5:慈雨
大臣たちがざわめき、ジャクラたちも窓のほうへ目を向けた。ぱたぱたと叩きつけるような音がしている。アルギスが駆け寄って、カーテンを開けた。
「雨だ……!」
驚きに満ちたフォルスの声が、その景色を目の当たりにした全員に、幻を見ているわけではないのだと実感させていく。窓の外には、太陽に寄り添うようにいつのまにか雲が現れ、透明な雨が辺り一帯に降り注いでいた。
ジャクラはすでに目覚めている。今ここで、雨を呼び起こした者といえば、一人しかいない。
「すごいな、ルエル――……っ!?」
我に返ったように振り向いて、ジャクラはその目を大きく見開いた。あまりに驚いた顔をしたので、ルエルのほうがびくりとしてしまったくらいだ。片足の靴を爪先に引っかけたまま、慌てて駆け寄ってくる。
その姿が妙にゆらゆらと揺れることに、ルエルもようやく違和感を覚えた。
「どうした、何かあったのか?」
「え……、なぜ」
「なぜって、お前……」
戸惑うように伸ばされた指が、ひた、と頬を撫でる。水の感触がした。
「……?」
ルエルはぺたりと自分でも両手で頬を覆い、その水の温さにはっとして、正体に気づいた。泣いているのだ。
呆然として、手のひらについた水滴を見下ろす。涙など、一体いつ以来のものだろう。まだこの体に、泣くという機能が残っていたことに驚くくらい、ずっと昔だ。
「ど、どうして」
「分からない……のか?」
困惑するルエルに合わせて身を屈め、ジャクラが聞き返した。外では幾分か弱くなったものの、まだ雨音が続いている。感情が爆発したのだ。一体、なんの感情が。
紐解くように、深く息を吸って考える。長らく泣き方を忘れていた体は子供のようにしゃくり上げ、大臣たちも押し黙ってしまった沈黙に、ルエルの泣き声だけが響いた。逃げ出したいような戸惑いに駆られながらも、ルエルは必死に自分の心の揺らぎを思い返す。
結果、涙の理由として挙げられる感情は、一つしかないように思えた。
「多分、ですが」
「ああ」
「……安心、して」
ジャクラは一瞬、呆気に取られたような顔になって、瞬きをした。言葉足らずだったのかと思い、ルエルは「あなたが目覚めているのを見たら」と付け加える。
窓の向こうで、雨音が完全に止まった。フォルスとナフルが目を見合わせる。
あんしん、とまるで初めて聞いた言葉のように、ジャクラは繰り返した。多分そうだと、ルエルは頷く。眠りの間に飛び込んで、彼と目を合わせた瞬間、沸き起こった奔流は決して冷たいものではない。全身の力がどっと抜けるような、張り詰めていたものが解放されるような、そんな安堵だった。
「空の色も、変えるほど?」
「はい」
こんなに大きな感情の起伏を感じたのは、久しぶりだ。今の雨は自分が降らせたもので、間違いないだろう。そう説明するつもりで頷いたルエルの返事に、ジャクラはふっと、思わずルエルが口を閉ざしてしまうような笑みを浮かべた。
次の瞬間には、思い切り抱きしめられていた。
「ありがとう」
声も出せず、驚きのあまり固まっているルエルの耳元で、嬉しそうな声がする。初めは何を言われたのかも分からないくらい、頭が真っ白だったが、大臣たちのどよめきで我に返った。
「良かったですな、皇子」
「ああ、皆にも心配をかけた。すまなかったな」
ぐいぐいと腕を突っ張って抵抗するが、ジャクラは一向に離してくれる気配も、両親や大臣たちを気にする気配もない。それどころか平然と会話などされて、ルエルはただ、混乱で慌てふためくしかなかった。
窓の外に降り出した、二度目の雨を見て、ナフルが笑う。遅れていた大臣たちが、雨音に驚きながら部屋へ入ってきた。
離してほしいような、いま離されたらどんな顔をして挨拶をしたらいいのか分からないような、激しい葛藤に目眩がする。
増えていく人の気配に、ルエルはいっそ、彼らが自分の存在に気づかなければいいのにと心から願った。
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