八章 -ウェストノールの風-


「テオ、本当に無理はしないで。頼んだのは、私だけど」
「分かってる。行くか行かないかは、オレの判断でいいって言うんだろ」
「うん。飛行艇のことは、私には分からないから……」
 だから、と。最後まで言い切ることなく、声は徐々に萎んでいった。観光客を運ぶためだけに、景色を楽しませながらしている操縦とはわけが違う。テオのほうにもあまり、精神的な余裕がなかった。以前にセネリを乗せたときなどとは、比べ物にならないほど神経を注いでいる。
 ぴりぴりと、何か張り詰めたものを感じる部分があったのだろう。切羽詰ったようにでも思わせたのかもしれない。邪魔をしないだろうかと葛藤しながらも言い出した様子のセネリに、テオはミラーで飛行石の状態を確認しながら答えた。
「前例のないことだからちょっとは緊張もしてるし、内心、引き返すとしたってどのタイミングで? とかさ。色々考えてはいるよ」
「そう、だよね」
「でもさ」
 千切れた綿のような、積雲を越える。この高さまで飛行艇を上げるのはいつ以来だろう。
「期待、してくれてていいよ。やるならやれるつもりで行こう」
「……!」
「そのほうが、きっと色んなものが味方につくだろ。運とか、タイミングとか、それこそ風とか。ほら、なんだっけ、あんたの言った……」
「え? あ、これからあなたの飛行艇に乗る人たちと、ルーダと、すべてのあなたにこの空の風が微笑むことを願って……?」
「そう、それ。信じてみようぜ、あんたと同じ、風の調合士たちが遺してきたものを」
 頬に当たる風が、強くなる。飛行艇はとっくに王都の上空へ入った。高すぎてとても見分けられないが、きっとこのあたりの眼下に、風の神殿がある。
 始祖というものが、もし本当にいるのなら。どうかその血脈の彼女を守り、その願いを叶える力の一つくらい、貸してはくれないだろうか。テオは自分の中の願いが、真っ直ぐに地上へ向かって矢のように神殿へ届くイメージを浮かべた。イーストマストの人間みたいだな、と心の中で苦笑する。精霊だの、祈りだの。目にも見えない、遠い昔の魂だの。信じているという言葉でしか存在を共有できないものにも、願いをかける。大気を裂いて進む翼を、例え動かすのは自分の手にある技術だけだとしても。そこに一筋の、何かがきっと手伝うと信じたい。
 ふと、そう思ったとき、腕に触れたのはセネリの手だった。
「……うん」
 力を加えるのではなく、ただそっとなぞるように。肘を伝い離れていく指の、夏の朝と溶け合う体温に、ああ、と緩い瞬きをした。そう信じるあなたのことも、忘れず信じているから。言葉には出されなかったそんな思いが、まるで洗礼のように肌を伝い、内側へ沁み込んでいく。


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