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 ただいま、と声を出す気力も無く、玄関を開けてすぐに床に寝転がった。冷たいそれと冷房の効いた室内にふうと息をつく。頭がぐるぐるとして、気持ちが悪かった。ぼんやりとしていると、すぐそばに露伴がやってきて、面倒そうな顔をして立っている。

「おい、そんなところで寝るなよ」

 文句を言う姑みたいだ。そう言ってやる力も出なくて、わたしはただその場で唸っていた。露伴は続けて何か言おうとしたようだったけれど、口を噤んだのが分かった。そのままわたしの傍に膝をついて、そっと顔にかかった髪の毛がどけられる。

「オイ」
「…………ん」
「まさか、出てってから今までずっと外に居たのか?」
「…………」

 首を小さく縦に動かすと、苛立ちの混じった舌打ちと「馬鹿」という言葉が耳に届いた。馬鹿ってなに。そう言い返したいのに。
 「なまえ!」露伴がわたしの名前を呼ぶ声が聞こえて、他にも何かを言っている気がするけれど、頭がぐるぐるして、ちっとも理解が出来ない。ただ彼が、すごく焦っている風なのは分かった。珍しいな、こうやって、必死に名前呼ばれるの。
 ぼんやりしたままのわたしを露伴は部屋に担ぎ込んでソファに寝かせると、スポーツドリンクの入ったペットボトルを無理やりに唇に押し付けた。

「飲め」

 彼の手からそれを受け取って飲み始めると、露伴はふうと息をついて「気分は」とわたしの額に掌をあてる。

「ん、……ちょっと、くらくら、した」
「酷いようなら病院連れていく」

 病院に行くほどではない。そう思って首を横へ振ったけれど、露伴の表情は晴れなかった。彼の瞳には、不機嫌さと、苛立ちと、呆れと、そうしてほんのちょっとの心配が込められている。「とりあえず休め」と言われて、中身が半分に減ったペットボトルが取り上げられた。
 身体のけだるさに身を任せて目を閉じる。さっきわたしの名前を焦ったふうに呼んでくれていたのは、案外悪くなかったかもな。


 最近運動不足だったので、ランニングを始めた。折角なので露伴に一緒に行くかと聞いたけれど断られたので、仕方なく一人で杜王町を走った。今日は暑いから早めに切り上げようと思っていたのだけれど、何故だか道に迷ってしまってずうっとぐるぐるしていたら、帰った時には何だか頭がくらくらとして、わたしは玄関先で靴を履いたまま倒れこんだのだ。水分補給も自分ではしていたつもりだったけど、足りなかったらしい。
 次に目を開けた時には、露伴が片手に団扇を持ってこちらへ風を送りながら、文庫本に目を落としていた。緩やかな風が頬を撫でている。わたしはまずその光景にとてつもなく驚いてしまって、固まったままその姿を暫く眺めていた。
 視線に気が付いたらしい露伴がこちらに目を向けて、文庫本を閉じる。わたしの額に張り付いた髪の毛をそっと払ったあと、傍の机に置いてあったコップにスポーツドリンクを注ぎ入れた。

「ほら」
「あ、……ありがと」

 わたしが眠っている間、ずっと見ていてくれたのだろうか。その上、団扇で仰いでくれていた。極めつけは起きたわたしにわざわざ水分を渡すだなんて。
 ゆっくりと起き上がる。コップに口をつけながら、物珍しく露伴の姿を見ていると、彼が椅子に腰を下ろして、呆れかえったふうにため息をついた。

「きみ、このクソ暑い中で何時間も外を走り回るなんて、馬鹿なのか?」
「最初はすぐ帰ってこようと思ったんだけど、迷っちゃって」

 見覚えのない道を何周もしてしまった。そう言うと不意をつかれたように彼の表情が崩れ、そうして眉間にめいっぱいの皴が刻まれる。

「きみの地元だろうがこの町は……」

 肘をついて、露伴は片方の手で顔を覆った。呆れかえって、なんの暴言も出てこない、という顔だ。
 わたしだって自分の生まれ育ったこの町で、何時間も迷う羽目になるだなんて思わなかった。どうせなら行ったことのない道へ行ってみようかと、外れのほうまで行ったのが悪かったらしい。なんだか行ける気がしたんだけどなあ。
 帰ってきたときの苦しさは無かった。ゆっくりと息をついて、立ち上がった。そうしてそこで、どうやら自分の服が着替えさせられていることに気が付いて、目を丸くする。まさか、露伴が汗をかいた服を取り換えてくれたとでも言うのだろうか。

「服、変えてくれたの?」
「あのまま寝たら風邪ひくだろ……文句なら、」
「んーん、ありがと」

 勝手に着替えさせたことに怒るとでも思ったのか、素直に礼を言ったわたしに、露伴は微妙な顔をして黙り込んでいる。眠るわたしの服を一生懸命取り換える彼の姿を想像すると面白くて、少し笑った。

「んふふ」
「何が面白いんだよ」
「露伴が甲斐甲斐しくお世話してくれるの、なんか変」
「オイ、人がわざわざ……」

 顔を歪めた露伴に抱き着いた。嫌がられて文句を言われるかな、と思ったけれど、露伴は「まだ大人しくしておいた方がいいんじゃないか」としか言わなかった。もしかして、今日のうちはひたすら甘やかしてくれるのだろうか。すごく貴重だ。

「次からはぼくも一緒に行くからな」

わたしの背中に腕を回しながら、露伴がそう言った。「なにに?」と聞き返すと「ランニング」と短く返ってくる。わたしは予想外の言葉に間抜けに唇から声が漏れて、そうして胸に顔をうずめたまま固まってしまった。
どうして急についてくる気になったんだろう。

「きみに道端でぶっ倒れられても気分悪いだろ」

 わたしの思考に気づいた露伴が、そんな風に言う。暫く呆けていたけれど、段々と嬉しさが膨らんで、腕に力がこもった。きっと頬がだらしなく緩んでいるけれど、この体制なら気づかれないだろう。

「ありがと」

 すごく心配をかけたのは申し訳ないけれど、こうやって甘やかしてくれるのなら、体調を悪くするのも良いかもしれない。口に出したら怒られてしまうから、ひっそりと心の中で思った。とりあえず、このにやけた顔が収まるまでは、抱きしめていてもらおうと思う。