「白石」 それから数日、特になにも変わらない数日が経った日の朝のことだった。朝食の片付けを終えた頃に、彼女は声をかけてきた。 「話がある」 いつになく真剣な顔つきで彼女はそう言った。俺は全く心当たりもなく、とりあえず彼女を椅子に座らせる。紅茶をいれようかとしたらいらないから座ってくれと言われた。ので座る。 「………」 「なん、話て」 「………」 「?」 促してみてもそんなに言いにくいことなのか、彼女は躊躇っているようだった。そしてどこかその表情が辛そうに見えて。その瞬間俺のなかで嫌な予感が、少しだけ、した。 「お嬢、様?」 「………白石」 「ん」 「きみを、………する」 「え、?」 外の音が遮断されているかのような静かな空間のなか、絞り出したような声は本当に小さく、だけどはっきりと、聞こえてしまった。一番、聞きたくなかった言葉が。 「なん、で、」 「ごめん…」 「さすがに、急すぎやろ…」 「………」 「なあ、」 「ごめん、白石」 深々と頭を下げる彼女は本気だった。さらり、と毛先が栗色の髪が落ちる。違う、俺が聞きたいのはそんな言葉じゃない。俺が聞きたいのは、 「解雇て、どういうことやねん…」 だけど、お嬢様はなにも答えなかった。頭をあげてもただ眉を八の字にして口をきゅっとつぐんだだけで。 「………」 「………」 ふと、カレンダーが目に入る。今日までの働きが、次の給料日に反映される。…ああ、つまり、そういうことか。彼女は今日付けで、俺を解雇するつもりなのか。 「…そか、……」 「ごめん」 「………」 「………」 「ほな、準備するさかい部屋戻るわ」 「…ああ、わかった」 どうしたって彼女はそれを取り消すことなどしない。分かっているつもりだ。だから、俺はなにも問い詰めずに自室へ戻った。 「…準備、出来たのか」 準備が終わってそのまま玄関にいけば、彼女はたいした表情も出さずに立っていた。最初も、あまり感情を出さなかったな。なんてここに来た頃のことが走馬灯のように思い出された。感情表現に乏しくて、誰とも会おうとしなくて、喜怒哀楽どれも見せずただそこに居ることしかしなかった彼女は、変わった。喜怒哀楽もはっきり見せるし、他者と関わろうと少しずつ歩んでいるし、勉強だって娯楽だってする。そうして成長する彼女と、ずっと居れると思っていた。信じていた。けど、それは叶わないらしい。 「白石」 言葉を交わさず、そのままドアノブに手を掛けた俺を彼女が呼ぶ。振り向けばやはり表情に変化はなかった。 「今まで、ありがとう」 「!」 「白石のおかげで、わたしは変われたよ」 「………」 「本当に、ありがとう」 深々と頭を下げる彼女の顔は、やはり見えない。だけど少し声が震えていたから、泣きそうだったのだと、自惚れるくらい許されるだろう。 「お嬢様」 「………」 「俺の方こそ、雇ってくれておおきに」 「しら、い、し」 「楽しかったで」 ああ、もう。そんなに涙をためても、俺はもう、どうもしてやれないのに。 「ほな、元気でな」 「ああ、白石も、な」 ぱたん、と閉めた扉の向こうからは小さな小さな嗚咽が聞こえた。 世界はしずむ |