[.「ナハトのルクシオン」


 その辺りになって、ようやく自分の求められていることが理解できて、疲れも何も一瞬で忘れるほど唖然とした。
「とんでもないと言ったんだ。こんな片田舎の、畑仕事しかしたことのない私に、絶対君主と言われる魔王を倒せるわけがないだろうと何度も訴えた。貴方も疲れているんだ、私から貴方たちに手を出すつもりはないから、どうか持ってきたものを食べて休んで、冷静になってくれと言い聞かせた。だが、ゼンは動かなかった。ゼンどころか、一人も動こうとしなかった」
「動けなかった、とか?」
「違うんだ。冷静になったところで、頼みは変わらないと言うんだ。彼らはどのみち、私を連れてゆくことも殺すこともできずに、城に引き揚げれば自分たちは命がないと言ってきた。ならば一度、私が城へ行けばいいのかと聞いたが、騎士団が負けたとあっては、王がみすみす見逃すとは思えないと言われてしまってな」
「……怖い王様」
「ああ、本当にそうだ。大人しく行けば無事では済まないし、ナハトに留まったら騎士団を見殺しにしてしまう上、きっと私も、周りも無事ではいられない。目をつけられた時点で選択肢はなくなっていたのだと、ようやく気づいたよ」
 ちらと、ルクは躊躇うように私を見た。私はわざと、コーヒーに視線を落として、うんと軽い返事をした。気遣わせたくなかった。きちんと最後まで、彼の記憶から、その過去を聞きたかった。ナハトの村人だった彼が、魔王ルクシオンとなるまでの、彼自身の目に焼きついた鮮烈な時間を。
「私は、彼らを見捨てることができなかった。自分が出ていって何ができるのか、半信半疑ではあったが、城に戻りたくないと訴える彼らの痛ましさに負けたんだ。はっきり言うと、流された。百人に頼み込まれて、断りきれなかったんだ」
 苦笑を含んだ声で、ルクが言う。
「やらないこともないような返事をして、疲れ切って眠ってしまって、翌日には彼らの引く馬に乗って、クーデターの主犯として城を目指していた。もっとも、私は騎士団を助けたかっただけで、魔王になりたいとはこれっぽっちも考えていなかったから――クーデターを起こしたという実感は、そのときはほとんどなかった」
「いつ、これがクーデターだって思ったの?」
「魔王が、膝をついて倒れたとき……だな」
 王の敵となって城に戻ってきた騎士団を、兵士は攻撃しなかった。ナハトの少年が騎士団を破り、彼らと共に城へ向かっているという情報はすでに入ってきていたのだ。門番はクーデターを起こした騎士団を無言で通し、城内にいた兵士たちは一斉に武器を取った。メイドたちは城下の住民の避難を誘導して、魔力に多少なりとも覚えのある者は後援として城へ戻った。
『誤解のないよう、先に言わせていただく。この戦いで勝つことができるのは、貴方か、あの方か。どちらかのみだ』
『ゼン?』
『それ以外の――我々は皆、貴方の盾であり、剣でしかない。使用者のいない武器は、がらくたと同じだ。決して、我々に花を持たせようなどと思われるな。貴方が勝つことだけが、私たちの勝てる道なのだ』
 彼はそう言って、鎧兜を被った。
 少年だったルクにはまだ、合う鎧がなかった。加えてナハトで満足な食事も摂れずに育った彼の体は、子供用の革で作られた鎧でさえ、重くて支えることができなかったのだ。道中にそれを知った騎士団は、丸腰の少年に代わって自分たちの護りを最大限に堅くした。
 そして彼は、銀色に輝く百の軍勢に囲まれて、王の居室のドアを破った。
「そこから先は、ただ必死で――情けない話だが、よく覚えていないんだ。魔王は私よりも遥かに、力の使い方を熟知していた。皆が私の姿を背中に隠して、私は居所を一点に留めないようにしながら、無我夢中で戦った。時々、大きな魔法が襲ってきて、メイドや兵士が次々に倒れていった。皮肉にも、私の放った魔法が跳ね返されて、前線にいた騎士たちを吹き飛ばした。いつのまにか、動いているのは私と魔王だけになっていた気がするが、それさえもよく覚えていない。夜が更けて、夜が明けて……気がついたら、私の前には魔力の尽き果てた王が倒れていた」
 両足は鉛のように重く、髪は焼け焦げて、頬からは血が滲んでいた。肩で息をしていた。両手が自分のものではないように震えていた。
「私は――勝っていた。絶対君主と言われた魔王、ディトライドに。記憶が再びはっきりするのは、それが分かった瞬間からだ」
 歓喜と戸惑い、安堵と絶望、生きているのだという驚きと、とてつもなく大きな何かが一つ、終わったという実感と。体は汚れてぼろぼろだったが、魔力の消耗という意味合いでは、むしろ騎士団と戦ったときのほうが限界を超えていた。証拠に、倒れた魔王のもとへ歩み寄ることができた。
 王に、意識はなかった。もう何も感じないだろうと思うほど疲弊していた心の底で、そのことにほっとしている自分がいた。命乞いを聞いてしまったら、流されずにいられる自信はなかった。
 例え、この王はひれ伏して礼を言った直後に、背を向けた自分を一撃で討つのだろうと、頭では分かっていても。


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