7 魔女ベレット


「お邪魔しまぁす」
 一応定休日なのだけれど、というユーティアの困惑に構いなく、彼女は当然のようにユーティアに続いてドアをくぐった。裏返った看板を元通りにして、鍵をかけてくれる気遣いも忘れない。高さも厚みもある、大きな鞄を持っていた。ずいぶんと細かいものが入っているのか、彼女が置くとがちゃがちゃと中身がぶつかり合う音を立てる。
「何のご用でしょう?」
 ひとまずリビングに買い物を置いて、傘の水気を拭いてからユーティアは訊ねた。女性の雨に濡れた黒髪から、ぽたぽたと滴が床に落ちている。どうやら傘を持っていないようだ。
 青い目と目の間に、髪が幾筋も張りついている。指先でそれを払うと、目鼻立ちのはっきりとした明朗そうな顔があらわになった。
「雨宿りさせて」
 そして、その唇から発せられた言葉に、ユーティアは思わず瞬きをした。
「雨宿り? どうして、うちで?」
「ちょっとだけよ、ね? 見ての通り、雨に降られてもうくたくたなの!」
「ええ、どうしてそれで、このお店に」
「どうしてって、朝からずっと歩きっぱなしでもう歩けないのよ……、お願い、しばらく休ませて」
 答えになっているような、あまりなっていないような。ちょっととかしばらくとか、そういうことを訊ねているのではなくて、とユーティアは思ったが、この通り、とお祈りでもするように手のひらを合わせられて言葉に詰まってしまった。
 雨宿りをしたいという、見知らぬ女性。どうしたものかと迷っていると、彼女はちらりと窺うように目を開けて、また慌てて閉ざした。
 帽子のおかげで顔は濡れていないが、髪も服も、靴も鞄も水が沁み込んで重そうに下がっている。ユーティアは少しのあいだ黙っていたが、やがてため息をついて、リビングからタオルを二枚持ってきて彼女に差し出した。
「これ、使って」
「いいの?」
「店内に水たまりを作られたら、あとで掃除が大変だもの。きちんと拭いたら、こっちにきてちょうだい。そこじゃ座れないから、椅子を貸すわ」
 今にも倒れそうに弱々しかった顔が、みるみる明るくなっていく。
 元々、帰ったらリビングで薬のラベルを作って、夕食の支度をしようと思っていたのだ。誰だか知らないが、一階にいるのなら少しくらい家に入れても大丈夫だろう。
「ありがとう。私、ベレット」
 帽子を脱いでタオルでてっぺんを拭きながら、リビングへ入ろうとしたユーティアの背中に向かって、女性は言った。振り返ると、満足げな笑みと視線が重なる。
「どういたしまして。私はユーティア」
 ベレットの目線は、ユーティアよりも手のひら一つほど高い。すらりとした体に黒のワンピースと厚手のコートを着込んだ、ユーティアと年齢のあまり変わらなそうな女性だ。
 ユーティアはリビングに入ると、キッチンの小窓からベレットの様子を見つつ、お湯を沸かした。押し入られたようなものだとはいえ、了承して家に上げたからにはお茶くらいは淹れたい。ちょうどローズヒップが目に留まったので、それを選んだ。お湯が沸くまでの間、近くの棚から来客用のカップとソーサーを出して、綺麗な布で磨く。
 ベレットは二枚のタオルで手際よく水を拭いて、濡れた帽子を裏返したコートで包み、鞄の底が汚れていないことを確かめていた。最後に自分の鞄から取り出した切れ端のような布で、靴底の泥まで拭う。
 もう歩けない、とぐずっていたときの彼女とは別人のようだ。そういえば店に上がったときも、看板を元通りにかけ直したり、荷物の多かったユーティアに代わって鍵をかけたりと手際がよかった。
(もしかして、上手く押し切られたかしら)
 要領のよく、てきぱきした人というのはどこにでもいる。正反対と言ってもいいユーティアは、昔からそういう人たちの態度を真に受けて、後になって勢いに乗せられたと気づくことが度々あった。
 子供のころはそういう自分を鈍くさいと感じていたが、最近はもう割り切って、自分は真に受けやすい性格なのだと理解している。押しに弱く、考えるより速く捲し立てられると頷いてしまいがちだ。
「お邪魔するわ。ああ、や……っと休める」
 準備をしている間に、どうやら荷物を拭き終わったらしい。コートと鞄を抱えたベレットが上がってきて、倒れ込むように椅子に腰かけた。どうやら疲れているのは本当のようだ。はい、とお茶を置いてやると、首だけを持ち上げて「ありがと」と言った。
 ユーティアは向かいに腰を下ろして、自分も澄んだ赤い水面に口をつけた。


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