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東の魔女に魔防のブレスレットをもらった。お代は安くなかった。腕にぶら下がる周りの光を吸い込むような深緑は彼に似ているような気がする。これをこちらへ渡す時、魔女はにやりと口をゆがめて「哀れだね」と笑っていた。その真意はよく分からないけれど、目的を果たした今の私には最早どうでもよいことだった。
小走りで彼を探す。わたしには自信があったのだ。この気持ちに。この気持ちが魔法になんぞから来るものではないことを。

「ディルムッド様をみられませんでしたか」

周りの騎士や同僚達に聞いてみても、訝しげな顔や、鋭い視線が帰ってくるのみだ。こちらを睨む冷たい瞳のそのほとんどは女性からだけれど。だって彼に焦がれる女性は多いから。ああ、会いたい、会いたいわ。この気持ちを早く確かめたい。これが本物なのか否か。早く、早く。

ディルムッド様は、ここへ来てからわたしに初めてお声を掛けてきてくださった騎士だった。私達の中で彼はとてもとても有名で、それは彼が大層麗しいお顔をしていらっしゃったからだった。沢山の友人が彼の虜になっていくからでもあった。一目見てしまえばもう逃れられない、彼は素晴らしい、目が素敵、体が素敵、唇が妖艶、笑顔が可愛らしい。とろりと溶けそうな顔でみんな口を揃えてそう言った。一見して宗教のようであるそれを、わたしは最初胡散げに眺めていたし、会った女性を皆そんなにしてしまう彼に本能的な恐怖を感じていた。
でもそれも彼に会うまでだった。ディルムッド様は確かに素晴らしい方だった。まるでどこかの芸術品のように凛々しく、綺麗で、聡明な顔をしていた。目が合った時、わたしは身体中の血が沸騰し、それが胸の奥へときゅう、と集まるのを感じた。目が離せなかった。
毎日毎日彼のことを考えた。彼ともっと話せたらいいのに。彼の熱い瞳で見つめられたらどんなに素敵だろうか。好きで好きでたまらない。愛おしくて、愛おしくて、おかしくなってしまいそうなくらい、彼を愛してる。
あの日に決めた。街で声を掛けられた男に言われたとき。
「あなたが好きです、街で見かけたときからずっと」
「申し訳ございません、好いている方がいるのです。とても大切な方です。貴女の気持ちはとても嬉しいけれど、」
「ディルムッド・オディナ様ですか、……あの方のチャームにあなたもかかってしまったのですか」
「いいえ! 違います、この気持ちは、チャームなんて、そんな」
周りから見れば、わたしの気持ちは空っぽで、意味が無いのだと言われたきがした。所詮チャームにかけられた弱い女だと。だから、この気持ちを嘘ではないと証明しなくてはいけない。
走って、走って、走って、走って。
そうして辺りをきょろきょろと見渡していると彼はそこにいた。

「ディルムッド様!!」

静かな湖畔を眺める後ろ姿に呼びかける。後ろ姿が凛として綺麗だった。

「ああ、貴方でしたか」

今日はどうなさいました。
ふわりと微笑む姿。絵画のように神秘的で美しかった。

「あ、あの、わたし…」

続く言葉が見つからなかった。どうしてだろう。頭がなんだかぐるぐるするような、すっきりとするような、不思議な心地。詰まったわたしを訝しげに除きこんだディルムッド様が驚いたように目を見開く。
わたし、どうしてディルムッド様を探していたのだっけ。困った。誰かに探すように頼まれたのだっけ。
どうしよう。立場のあまりにも違うこの方に、何も考えずに声をかけてしまうだなんて。
ディルムッド様をちらりと見ると、彼は今まで見たこともないような暗く悲しいお顔をなさっていた。

「どうして、そんなものを」

悲痛な声が、耳に届く。彼はわたしの腕に目を向けた。どうしてこの方は、こんな顔しているのだろうか。







ディルムッド・オディナは、呪いの黒子をこれほどまでに愛おしく大切に感じたことはなかった。
彼女に出会ったのは春の湖畔で、未だ風は冷たく、空気は澄んで、咲いたばかりの花の香りがしていた。
侍女になりたてであった彼女は取り込もうとしていた洗濯物を風で遠く遠くへと飛ばしそれがディルムッドの元へと辿り着いた。まるで仕組まれたかのようなそれにディルムッドは1度は自分に恋する女が敢えてやったのでは、と相手を勘ぐったりもしたが、地面に額を擦り付ける勢いで謝罪した女にその考えは霧散した。

「顔をあげてくれ」

戸惑いつつ、彼女はおずおずと顔をあげた。目が合う。その時、しまったと思った。女の目は徐々に見開かれている。頬は染まり、瞳がきらきらと輝き出した。この子の抗魔力ではチャームに太刀打ちできなかったらしい。ディルムッドは、その女が恋をしたことを確信した。それと同時に、おかしな感情が燻るのを感じた。美しい。徐々に恋へ染まった彼女の瞳。これほど美しいものがあっただろうか。目が離せなかった。胸が高鳴る。苦しくてたまらない。それは呪いに縛られるディルムッドにおいて、初めての感情であった。

