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 彼女は蕩けたような顔をよく見せる。私に対して。恍惚とした、夢中になった、夢見心地な……と、その表情に似合う言葉は数えきれないほどにあるのだろうが、船長は「恋をする乙女のようだ」と形容した。

「あぁ、ミスター! 会えて嬉しい」

 私の姿を捉えた途端、その瞳はきゅっと弓の様に細まり、赤いルージュで彩られた唇を緩めながら、彼女は私へ顔を寄せた。甘酸っぱい香りが周囲を満たす。林檎の香水だろう。それが彼女の大層気に入った香りだというのは既に身をもって理解していた。

「ああ、あー……ミズ。奇遇ですな」

 さりげなく距離をとった。彼女はそれでもうっとりとした表情を崩すことはなく、その場で恭しく一礼してみせる。

「ふふ、今日も素敵なネクタイだわ」

 今にも頬ずりをしてきそうな距離感に、また少し離れる。しかし彼女はふわふわと笑いながら、いつの間にかその足をほんの少しだけ動かし、私の行く手を阻むことは辞めないのだ。
 私は彼女が苦手だった。声、表情、視線、香り。聡明なヒトだというのは、言葉の一つをとっても滲むもので、理解もできるのだが、それでもどうにも……得意ではないのだ。

「この後は? 読書でもなさるの? それなら今日は、スーツケースの気分も良くって晴れているみたいだから一緒に……」
「嬉しいお誘いですが……えー、船長に、あー、呼ばれておりますので」
「あら、そうなの、仲良しねえ……」

 僅かに首を傾け、彼女はあの蕩けた表情を、切なげなものへと変えた。僅かに良心が傷む。この、如何にも人畜無害という表情、これも苦手に他ならない。
 彼女はそのしなやかな指をそっと伸ばし、私のネクタイを摘んだ。引っ張られるわけでもなく、その感触を確かめるように数度なぞられる。私が身体を固く――これは決して冗談ではなく――していると、彼女がふと息を漏らすように笑った。

「ふふ、……今度お酒、ご一緒させてね」

 とろり、と。彼女の声が甘やかになった。目は三日月のように細まって、頬は上気し、赤いルージュが緩む。弓なりになったその瞳に、熱が入り混じる。
 恍惚とした、夢中になった、夢見心地な……と、その表情に似合う言葉は数えきれないほどにある。船長は、「恋する乙女」と形容した。しかし、全くもって、その言葉は的を得ていない。

「ああ、本当に素敵……食べてしまいたいくらい」

 これは、捕食者の目だ。
 彼女がまた恭しく一礼し、くるりと背を向けて去っていく。私は辺りに漂う甘やかな林檎の香りが消えるまで、ただその場で固まっていた。