7 魔女ベレット


「ね? そういうわけだから、お願いよ。あ、もちろんリビングとかソファーで大丈夫だし、それもだめなら床でちょこっと、布でも敷いて寝かせてもらえればいいから」
「野良猫じゃないんだから、床はさすがにやめなさいよ。あのねベレット、そもそもまだあなたを泊めるとは……」
「あっ、お皿洗っておくわね。キッチン借りていい?」
 わざとらしいタイミングを、隠すつもりもなく。空になったコンポートの皿を両手に持って、ベレットはユーティアが止める隙のない素早さで、キッチンに立って食器を洗い始めた。
 ついでと言わんばかりに、ティーカップとポット、スープ皿にも手を伸ばす。ところ違えば勝手も違うと思うのに、彼女はシンクの使い方に戸惑うようなこともなく、見知った家のようにてきぱきと仕事を片づけた。
 ――初めから、ちょっとだけ、なんてつもりで上がり込んだわけではなかったのかもしれない。
 今さらになってその可能性に気づきながら、ユーティアは本日三度目の、長いため息をついた。
「ベレット、いいわよ。あとは私がやるから」
「え、でも」
「疲れているのは本当なんでしょう。薬草魔女ともあろう者が、肌は荒れているし、隈はくっきり出ているし」
「うそっ」
「残念ながら本当よ、あなた美人だとは思うけど。不健康に見えるのが一番まずい仕事なんだから、いいから少し休んでちょうだい」
 布巾を探すところになって、ようやく人の家らしく物を探す仕草を見せた彼女の手から、スープ皿を取る。ユーティアの言葉に慌てて目元を押さえたベレットだったが、彼女はすぐ、それって、と驚いたように顔を上げた。
 言い出したのは自分のくせに、何を本気で驚いているのやら。やはり意外と素直な反応をする人のようだ。ユーティアは「そうよ」と笑って頷いた。
「この雨の中に追い返すのは、さすがに心が痛むもの。一晩だけならいいわ」
「ユーティア」
「ただし。うちに泊まるなら、ちゃんとベッドを使って。小さいけれど、奥に一つあるからそれを貸すわ。あと、寝る前にお風呂にも入ってちょうだい。あれはお客様用のベッドなんだから」
 サボが聞いたら、用心が足りないと注意されるだろうなと思う。多分、サボだけではない。母が聞いてもマルタが聞いても、同じことを口にするだろう。ここはあの小さくて、村がみんな親戚のようだったサロワとは違うのだ。知り合ったばかりの人間を家に泊めるなど、不用心にも程がある。
 しかし、だからこそ。ユーティアにはベレットを追い出すことができなかった。ここで自分が断固として断ってしまったら、彼女は本当に、この雨の中、空き部屋のある宿を探してさまよわなくてはならない。
 そんなものはあまりに後味が悪く、後で悔やむのが目に見えている。ユーティアの性格上、それならいっそ泊めてしまったほうが、気が休まるというものだ。
「夕飯は今から作るところだから、先にお風呂に入ってきてもいいわよ」
「あらそう? じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうわ」
「ちゃんと客室にある、綺麗なタオルを使ってね。ついでに部屋着も一組あるから、着替えるものがないならそれを着て」
「なんだか至れり尽くせりで、悪い気がしてくるわね」
「泊めるって言った以上、これくらいのことはするわ」
 控えるような発言はしても、ベレットはやはり調子がいい。すぐに「ありがと」と満面の笑みを浮かべた彼女を見て、ユーティアは仕方ないなと苦笑した。
 風呂場と客室のドアだけ教えて、買い物かごから牛乳を取り出す。グラタンでいい、と訊ねれば、すでに部屋着を抱えて風呂場へ向かっていたベレットが、上機嫌に振り返ってもちろんと答えた。

 風呂に入ってすっかり体の温まったベレットは、夕食を終えるとすぐに客室へもぐって眠ってしまった。就寝にはずいぶん早い時間だと思ったが、食事中から何度となくあくびをかみ殺していたのも知っている。相当疲れていたようだ。
 薬瓶にラベルをつける仕事だけ済ませて、ユーティアも今夜は少し早めに眠ることにした。シャワーを浴びて濡れた髪をタオルで拭きながら、二階へ繋がる階段の手前で、ふと立ち止まる。
 客室のドアが、手のひら一枚分ほど隙間を開けていた。
 明かりはまったく漏れてこない。どうやら眠っているのは本当のようだ。あまりに気配が静かなので、ユーティアはだんだん不安になって、ベレットが本当にこの部屋にいるのだろうかと気になり始めた。無論、いてくれないと問題である。だが、いないのではないかと思ってしまうくらい、物音一つ聞こえてこない。
 躊躇いつつも、ユーティアはドアを閉めるついでだからと自分に言い聞かせて、少しだけ中を覗いてみた。廊下から入り込んだ光が、部屋の端にあるベッドの膨らみを照らす。ふんわりとした丘のむこうに、黒髪が見えた。枕元に手が置かれている。よく眠っているようだ。
 強引に押しかけてきた人ではあったが、やはり悪い人というわけではなさそうだ。本当はもう少し素性を聞きたかったのだが、如何せん彼女のほうがよく喋るので、隙を掴めずに夕飯が終わった。けれどこの様子であれば、それほど心配はないだろう。
 わずかな間でも、疑って申し訳なかった。ユーティアはそっとドアを閉めると、蝋燭を片手に、あまり音を立てないようにして階段を上った。屋根裏部屋は大きな明かりがないので、夜は手元を照らすものがないと日記を書くのに辛い。そろそろ新しい蝋燭を買いに行かなくては、毎晩使うせいで、これも短くなってきている。
 燭台を机に置き、正面に立ててある日記帳を取り出す。六歳からつけ始めて、思えば今年で十八冊目だ。深いグリーンの背表紙に金の刺繍が入った、駅前の店で見つけた日記である。


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