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でぃお、様。少し掠れた声でそう呼べば、彼はこちらを一瞥した後私の首筋から唇を離した。唇の端についた鮮血を舐める舌もそれと同じように紅い。なんて綺麗。ぼんやりとした頭でそう思う。私の非凡な頭では何と言葉にすればこの美しい身体を、髪を、鋭い瞳を、唇を、そこから漏れる声を、何と表せばいいのか分からない。

「...愛しているぞ」

細やかで芯のある声が鼓膜を揺らす。耳元で名を囁かれた瞬間に全身に冷たいものが広がってゆく。これを本物の恐怖と呼ぶのだと、私はこの男に会って初めて知った。自分の命が相手に握られている感覚。喉を切り裂く鋭利なナイフが常に首元に添えられているような、あと少しでも指が動こうものなら私の胸を貫く一丁の銃が目の前にあるような、そんな感覚。
目の前の男に引き寄せられたものは、この恐怖に魅入られているのだと、誰かが言っていたのを思い出す。このお方の恐怖は、特別なのだと。
恐怖に魅入られるなんておかしな話。でも、このお方の前に出て、唇に触れられて、首筋に噛みつかれればもうすべてどうでもよくなるのだ。びりびりと駆け巡る歓喜に頭がくらくらとして、頭がどうにかなってしまいそう。愛してると囁かれたときにはあまりの喜びに立てなくなる。
このお方の綺麗な紅い瞳に私を写されている角ばった綺麗な手が首に添えられているああ早く早く早く早く早く早くあなたを私にくださいなんて綺麗なの早く早くその綺麗な腕で私を抱いて愛を囁いてあなた様の腕に力が込められているでもうれしいですそれがあなた様の愛のかたちだというのならもうどうでもいい私を愛してると言ってくれた愛してるとこのお方が私を私だけを愛してるとああなんて素敵頭がどうにかなってしまいそう苦しい苦しい苦しい息ができないでもうれしいあなた様が私だけを見て触れて愛してると言ってくれているこんな嬉しいことはないのああ!ああ!ああ!目の前がちかちかするどこかでごとんって聞こえた気がするでもそんなことはどうでもいいどうでもいいのその瞳に私が写るああどうして私床に伏せているのなぜ視界が紅いのいやどうでもいいのそんなこと愛してるの愛してるいます早く触れてお願いああ愛してるああ!ああ!

「でぃ.....お...さま」

「不味いな」

△△△

ごとんっ べしゃっ

その音が聞こえた後女はそれきり動かなくなった。かわいそうに。だが胴体から離された女の顔は恍惚としていてあまりにも幸せそうである。なんてかわいそう。
数秒前までは女の耳元で愛を囁いていた男が自身の頬に飛び散った血を拭って舐めとる。あまりお気に召した味ではなかったようである。そんな光景をふかふかのソファに座りながら目の前で見せられていた私はいますぐ吐きそうだった。数々の女の死体を目にしてきたが実際に命を散らされる瞬間を見たのは初めてだったのだ。死体に慣れ始めたと思っていたがまだ私には人間的な部分が残っていたらしい。
まるで情事の後のような甘ったるい匂いがする室内がだんだんと血の匂いで塗り替えられていく。吐きそうになりながら、彫刻のように美しい男の背中を眺めた。


この女は、何に惹かれたのか。この化け物の美しさ? それとも溢れ出るカリスマ性? それとも、恐怖、だろうか。
誰かが言っていた。この屋敷の誰か。連れてこられた餌、娼婦、この男の部下、それとも意思のないしもべ。もう思い出せないけれど、誰かが言っていた。もしかすると誰もがそう言うのかもしれない。
あのお方の恐怖は特別なのだ、と。

馬鹿じゃないのか。
恐怖は恐怖でしかない。それ以上の感情になど、なり得はしないのだ。この男を美しいとは感じても、この男のために死のうとは思えない。この考えは、もはや屋敷の中では異常なものだろう。この男の部下は、神を崇めるように頭を垂れる。この男の女達は、この男に血を与えることに喜びを感じて恍惚とした表情で嬉しさの絶頂の中死んでいく。
ここに連れてこられてから、28日。ここまで血を吸われながらも、身体を重ねながらも何事もなく生きているのは、私だけだ。

男がいつの間にか目の前に佇んでいた。よくあることだ。私には到底理解できないようなものであることは分かるので、それについてはもう考えない。男の手が、唇に触れ、首筋に触れ、鎖骨をなぞっていく。甘いようなものではない。その手は、死神の鎌と同じなのだ。美しい、死神。その怪しげな美しさで人を惑わせ魅了して、気づいた時にはもう遅い。自分は永遠の眠りについてしまうことになる。
がりっ、首筋を噛まれる。血が吸われるという感覚は、未だに慣れないものだ。血が逆流していっているのか、身体中が熱くなって、息ができずただただ苦しいだけ。他の女のように恍惚とした表情で、もっと、とせがんでみせるなど、できるはずもない。彼女達は化け物なのだろうか、この痛みに耐え、あまつさえねだるなんて。
くらくらとしてくるのは、目の前の男に陶酔しているからではなく、ただ単に血が少なくなっているからだ。貧血なだけ。次第に目の奥がちかちかしてきて立っていられないほど足がふらついて、意識を手放しそうになる寸前で、血が奪われていく感覚が消えた。がくりとその場に倒れ伏しそうになれば、男に引き寄せられた。私を支える腕は化け物の腕だというのに、気持ちが悪くなるほどその手つきは丁寧だった。割れ物に扱うようなそれは、吐き気を増大させるのには十分だったが、それを表には出さずに身体を委ねる。
先程噛み付いた場所を、今度は舐められる。傷跡を舌で撫でながら、唇で軽く食む。それは一見愛撫のようでもあるが、的確に痛みを増やしているのは明らかだった。戯れのようなリップノイズ。

「ああ、やはり美味いな。お前の血は」

なまえ。耳元でねっとりとした声がする。他の女は、こうして名前を呼ばれただけで身体を震わせて、他に幸せなどないかのように笑みを浮かべるのだろうか。一方私にできるのは鳥肌をたたせることくらいだ。男もそれに気づいたのだろうか、頬を釣り上げて、愉快そうに嗤った。首元にまた顔が近づけられ身体が震えたが、ただ香りを嗅ぐように息を吸っただけだった。血のにおいでもするのだろうか、自分には分からない。

ここから逃げようとは思わない。無謀であるのは重々承知なのだから。ただやすやすと死んでやるのは御免だと思うだけ。死ぬなら、どうせ死ぬのなら、この男を。
腰を引き寄せられる。吐き気が止まらない。
生きてやる。ただ漠然とそう思う。その思いが、この屈辱的な生活を支えていた。

吐き気を抑え込みながら近づく唇を受け入れた。いつの間にかベットに押さえつけられていて、甘ったるい香水の匂いがした。
口内を蹂躙される。死んでしまえ。耳を甘噛みされる。死んでしまえ。だんだんと熱を持ち始めた身体を切り刻みたい。死んでよ。どうして。ぎり、と歯を噛み締めた。
目が合った。すべてを見透かしたように嗤った男は、もう一度私にゆったりと唇を合わせた。