五章 -ブラウン・カフェ-


 カーン、カーン、と夕暮れを知らせる鐘が鳴り渡る。穏やかな風に運ばれて、その鐘の音は運河を渡り、ウェストノールの隅々まで満たそうとするかのように今一度鳴った。観光地区の中心に聳える円形劇場が、日暮れに合わせて必ず鳴らす大きな金色の鐘だ。ほとんど毎日耳にしてはいるが、これほど近くで聞いたのはいつぶりだろう。
「……眩しい」
 傍を通りがかったところちょうど鳴り出した鐘を、足を止めて見上げていたセネリが言った。鐘を見上げる紫苑の眸を、きゅっと細める。全体がゆっくりと前後に揺れるたび、金色の表面が夕日を受けて滑らかに輝くのだ。
「閉じてもオレンジになるぞ」
 瞼を下ろす仕草をしてみせてそう言ったが、セネリはどこか楽しそうに微笑むだけだった。橋を渡る人々の中にも、同じように見上げている人がいる。
 テオはポケットの中にあるチケットを指先で確かめて、少々皺になった角を伸ばした。アゼリー会で送り届けた、あの研究者に譲られたものだ。クリーム色の紙にチョコレート色のインクで、ブラウン・カフェと書かれている。
 割引券か何かだろうかと思っていたのだが、管理所に戻ってから改めて見てみると、それは思った以上に良いチケットだった。チケット持参者とその同行者に限り、限定ブレンドのハーブティーをサービスするという。ハニーラティスとマゼリのティー、と書かれていたが、ティー以外の部分については想像のつくものが何もなかった。植物とはこんなにも種類に富んでいたのかと、近頃よく思わされている気がする。
 割引券だったら、仕事の合間に一人で立ち寄るつもりでいた。だが、せっかくの限定チケットだ。テオは管理所で聞いた電話番号をメモに書き残して、自宅からセネリへ電話をかけた。ハーブティーと聞いて、真っ先に思い浮かんだのは彼女と彼女の家の風景だ。きっとこういうものには興味があるだろう。何よりハニーラティスにもマゼリにもぴんとこない自分が、勇んで一人で行くというのもどことなく勿体ない。
「ブラウン・カフェには以前から行ってみたいと思っていたの。でも、なかなか機会もなくて」
「一人で行くには、混んでると待ち時間が長そうだしね」
「うん。だから、電話で話を聞いたときは、びっくりした」
 片側へ寄せた髪を緩やかに編み、葡萄石のピンで留めたセネリは、そう言って腕にかけた鞄を持ち直した。今日の彼女はいつものエプロン姿ではなく、生成りのシャツと、襟と裾に銀糸で刺繍を施した藍のワンピースを着ている。ガラス瓶も提げていない。
 身を囲む装飾品の少なさが、逆に彼女を大人っぽく見せていた。やや対称的かもしれないな、とテオは自らの足元を見下ろして苦笑いを浮かべる。テオの格好は、いつもと変わらないアイボリーのジャケットにカーキのカーゴパンツ、それにベルトの並んだ黒のブーツという出で立ちだ。ほんの一時間くらい前までは仕事をしていたのだから、それも当然ではあるのだが。飛行艇士のトレードマークであるゴーグルと厚い手袋を外してしまうと、いかにも地元の少年といったふうだ。


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