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※req


ほんの少し先で子供の手を引く女は、心底幸せそうな顔をしていた。愛おしくて堪らないという風に子供を抱き上げると、優しく頬にキスを落とす。子供の方も擽ったそうに身を捩ったもののその顔は安心しきっていた。
自分の伸ばしかけた腕の力が抜ける。だらりと落ちたそれは、行く先がなくなって震えていた。

「ーーーーーーなまえ」

人知れず、名を呼んだ。空気に溶け込んでいったそれは、女に届くことなく消えてゆく。
子供が女に一輪の花を手渡した。それをみて大袈裟に目を見開いた女は、受け取った花をまじまじと見つめている。そうしてたまらなく嬉しそうに笑うのだ。

ーー迎えに来たのだ、このおれが。もうじきジョースター家はおれの物になるだろう。だから、だから迎えに来た。
そう言って無理矢理に連れ帰ればいいだろうと、そう叫ぶ自分がいる。やっと見つけたのだ。あの貧民街での暮らしから数年、やっと探し続けた女を見つけた。その筈なのにどうにも身体は動かず、おれはただ女が子供の手を引いて去るまで、その様子をじっと眺めていた。女の左手の薬指には、銀色の指輪が嵌っている。飾りも何も無い、安物の指輪だ。
「ありがとう」と子供に微笑んだ姿はあの日と同じものなのに、その目の前にはどうやってもおれの姿などいやしなかった。


△△


凍えるような寒さもなりを潜めた、春のことだ。
おれが差し出したちっぽけな木でできた指輪をみて、彼女が目を輝かせていたのを覚えている。彼女は酷く慎重に手を伸ばして、それを受け取った。まるで宝石を眺めるようにまじまじと眺めながら、ほう、とため息をつく。

「これ…ディオが作ったの?」
「そんな訳ないだろ。…戦利品だ」

嘘だった。本当はわざわざ長くもつ木を探してきて、自分で削って作った。加工だってしてやった。時間も手間もかかった上に線はガタついていて、決して着け心地なんていいものじゃあないだろう。でも当時のまだ子供だったおれには、それが限界で、それが最高だった。

彼女はいつも海辺の教会で結婚式が行われると、花嫁の姿を見に行くのが好きだった。近寄っても小汚い子供は追い返されることなんて分かっていたから、教会からはずっと離れた場所から、必死に背伸びをして結婚式の様子を眺めていたのだ。彼女は純白のドレスを見に纏い微笑む花嫁をうっとりと眺めては、「あんなドレスをわたしも着てみたいわ」と毎回同じことを口にした。
花嫁の周りに群がる人々は皆一様に笑顔で口々に祝いの言葉を述べるのがお決まりで、大抵変わり映えしない。それでも毎度彼女は真新しいものを見たかのように瞳を輝かせた。

「今日の花嫁さんのドレス、胸元のお花は何かしら」
「さあ…」

彼女は今にも飛び出していきそうなほど必死に花嫁を見つめている。正直おれはなんの花でもいいだろう、だなんて思いながら、彼女を見つめていた。
おれは彼女があんなドレスを着て、教会の階段を降りてくる姿を想像してみた。上品で華やかなそれは中々どうして似合っていて、不思議な心地になる。ドレスなんて着ている姿、見たこともないのに。

「きっと、」
「……ん、 なあに?」
「……いや、なんでもない」

あんなドレスをおれがいつか着せてやる。きっと、君に似合う。
よぎった言葉に蓋をして、おれは変わりに「もう帰ろう、なまえ」と手を差し出した。彼女は名残惜しそうな顔をしながらも、素直におれの手を掴んでついてくる。それにすこし満足しながら、おれは彼女の結婚式を思い描いたりしていた。
貧民街の片隅で、それでも彼女は輝いていた。貧しくてもいつでも凛と前を見すえるその姿には好感が持てたし、母も彼女が好きだった。彼女も母が好きだった。
だからだろうか。教会を背に微笑む彼女はきっと美しいだろうなとすんなりと思うことが出来た。
だから、ほんの少しの思いつきで指輪を作ったのだ。

「ありがとう」

彼女が柔らかく微笑んで指輪を見つめている。心底嬉しそうにする姿をみておれはこの上なく満足していた。母にそれを伝えると、母も「良かったわね」と優しく微笑んで、とても得意な心地であったことが今でも心臓の端の方に残っている。


△△


あれから、随分と時が経つ。
闇に飲み込まれた街を窓辺から眺めながら、あの日をふと思い出していた。あれから思い出すことなどなかった女が、今更脳裏にはっきりとよぎる。時間など感じさせないほどに鮮明に女の笑顔が浮かんだ。

「…ふん、馬鹿な女だった」

あまりにつまらない人生だっただろう。あの貧民街からは出ていたものの、結婚した男は大した稼ぎもなく生活は貧しかったことなど考えるまでもない。女が思い描いていたような華やかな式など挙げることもできず、純白のドレスだって着ることもなかった筈だ。飽きるくらいに教会に足を運んでいた癖に。指輪だって銀の安物だった。普通女ならダイヤやらなんやらをつけたいだろうに。
おれを素直に待っていたら、全てしてやった。きっとあの女には白のドレスがよく映える。指輪だって。
エジプトの生温い風が頬を撫でる。それと同じく、背筋をぴり、と走るような心地がした。また、あの感覚だ。

「…また、見られた感覚があった」

少しの違和感に、振り返る。きっとジョースターがまた懲りずに「みている」のだろう。
しかしそれが出来るのはこちらも同じだった。ジョナサンの置き土産とも言えようか、この身体に備わっていた力。こちらもジョースターの子孫を「みる」ことができる。

手に絡んだ茨の隙間から、ひら、と写真が落ちた。数人の男が並ぶ中に、小さな影がひとつ。図体の大きい男たちのなかでは一際目立っている。ジョースターの子孫達の傍に、一人の女が佇んでいた。

「…なに?」

見覚えがある顔だった。あまりにも。
写真に触れた手が、不自然に止まる。
似ているのだ、あの女に。

「ふ…ふふ、はは、」

笑みが込み上げて、写真をもう一度眺める。
あまりにも数奇な運命だ。あの女の子孫だろうか。いや、そうに違いない。まるで生き写しのような女が、そこには写っている。おれには分かるのだ。
じ、と女をみつめていると、その指先に視線が引き寄せられた。

「……」

指先で写真をなぞる。
そこには、ガラクタのような指輪が嵌められていた。木でできてがたついた、それ。
…なんだそれは。
力が抜けて、腕がだらりと落ちた。写真が風に揺れている。

「……は、」

口から空気が漏れだした。乾いた笑みが、まるで嗚咽のように零れていく。

「…馬鹿な女だ」

あんなものを、今でも残しておくとは。馬鹿で、夢見がちで、力がない。そんなあの女らしい。
自分の胸をかき混ぜていく感情は、最早分かりようもない。
写真が風に吹かれて消えた。エジプトの闇は未だ深く、心を落ち着かせるようにただ静かだ。