を顰める。

「その髪の結び方も、探し人に見つけてもらえるように、ってやつなんだろ? 健気だよなあ」

 二人のことを思い起こすとき、わたしはいつもこの結び目に触れてしまう。入学してから、わたしは前よりも少しだけ背が伸びて、顔つきも大人びたと、思う。だから、怖かったのだ。ほんの少しの変化だけれど、それでも変わってしまったから。二人に気づいてもらえるか。わたしは髪の長さも髪形も変えずに、弓親に結わいてもらった時と同じようにしていた。

「……随分時間が経ったから、もう、わたしの顔なんて覚えてないでしょう、だから」
「後ろ向きだなあ、どうせなら、探し人のことも講師に来る現役の人に聞けばいいのにさあ」

 随分とまあ、簡単に言ってくれるものだ。なんてことないように言うので若干むっとしてしまう。確かに藤波の言う通り、護廷十三隊に所属しながら真央霊術院で時折講義を開校する死神も居る。五番隊の藍染隊長も、時折書道の講義を開いているし。もちろん現役隊士の講義はどれも人気で、彼の講義なんて選択自由科目にも関わらず毎度満員で生徒が溢れかえるほどだと聞いた。しかし、だからといって一介の生徒が軽々しく隊長核に個人的な質問をするなんて許されるはずもないのだ。

「……そういうもんかねえ」
「そういうもんなの……それに、」

 言葉を途切れさせたわたしを、藤波は興味深そうに見つめている。わたしはもう教書を写す手を止めて、ぼんやりと脳裏に二人の姿を思い起こしていた。

「会う時は、ちゃんと隣に立てるような姿で会いたいの」

 その言葉に、藤波は暫く呆けたように口を開けたままにしていたけれど、次第に口元を緩めて、酷く楽しそうに肘でわたしの脇腹をつついた。

「ほんと、睦は健気だなあ」

 眩しいものをみるように、藤波は目を細めている。少し喋りすぎたな、と思って、わたしは藤波の頭を軽くはたいた後、教本の回道について書かれたページを開きだらける彼の目の前に置いてやった。

「明日、回道の実習だからね」

 藤波がつっかえるように「うげ」と声を漏らした。

△△△


 ふ、と目を閉じた。心を落ち着かせて、胡坐をかきながら膝の上に置かれた刀に触れた。窓の外から鈴虫の鳴く音が聞こえていたが、集中していくたびに、それは遠くなっていく。ばく、ばく、と耳の奥で心臓の脈打つ音が鳴っている。

 真央霊術院に入学し、生徒たちにまず渡されるのが、わたしが指先で撫でるこの「浅打」である。わたしたちは毎日この刀と生活し、心を通わせ、始解の習得を目指すのだ。しかしこれは容易な道のりではなく、席官入りには必須ともいえるものであるが、習得できるのは一握り、在学中に始解を習得したものなど、数えるほどしかいない。
 始解に至るには、刀と対話が出来るようになる必要があった。毎日毎日、同輩が寝静まった夜にこうして刀に触れながら心を落ち着かせる。しかしながら未だに刀は応えてもくれず、周りを無音が支配している。
 教えて、あなたの名前を。聞かせて、あなたの声を。わたしは追いつかなくてはいけない人達が居る。そのためにはあなたの力が無くてはダメなの。お願い。

「……お願い」

 そっと、呟いた。しかし答えはない。
 わたしは瞳を開ける。その瞬間意識は引っ張られ、周りの音がどっとはいりこんできた。鈴虫は相も変わらず喧しく鳴き続けている。
 肩から力が抜け、背中から床に倒れこんだ。胸に抱えた浅打がかたりと鳴る。天井の板目をぼんやり眺めながら、一角と弓親はどんな斬魄刀を持っているのだろうと考えた。きっと二人は始解なんてあっという間に習得して、席官入りしているに違いない、あの男の下で。

「はぁ…………」

 無意識に漏れ出たため息は、部屋によく響いた。一刻も早く前に進みたいのに、どうにも上手くいかない。一つ進んだと思ったら次々とまた大きな壁がある。
 こんな夜は少し気分が沈んでしまう。お茶でも飲もうかと思考の隅で思っても、体は怠く実行に移すことができない。こんなことではダメだと分かっているのに。
 ぼんやりとしていれば今度は眠気が襲い、ゆっくりと瞼が下がっていく。こんなことでは、駄目なのに。



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