[.「ナハトのルクシオン」


 困窮、と一言で言われても大した想像がつかず、生まれ故郷に対して愛着と複雑な思いを同居させたことなどない私には、言葉では理解することができても、ルクの話を完全に分かり合えた自信はなかった。特別に恵まれていた家庭ではないが、これまでの日々に何不自由なかった。多分、それはその時点で、恵まれているということなのだろう。
 ルクも私の育った環境がそれなりに守られたものであることを察してか、困窮の具体的な様子についてまでは語ろうとしなかった。漠然と、私に受け止めることができる範囲の表現で片づけた。
 私にとってはむしろ、彼が最後につけ加えるように零した言葉のほうが、ずっと簡単に理解できた。ルクらしい理由だと思ったのだ。一番上に立つ人があまりにあっさりと許して、もう気にしないよと言ってしまったら、問題は過去のものになってしまう。しかし、ルクがここにいるように、当時の悪政を知る人はまだたくさん生きているのだろう。大きな力が忘れるほうへ傾いてしまったら、その陰で捨てられた悲しみを抱えて、小さな人々は潰れていく。
「ルクは、クーデターで王様になったって」
「驚いたな……、どこでそんな話を聞いてくるんだ、君は」
「ごめん。でも、ルクが起こしたクーデターじゃないんでしょう?」
「ああ、当時の騎士団が……というか、この話こそ、君が聞いて面白いものではないと思うんだが」
「いいよ。だって、面白いから知りたがってるわけじゃなくて――」
 遮るように言おうとして、その先の言葉が出てこなかった。喉元まで出かかっていた何かがふいに消えてしまった感じがして、あれ、と困惑する。
 噂話の種を探すように、知りたがったわけではない。知って、誰かにそれを振りまきたかったわけでもない。コーヒーのついでに語らせるには、重い話題であることも分かっている。楽しい話ではないのだ。
 それなのになぜ、私はこんなにも、ルクの口からその話を聞きたいと思っているのだろう。
「……まあ、今さら隠す話でもないから、構わないといえば構わないんだが。そうだな、何から話すのがいいか」
「よかったら、ちゃんと聞きたい」
「なら、クーデターの少し前から話そう」
 カップの底に残ったコーヒーを飲み干して、ルクは言った。無意識に背中を伸ばして、うんと頷く。
 私たちはどちらからともなく、窓の中に浮かぶ月を見た。周りは確かに暗いのに、太陽を見ることのできない魔界では、どんな昼の光よりも満月ひとつが遥かに明るく見える。
「大人たちの話が分かるようになってきて、自分たちの村が貧しいと気づいたころ。少年だった私は、父や母に言われて、自分の魔力が比較的強いようだと気がついた」
「うん」
「だが、先ほども言った通り、ナハトはとても小さな村だったんだ。村中の魔族を集めたって、大した人数にはならない。そんな中での一番だから、どうせ外へ出れば些細なものだろうと思って、私はあまり深く考えていなかった。……ちょうど、その頃からだったと思う。風の噂で、魔王がまた城へ納めさせる税を上げようとしていると、そんな話が流れた」
 ――王はいよいよ、弱いもの、刃向うものは捨てるつもりだ。
 当時の大人たちは子供のいないときを見計らって、家の裏や納屋の奥でそう囁き合った。ナハトだけではない。近隣の似たような規模の村は皆、大地が喪に服したように静まり返って住民は生気がないと、商人がこぼした。
 大人たちの会話に入るには若く、子供というには大きくなっていたルクは、いつもその商人が仕入れてくる噂話で情勢を聞いていた。風向きは悪くなる一方だった。やがて中央で、納税を指示するものと思われる命令が下された。
『中央は、どうして荒れないんだろう』
『それは、城の近くにも、中にも、王様に敵う者がいないからでしょう』
 農具を買うわけでもなく、隣に座って品物を磨くのを手伝いながらぽつりと呟いたルクに、商人は北へ向けた目を細くして答えた。
『この世界は、魔力がすべてです。持たざる者は、どう足掻いたって持てる者には敵わない。剣を握ったって、拳を鍛えたって、強い魔力を持つ者の指一本に吹き飛ばされておしまいです。わたしなんかが指を振ったところで、飛んでいくのはせいぜい木の葉だが、あの方はその気になったら、遠く離れたお城の窓から出した指で、ここにいるわたしを殺せる。今すぐにでも』
 それから、ほんの数日後。その魔王による命令で、ナハトの畑の半分が城のものになった。近隣の村でも、同様の命令によって波紋と動揺、そして絶望が広がっていた。南部はただでさえ、痩せて作物のあまり穫れない土地だった。村の畑の半分を失うことはそのまま、住民の半数が失われるか、全員が満足な食事を摂れなくなることに繋がっていた。
「逆らう声は、上がらなかったよ。何せ、ナハトとその周辺の村は、王どころか城さえ見たことのない住民がほとんどだったんだ。噂に聞く魔王の強さと冷淡さが恐ろしくて、何も言えなかった。恐怖というのは、すごいものだな。姿を見たことがなくても、想像だけで、私たちは完全に支配されていたんだ」


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