Z.冥夜祭


「年に一度の、皆で用意した舞踏会ですから。警戒は怠りませんが、いつもの役目に囚われて楽しまないのも、無粋というものです」
 舞踏会、という言葉が、ようやくはっきりと色を取り戻してくる。くるくると回るドレスの煌びやかなイメージが思い浮かんで、私は自分が今、何の会場に来ているのか、危うく忘れかかっていたことに気づいた。
 豪華な料理を一口ずつつまむうち、立食パーティーの気分になっていたのが恥ずかしい。そういえば、これは舞踏会だったのだ。まったく、初めは確かにそう分かっていたくせに、甘いものを前にすると色々と緩んでしまって仕方ない。
 食い意地が張ってるっていうのかな、こういうの。
 居たたまれない気持ちで、わずかに熱くなる頬を押さえた。そうか、そろそろ頃合いか。ルクが思い立ったようにそんなことを言って、一言二言、ゼンさんと言葉を交わす。俯いた視界の中で、ルクの手が動いた。
 つられて、どうしたのだろうと顔を上げる。視線が合うと、彼はまるで共謀者のように、私とゼンさんにしか聞こえない声で、
「始めるぞ」
と言った。
 天井に向けられた指が、ぱちんと鳴り響く。途端、どこからともなくピアノの音が流れ出した。
 会場の人ごみの奥にある、ステージの傍のピアノに目を凝らす。音の出所は、やはりそのピアノであるようだった。しかし、奏者はいない。鍵盤が透明な雨にでも打たれるように、押し込まれては戻って、メロディーを創り出している。
 わっと、すぐ後ろで歓声が上がった。見れば、彼らの頭上にあるシャンデリアの一つが形を変えて、みるみる金色の管楽器の束になっていくところだった。たった今まで明かりの灯されていた先端から、会場全体に向けて音が溢れ出す。
 部屋のあちこちで置き物のように飾られていた弦楽器たちも、先ほどのピアノのように、いつの間にか無人で奏でられ始めていた。大広間に満ちていたパーティーの空気が、がらりと入れ替わる。和気藹々として明るいものから、オーケストラのように賑やかで、艶やかなものへと。
「すっごい……! 今の、貴方がやったの?」
 どんな種と仕掛けを仕込んだ、大がかりな手品より。たった数秒間で目の当たりにした奇跡は美しくて、どこか無邪気な夢があって、私はそれまでに考えていたことなんてすべてどうでもよくなってしまって、満面の笑みでルクを振り返った。興奮気味の私に戸惑ったのか、彼はぎこちなく首を縦に振る。
 私はもう一度、すっかり楽器に変身したシャンデリアを見上げた。本来なら奏者が口をつける根元の部分は皆つながっていて、一つ一つの楽器が外を向いて広がっている形に、巨大な花のようだったシャンデリアの面影が残っている。
 テーブルに固まっていた人々が、少しずつ動き始めた。テーブルとステージの間、大広間の半分近くを残したスペースに、対になった靴がどんどん増えていって、音楽に合わせて軽やかに弾み始める。
 鎧を脱いだ兵士も、髪を下ろしたメイドも。正装の人も仕事着の人も関係なく、皆が手を取り合って踊りだした。色とりどりのスカートが、雨の日、ビルの屋上から見る傘のようにくるくると回っている。けれどここに降り注いでいるのは、雨ではなくて光だった。金色の、地上で見る朝の光のようなシャンデリアの光。冥夜祭の今日、ドアを開けて外に出れば一粒も零れていない、ここだけの光。
 見れば、半分ほどの人はまだ食事とお喋りを続けていた。そうかと思えば、どこからか自前の楽器を取り出してきて、いつの間にか演奏に加わっている人もいる。メロディーは所々、うやむやだ。そんな綻びも、すぐにまた別の音が塞いで、音楽が続いていく。
 雑然としていて、けれどとても開放的で楽しい。
 目の前に広がる見たことのない光景に、私は口を閉じるのも忘れてひたすらに見入った。視覚には光と色が、聴覚には音楽が溢れ、心臓がどきどきと小鳥のように動いている。スカートは次々に前を横切り、そのたび私の鼓動はそこへ乗せられて、一層跳ね上がるようだった。
「毎年のことながら、圧巻ですね」
「ああ、今年は集まりも良かったから、尚更だ」
「ええ、本当に。私が申し上げたのは、ダンスではなく、演出のことだったのですが」
「……え?」
「まあ、どちらでもよいでしょう。今年も成功して、何よりです」
 横でルクとゼンさんが、音楽に沸く会場を眺めながら話している。聞くともなしにそれを聞き流してぼんやりしていると、ゼンさんがふと、思いついたように口を開いた。
「マキさん、せっかくですから貴方も参加してみては?」
「えっ?」
「準備でもかなり頑張ってくださったと、兵士たちが話しておりました。貴方の故郷では、このような祭りはあまりないのだそうですね。いかがです、舞踏会を満喫してみては」
 知らないところで自分の話題が出ていたことに、少々顔が火照る。良い意味合いで話に上れていたようで、大した仕事はできなかったと思っていたので嬉しかった。ありがとうございます、と言ってから、首を横に振る。
「確かに、日本――あ、地上で私の住んでたところでは、舞踏会なんてないんですけど。でも、だから私、こういうの参加したことなくて。決まりとか、よく分からないからいいですよ。それに……」
「それに?」
「メイドさんには友達もできたんですけど、兵士さんってまだあまり親しい人がいなくて。顔見知りの人とかはいるんだけど、仕事で挨拶する程度なんです。一緒に踊ってくれそうな人は、ちょっと思い当たらないなって」


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