7 魔女ベレット


 その年の夏はコートドールに越してきてから最も気温が高く、連日空は青く日は高く、鏡を砕いたような眩しさと共に、目まぐるしく過ぎていった。
 裏庭の土も乾燥が早く、日に一回の水遣りでは間に合わない。夏季休暇を迎えた近所のアパートの学生たちから入った果実酒とシロップの注文を受けて、丸一日キッチンにはりついたり、リコットの息子が夏休みに観察する植物を探しているというので、三日に一度招いてマリーゴールドの開花を見せてやったり。合間に市場へ出かけて、夏の品物をくまなく眺める。薬草も果物も、夏に採れるものは多い。市場も夏が最も賑わっている。ユーティアの庭にないものを手に入れるには、この時期が一番適しているのだ。
 日頃の手入れの甲斐あって、今年も裏庭は豊作だった。時には収穫が重なってしまって、夜までかかって薬を作る日が続いた。うっかり日記をつけながら、机で眠ってしまった日もある。未明の涼しい風で目を覚ましたときの、まだ霧がかかったように暗い町から流れてくる、乾いた石と水の匂い。ひとけのない川べりを、鳥が歩いていた。
 母には電話で体を壊すと注意されたが、何年も暮らしている家なのに、窓から夜明け前の空を眺めたのは初めての経験だった。あれはあれで、いい思い出と言える。
 そして、――これはまだ母には言っていないのだが――何も慌ただしかったのは、仕事のせいだけではない。春に恋人になってからというもの、ユーティアとサボは互いの仕事の合間をぬって、様々な場所へ出かけていた。
 ほとんどは歩いていける範囲で、たまに汽車に乗って少し遠くへ行く。ユーティアがあまり店を空けられないので、泊りがけになるような遠出はしないが、郵便配達員という仕事柄、サボは色々な話を知っていた。商店街に新しく開いたカフェの話から、お城のホールが一日限定で解放される祝日の話、時には配達先で耳にした隣の町の話まで。
 仕事帰りに顔を出すサボと夕食を摂りながら話を聞いて、行きたいところを選び、休みを合わせて出かける。ユーティアのこれまでの生活にはなかった、真新しい時間の使い方である。

 気づけば夏はすっかり過ぎ、玄関先まで秋が訪れてきていた。プラタナスは今年も色づいた葉を落とす。硬くなった箒で掃き寄せて、アパートと家の間に置かれた木箱に入れ、堆肥になるのを待つ。雨の日に裏庭で折れてしまった枝なども、ユーティアはよくそこへ入れていた。
 秋は一度降り出すと、しとしとと雨が続く。今日も傘の手放せない、日差しの薄い一日だ。久しぶりに一人でコートドールの駅前まで出かけ、夕食の材料と、リコットの店に顔を出して新しいフライパンを買った帰り道、ユーティアはソリエスの前に人が立ち止まっているのを見つけた。
 今日は定休日だ。朝からクローズにしてあった看板を見つめて、大きな帽子を被ったその人はドアをノックしたり、上部のガラスから中の様子を覗こうとしてみたり、中に人を探しているようである。緊急の用事だろうか。ユーティアは重い荷物を持ったまま、足早に路地を歩いた。
「あの、何かご用でしょうか」
「え?」
 声をかけると、腰までまっすぐに伸びた黒髪をひるがえして振り返った。深紅の口紅を引いた、青い目の女性だ。吊り目がちの、気の強そうな眸が、ドアに繋がる二段だけの階段の上からユーティアを見下ろす。
 彼女は察したように、瞬きをした。
「もしかしてあなた、このお店の人?」
「はい、そうですが」
「あら良かった、魔女の店だって聞いたから探してここまで来たっていうのに、誰もいないからどうしようかと思ってたところだったのよ。出かけていたの?」
「ええ、少し……」
「ささ、お帰りなさい。ほら、早く上がらないと荷物が濡れるわよ」
「え? え、ええ、そうね」
 にこ、と両目を三日月のように細めて笑い、女性はユーティアの腕を引いてドアの前まで上がらせた。見知らぬ人だというのに、まるで躊躇いがない。彼女の勢いに圧倒されてしまい、ユーティアは久しぶりに自分の人見知り癖を思い出した。あなた誰、と一言聞くことさえままならず、さあさあと言われるがままに鍵を開ける。


- 26 -


[*前] | [次#]
栞を挟む

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -