].星の宿り木


 古書屋「アーク」の主人は変わり者。夜な夜な怪しい古文書と向き合って、何かやっているに違いない。
 そんな噂が我が物顔でカリヨンの街を回遊していたのは、もう少しだけ懐かしいこと。
 「ジル」
 キイ、と小さなドアを開けて足を踏み出せば、粉のような陽射しと澄んだ風が身を包んだ。古書屋の中に満ちている紙の匂いも嫌いではないけれど、薄いドアを一枚隔ててこんなにも空気は違うのかと思うと、外というのは不思議だ。乾いた石と緑の匂いがする。ここは、まるで秘密の庭のようだ。
「マリア、来ていたんだ」
「うん、たった今。お店の中にいなかったから、もしかしたらここじゃないかと思って」
「天気がいいから、ついね。そこ、気をつけて」
そんな小さな日溜まりの一角に、彼は壁にもたれて座り、本を読んでいた。マリアが来たことに気づいて、栞を挟んでそれを閉じる。何度か歩いた場所だが、緩やかな傾斜にはなかなか慣れるものではない。マリアは言われた通りに小さな段差を跨いで歩き、差し出された手を掴んで、ようやく引き寄せられるようにその隣へ座った。
 「おはよう」
 「ふふ、おはよう。何読んでたの?」
 足を伸ばしてしまえば心地好いもので、先ほどまでふらふら歩いていた危うさも忘れ、マリアはジルが膝の上で閉じた本に手を伸ばした。深緑の表紙に、見たことのないタイトルが刺繍されている。
「どういう話?」
「これは恋愛物かな。昔の物語だけれど、王道で穏やかな話みたいだ」
「あ、そうなの?じゃあ安心ね」
ほっとした顔で装丁を眺めたマリアに、ジルは予想通りの反応だと笑いを漏らした。どうして笑うのか分からないと言いたげなマリアの視線から目を伏せて、その手から本を受け取る。
「君は本当に、こういう話が好きだな」
「だって、一番怖くないじゃない。ミステリーとか、事件現場とか、できるだけ行きたくない」
「僕らが巻き込まれるわけじゃないんだし、極力君にそういう場面は見せないようにしてるじゃないか」
「それは、分かっているけど……でもたまには見るもの。あなたがリアルに想像するのがいけないのよ。もっとやんわりさせられないの?」
「はは、やんわりした事件現場か。無茶を言うね」
売り言葉に買い言葉。至って真剣な要求のつもりだったのだが、いつもの調子で流されてしまった。読書家に口で勝とうというのが、そもそもの無茶なのかもしれない。唇を尖らせながらも、マリアは彼の肩に頭を預けてみた。古びた紙の匂いが、太陽の匂いの中にわずかに混じる。


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