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 鏡の前で振り返る。彼は普段と何ら変わりなく、平然とそこへ立っていた。瞳の奥には温度は感じられず、ただ綺麗に光を吸い込んでいた。わたしは声が震えないように、顔が歪んだりしないように、出来るだけいつも通りに笑う。口の端が痛かった。「お世話になりました」なんて、色のない言葉で終わりにしようとする。

「幸せになれ」

 そう言って、普段通り、ジャミル先輩はいっそ優しすぎるくらいに頭を撫でた。……ああ、結局、最後までこの人はわたしを引き止めなかった。あちらを選んだのは他でもないわたしだというのに、沸き上がる勝手な気持ちが汚くて不快だった。最低な言葉が出ないように、無理やりに蓋をする。

「先輩も、うんと幸せになってくださいね」
「ああ、」

 本心だった。紛れもなく。けれど、頷く彼に、わたしは上手く笑えただろうか。呆気なく、頭を撫でた温もりは離れていった。それを惜しいと思ってしまうわたしは、あまりにも最低だ。
 わたしはそっと鏡に触れた。もう振り返らない。絶対に、振り返ってはいけない。
だってもう、これでぜんぶおしまいなんだから。


 中途半端に持ち上げられた手が、行くあてもなくさ迷っている。「幸せになれ」なんて、心にもないことを言った。絶対に幸せにならなければいい。そう思った。俺が居ない場所で幸せに笑う姿なんて、想像しただけで気が狂いそうだった。「先輩も、うんと幸せになってくださいね」そう微笑んだ顔が頭にこびり付いて離れない。心臓が焼けるほど痛い。最悪だ。なんて最悪で、最低で、自分勝手な奴なんだ。

「君がいない世界で幸せになれる訳ないだろう」

 言葉が、誰に拾われる訳でもなく消えていく。鏡には情けない顔の自分が写るだけだった。