彼女とはすれ違えば一言二言交わすようになっていた。侍女である彼女は慣れてくると話やすく、日々あった面白おかしいことや綺麗だったものについて多くの話をしてくれた。新しくはいった侍女が洗濯物を飛ばしてしまいました、やっぱり新人は通る門なのでしょうね。昨日綺麗な藍色の花をみました、きっと良い香りがするはずです。ふわふわととろけるような時間だ。この時間はディルムッドにとって存外落ち着く時間となっていた。自分に語りかけるときの彼女の瞳は相変わらず美しく、それを見る度、ディルムッドの疲弊した心が少しずつ温まるのを感じていた。
彼女は元来の性格が関係しているのか、ディルムッドに対しあの綺麗な瞳を向けることがあっても、嫉妬に燃えたあの歪な瞳を向けることは無かった。自分が他の侍女達に囲まれている時は、彼女はこちらをちらりと見るだけだったし、女性から思いを伝えられ、断り逆上され困っていたときも穏便に済ませようと他の騎士達にすぐ声をかけに走ってくれた。同僚は口を揃えて「いい子だ」「気が利く」「あの子もディルムッドのチャームには逆らえなかったか」と俺によく分からない視線を向けた。嫉妬が混じっていたことは確かだ。普段であれば、ディルムッドは「そんなこと言うなら変わってくれ」と泣きたくなるばかりだが、その時ばかりは優越感に似た感情を覚えた。彼女が自分だけを見ていることがなにより喜ばしく感じるのだ。初めての感覚だ。

彼女に会って言葉を交わすたび、ディルムッドは毎度瞳をじっと見つめた。こちらを見て嬉しそうに笑う彼女の瞳は変わりなく、ディルムッドはそれを確認するたびにため息をついた。よかった、解けていない。あれほど面倒で厄介なものだと感じていた黒子に、彼は感謝すらし始めていたのである。これさえあれば、彼女が俺から離れることは決して無いのだから。





頬に手を伸ばすと、彼女があからさまに怯えた様子をみせたことに唖然とする。いつもこちらへ向けていた熱を灯す瞳はあらぬほうをむいている。どうしてこちらを見ない。
「申し訳ございません、ご無礼を」
「無礼なことなどないよ」
なるべく優しい声を出しても彼女は今にも泣きだしそうな声で、申し訳ございませんと繰り返した。どうしてそんなに苦しい声を出す。
この魔防が原因なのだから、今すぐ腕にあるこれさえ引きちぎってしまえば、前のように彼女はディルムッドを愛すであろうし、あの美しい瞳を自分だけに向けるはずだ。分かっている。

「そのブレスレットはどうしたんだ」
「ブレスレット…?」

彼女はその時初めて腕に輝くそれに気づいたように目を瞬かせた。抗魔力がないただの女は、魔防のブレスレットによって、このチャームから生まれた感情とそれに伴う記憶までも忘れてしまったらしい。
その時ディルムッドは確かに絶望していた。いつもの話はどうしたのだと、今すぐ掴みかかりたい心地だった。でもそれをすれば彼女はきっと一生自分と目線すら交わすまい。ブレスレットを引きちぎろうと何度も考えた。その度、彼女がどうしてこんなものを手に入れたのかという経緯を想像しては泣き叫びそうになった。このブレスレットが、偽りの恋に対する必死の抵抗であったのなら、自分ではどうすることも出来ない。自分の黒子の力に胡座をかいて彼女を自分のものにしようとした男には。
「申し訳ございませんでした」
彼女は震える声でそう言って、ディルムッドに背を向けた。おそらく、一生彼女が自分に語りかけることはない。





きっとこれはディルムッドにとって初めての恋だった。誰もが通る苦くて愛おしい感情。いつもであれば自分を厄介事へと引き込む負の感情。彼女の自分へと向ける瞳で錯覚していた。想いが通じ合っていると。その実それは、ただの幻で、真実ではなかった。彼女はこの黒子の被害者であっただけだ。この胸が切り裂かれたような苦しみをどうすればいいのだ。彼はそれをどうにかする術など知らなかった。そして自分に恋をしてきた女たちの悶えるような苦しみを初めて知ったのだ。

きっと女にとってこれは通らなくてはならない恋だった。ディルムッドに背を向けて走り出してから、女は言い様もない感情が身体を這うような感じがしていた。何か大切なものを忘れた気がする。ものすごく大切で、わたしはきっとそれを慈しんでいたはずだ。そしてこうも思う。どうしてあの人はわたしに言ってくれなかった。何を言って欲しかったのかは今のわたしには分からない。けれど、わたしを止めて欲しかった。あの湖畔で、わたしが何かを忘れてしまった時、あんな顔をするくらいなら。何か、言って欲しかった。





「本当にこのブレスレットが欲しいのかい? お前の気持ちが全てチャームによるものだと本気で考えていないのかい」
「わたしのこの気持ちが嘘だとは思わない。でも、たとえこの気持ちが嘘で、忘れてしまっても、ディルムッド様はきっとわたしを想ってくれると信じてる。今の想いが消えてもきっと新しい何かが始まる。きっと、きっと」
「哀れだね」