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 アルコールは魔物だ。わたしの祖母はよくそう言った。あんなもの、好きこんで飲むやつの気が知れないったら。気持ち悪くって、苦しくなるだけなのにねえ。酔っぱらえない体質の祖母は、繰り返しそう言って、最後には決まって、アンタは大人になっても飲んじゃ駄目だからねとわたしに釘をさすのだ。

「でも、断れないんだもん」
「ん、何か言った?」
「……ううん、なんでもない」

 わたしの小さな独り言は、同僚の彼女にはよく届かなかったらしい。そう、とだけ言ってあっさりと引き下がった。ただその後に気遣わし気に水を飲むかと聞いてくるあたり、とてもいい子だ。
 最近は飲み会が少なくなった、若者は飲み会に付き合わなくなったというけれど、弱っちいわたしは例外だ。断ることなんてできなくて、へらへら笑いながらいつだって付いてきてしまう。

「さっちゃん」
「どうした、なまえ、やっぱ気分悪い?」
「ううん、ちょっとお手洗い行ってくるね」
「ほんとに大丈夫? 気をつけてね」
「うん」

 よろよろ立ち上がって、盛り上がる一同の背中をひっそり抜けていく。絡まれたくなくって、なるべく存在感を消した。がやがや、がやがや。居酒屋の雰囲気は嫌いじゃない。ただ、それは友達だとかと来るときに限るのだ。
 わたしは祖母とおんなじで、お酒があんまり得意な質ではなかった。大抵の人はお酒を飲んでまずは気分が良くなるようなのだけれど、わたしはただ気持ち悪くなるだけだ。だから友達と飲みに来るときは度数の低いお酒をちびちび飲んだり、人のを一口もらったりするだけ。けれど会社で来るとそうはいかなくて、飲み終わればおかわりはどうだどうだと聞かれてしまうから、わたしはどうしてもこの席が嫌だった。飲めないのでって、そう言えればいいけれど、どうしても言えない。わたしの上司は、あんまりそういうことを言いやすいタイプではなかった。

「…………う」

 お手洗いによって、そのまま席に戻らずに、外に出る。少しくらい抜け出しても、あそこまで盛り上がっていたら誰も気に留めないだろう。さっちゃんはお酒が得意だし、申し訳ないけれど、今は風にあたりたい。

「大丈夫ですか……? あの、みょうじさん」

 外に出て、なんだか気が抜けて座り込んだら、声をかけられた。ちょっと、今面倒な人に絡まれたらしんどいなあ。そう思って恐る恐る顔をあげたら同僚の観音坂君が、おんなじくらい恐る恐るわたしの顔を覗き込んでいた。

「だ……い、じょうぶ、です」
「座ってください、ほら」
「ん……ごめんなさい」

 観音坂君は、わたしを店の前に置かれた小さなベンチに座らせて、ちょっとへにゃりと笑う。なんだかその顔は、普段の彼の疲れ切った顔とは違くって少しだけ緩んでいた。そういえば、彼はいつあの場を抜け出したんだろう。全然気が付かなかった。

「お酒、苦手なんですか?」
「そう、ですね、あんまり」
「そっかあ」

 あれ。観音坂君って、こんなにほわほわとした話し方をしていたっけ。そう思ってまじまじと見て、彼の頬が少し赤らんでいることに気が付いた。そうか、酔っぱらってるんだ、この人。わたしは酔っぱらって気分が良くなるのであろう彼をうらやましく思った。わたしも、もう少しだけでもお酒に強かったり、酔っぱらえる体質だったのなら、こういう日も楽しかったのだろうか。

「気持ち悪い?」
「だいじょうぶ、です」
「ん、確か……お、あった」

 観音坂君は少しの間ポケットを探って、そうしてぱっと拳を差し出した。指が解かれて、そこにちょこんとピンクの包み紙が見える。

「あめだ」
「よかったら、酔い止め代わりにでも」
「……ありがとう、ございます」

 受け取って、まじまじと手の中のそれを眺める。絵なのか写真なのかよくわからない桃がプリントされていた。
 あんまり包みを長く見つめすぎていたのか、観音坂君が「あ、飴なんてむしろ気分悪くなりますかね……」と声のトーンを落としていう。慌てて封を開けて口の中にそっと突っ込んだ。舌の上で転がすと、時折からころ音が混じる。あ、おばあちゃんの家に置いてある飴に似てる。すっきりして、ほんの少し甘い飴。ぐるぐるして気持ちが悪かったのが、紛れていく。

「おいしい」
「でしょう?」

 へにゃっと得意げに、観音坂君が笑った。その顔を見ていたら、なんだかわたしも肩の力も抜けて、笑ってしまった。なんだか、この数分間で彼のイメージがえらく変わってしまった気がする。
 観音坂君がもう一度ポケットを探りはじめた。そうして今度は黄色と赤色の包みを取り出すと「どっちが好きですか? パインとイチゴ」と言ってわたしに差し出してくる。わたしは赤色を指さした。さっきの桃と同じように、真っ赤な色の、絵か写真か分からないそれがプリントされていた。

「じゃあ、はい、どうぞ」
「いいんですか?」
「はい。家にいっぱいあるので」

 観音坂君が、黄色の包みを開いて、ぱくりと口へ放り込んだ。コロコロ、彼の口からも音がする。コロコロ音をさせながら顔を向かい合わせるとなんだか面白くて、わたしたちは飴を舐めながらへらへら笑っていた。
 手の中の赤色をきゅうと握る。心臓が柔らかく高鳴って心地いい。いい人だ、観音坂君。


 家に帰ってからも、わたしは彼の髪の色に似たその飴の包みをぼうっと眺めたり、鼻を近づけて香りを嗅いだりした。舐めてしまうのはなんだか勿体なくて。
アルコールの気持ち悪さよりも、胸のくすぐったさと、ほんわりした心地が勝っていた。もしかして、酔っぱらうってこういう感じなのかな。ちょっと幸せな感じだ。
 明日になったら、今日のお礼、観音坂君に言わなくちゃ。飴、ありがとうって。嬉しかったって。代わりにわたしの好きな飴をあげようかな。おばあちゃんの家にある、すっきりする味のやつ。観音坂君がくれたこの飴を彼が好きなら、きっと気に入ってくれる。

「んふふ」

 スーツを中途半端に脱いだままで、ひとり笑うわたしは、翌日出勤した彼に「飴を酔い止めなんて舐めたこと言って渡してスミマセンでした……あ、今のはダジャレとかではなく……ああクソなんで俺はいつもこう……はは、気持ち悪かったですよね……酔いに合わせて気分を害してしまいほんとうにすみませ……」と長文の謝罪をぶつけられるとは知らない。