[.「ナハトのルクシオン」


「話すのは構わないが、特別な話は何もないぞ? 私は元々、平民の出身だからな。両親は一般家庭の者で、母も王妃というわけではなかったし」
「あ、うん。ちょこっとだけ、聞いたことある。その、魔界の王様は世襲制じゃないんだって話で」
「ああ、なんだ。それなら、私の出自も知っているんだな?」
「なんとなく。普通の町の人だったってことくらいだけど」
 即位に関する情報を、当時を知らない私が噂話のようにあれこれと知っていてはあまり良い気はしないかもしれないと思って、初耳ではないという程度に濁した。そうなんだ、と迷わず頷くあたり、ルクは特別、過去のことを隠しているわけではなさそうであるが。
「私の生まれた村は、ナハトという。魔界の南の外れにある、本当に小さな村でな。何家族かで一つの大きな畑を作って、傍に小さな家を寄せ集めて暮らしていた」
「畑?」
「農民だったんだ。麦を作ったり、果樹を育てたり。南部は農村が集まっていたんだが、中でもナハトとその周辺は、家以外はすべて畑と言ってもいいような村でな。住んでいる者といったら、畑を耕さないで生きているのは、村で一人の商人くらいのものだった。農具と、服をよく売っていたよ。彼以外は、皆農民だった」
 本当だぞ、と念を押すように言って、ルクは少し笑う。懐かしんでいるようにも、驚きに固まっている私が可笑しかっただけにも思える、ほんの軽い笑みだった。
 ――ここから休まず歩いて三日ほどかかる、遠い田舎の出身ですよ。
 テティさんの言葉が、脳裏にくっきりと甦ってくる。そうなのか、とは思っていたが、それがどの程度この城とかけ離れた場所なのか、魔界をよく分かっていない私はイメージが湧いていなかった。想像以上に、本当の田舎だ。田舎、という表現さえ柔らかく思えるルクの発言に、私はまじまじと彼を眺めた。
 ……似合わないようで、今のように髪を結んで、服装さえ変わったらしっくりきてしまいそうだ。クワとか、カマとか。
「私の母は、生まれも育ちもナハトだよ。父もそうだ。元々、同じ畑を耕していた家族の子供同士で、幼馴染というか、昔から家族のようだったと言っていた」
「へえ」
「狭い村だからな。身近なところで年の頃が近い者があれば、兄弟のように育って、ゆくゆくはその中で結婚するというのも珍しくなかった。同じ畑で仕事をしていた家の者同士で結婚すれば、人手も減らずに済むし、どちらの畑に入るかを巡っていざこざが起こることもない。母はそういう、いがみ合いが苦手な性質だった」
「優しかったんだ?」
「朗らかな女性だった。父もあまり、争いごとを起こすタイプではなかった……というか、少々面倒くさがりだったな。母が心配性なのに対して、父はよく言えば大らかだが抜けていた。まあでも、物心つく前からの関係というだけあって、仲は良かったんだ。互いに気心が知れていて、周囲に歓迎される相手を選んだのだろう」
 ふうん、と何気ない顔で相槌を打ちながら、私は心の中で、ルクは確かにその二人の血を引いていると深く納得した。温厚で、やや過保護がち。他人に対して寛容だが、周りのことは気にするわりに自分自身のことは妙に抜けていたりする。
 ルク自身は気づいていないのかもしれないが、見事な遺伝だ、と感心さえ覚える。同時にちくりと、胸が痛くなった。彼は母親のことも父親のことも、こういう人だった、と振り返るものの話し方をした。それは、過去に対する接し方だ。今あるものに対する言葉とは、響きが違っている。
「ねえ、それならルクは?」
「私?」
「うん。どんな子だったとか、何歳くらいまで村にいたのかな、とか。村のことはどう思ってたの? やっぱり、好きだった?」
 矢継ぎ早になってしまうのは、頭の中にそれだけ多くの疑問が続けざまに浮かんでくるからだ。両親の話を続けて良いものか、躊躇ったというのももちろんある。ただそれよりも単純に、ルクの故郷の話を聞いた私の中には、問いかけが溢れてきていた。声に出して並べていかないと整理のつかなくなりそうなスピードで、今まで抱いたことのなかった「ルク」という人の、私の知らない過去の時間への問いかけが。
「どんな子、と言われても、自分ではあまりな……ナハトにいた頃は、両親と共に畑仕事を手伝って暮らしていた。明確な歳は忘れてしまったが、働き手としてようやく役に立つようになったかどうかという頃に、村を出て城へ来てしまった」
「寂しくなかった?」
「まあ、戸惑いはあったさ。ただ……」
 ルクは一旦、迷うように視線を動かした。
「なに?」
「これはあまり、面白い話でもないんだが。――さっき、村が好きだったかと聞いただろう? 生まれた土地、家族のあった土地という意味では、愛着はある。だが、好きだったかと言われると、決して良い思い出ばかりで好きだと言い切れるわけではないんだ」
「そうなの?」
「ナハトは、困窮していた」
 私は一瞬、耳を疑った。口にしたルクも、まるで自分の言葉で記憶をなぞって、確かめているように重く頷く。
「子供の頃は、そんなことは知らなかったんだがな。ある程度の年齢になって、大人たちの話が理解できるようになった頃、自分たちがかなり無茶な生活を強いられていることに気がついた。その原因が、当時の魔王の悪政にあったんだ。無謀な税を取り立てたり、辺境の痩せた土地でも中心部と同じだけのものを作るよう、強要したり」
「うん……」
「生まれたときからその枠の中にいることが当たり前だった私は、事実に気づいたとき、愕然としたよ。ナハトに生まれて、これまで自分が普通だと思ってきた生活は、実は苦しいものだったんだと知ったわけだからな。今になって思えば、あの村の生活は異常だった。だから、故郷という意味では大切な場所に違いないが、誰かに胸を張って、好きだと言える場所ではないんだ」
「そう、なんだ」
「……あと、私がそれを言ってしまうと、かつて多くの者を苦しめた悪政を、歴史として水に流してしまう……ような、気がする」


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