断片 | ナノ

彼と彼女


ピンポーン


時刻は深夜に差し掛かっているのに鳴るインターホン。悲しいことに私しか居ない部屋。しかし容易に返事をするほど、私は無防備ではない。恐怖心を抱えながらも息を潜め、忍び足で玄関へ向かった。インターホンは一度鳴ったきりでドアノブにも動きはない。鍵はかけてあるし、もしかしたらイタズラでもう誰も居ないかもしれない。はたまた…と思いつく限りの可能性を考えるがどれも確信はない。深呼吸をひとつした私は、気配を精一杯殺して念のためにドアのチェーンをかけておくべきかと思ったその瞬間、聞きなれた声がドアの向こうから聞こえた…ような気がした。まさかと思ってドアスコープをのぞく。予想したもう一人の住人と、見慣れない女性がドアの前にいた。


「ほら、ユウジくん着いたよ」

「う〜…」

「鳴らしたけど出てこないし、寝てるんじゃない?カギは?」


そんな会話がドア越しに聞こえてくる。どうやら聞きなれた声の主である彼は酔い潰れているらしい。珍しいと思う気持ち、を上回る黒い感情を私はどうすればいいのだろう。出ていくべきなのか。躊躇ったけど、泥酔のユウジが仮に行動したとしてカギを正確に取り出すことを保証しきれない。関係性も見えない女性とユウジを、彼の意識が回復するまで放置というわけにはさすがにいかないだろう。いくらなんでも酷な仕打ちだ。ここは大人になろう、気にしてないふうに装ってとりあえずユウジを回収しよう。小さな深呼吸を再びした私はそのドアをあけた。


「す、すみません、あけるのが遅くなってしまって…」

「いえ、こちらこそすみませんこんな時間に。起こしてしまいましたよね」

「大丈夫です、それより、その、…ご迷惑をかけてしまったみたいで…」


女性はそれはこちらのセリフです、とユウジを支えながらも頭を下げた。遅くまで付き合わせてごめんなさい。大丈夫です、それより送ってくれてありがとうございます。そんな会話をしながらなんとかユウジを引き取った。ハルさんというらしい彼女はユウジが今いるサークルのOBだそうだ。たまたま会って、話が盛り上がってこんな時間になってしまったのだと言った。本音をいうとふうん、としか思えなかったがなんとか取り繕って再度私がお礼を言って彼女が謝って、見送った。顔を真っ赤にして玄関で座り込むユウジを見て、自分でも驚くほど落ち着いていた。いや、落ち着いていたというより、冷めていたというのだろうか。


「ユウジ」

「あー…、愛理…?」

「たてる?肩かすから」

「おー」


一応会話は成立するらしいユウジを、なんとかベッドまで運んだ。意識があまりはっきりしてないのか運ぶ途中よく分からない話が飛び飛びでユウジの口から出てきて適当に相づちを打ったけど、シラフで泥酔してる人間の話を理解するというのは思いの外難しいというか、いや、言葉を選ぶ必要もないだろうから正直に言うと、疲れた。


「はあ、」


ベッドに運んで1分も経たないうちに寝息をたて始めたのを見て私は電気がついたままの居間へ戻る。何時間もそのままなテーブルの上をみて、ため息をつくほかなかった。先ほどまでの落ち着きから一転して負の感情がどっと押し寄せてくる。久し振りに泣きそうだ。


「………」


否、泣いていた。ただただ静かに。視界が滲んだのが揺るぎない証拠。ぽたぽた、と拭われるでもなく床を濡らす。そりゃショックを受けないわけがないよね、と自分で自分を慰めた。何時間も帰りを待っていて、いざ帰ってきたと思ったら知らない女の人と飲んでたなんて誰が予想できるんだろうか。ましてや、今日という日に。一体なんの当てつけなんだろう、と思わずにはいられない。私との約束なんて、ユウジにとっては…という意思表示なのだろうか。ここ最近は全くと言っていいほど心配していなかった事態を予想しては振り払うように首をふった。こんなこと、考えたって何もならない。だからと言って直接問いただす勇気もまた私は持ち合わせていなかった。


「…で、身一つにも等しい格好で来たんすか」


我ながらアホだと思う。あの感情から逃れたい一心でこんな深夜にわざわざ、それもかつての後輩が働くバーに来るなんて。その証拠に前より表情筋が動くようになった彼の眉間が寄っている。私だってこんな理由で来たくはなかった。


「だって家にいたら、なんかもう…やばかった」

「………」

「外に出ないと朝を迎えられない気がしたんだもん…」

「…ハァ」

「今なんで朝までこの店開いてるのかと思ったでしょ」

「ほんまに初めて営業時間を恨みましたわ」

「相変わらずひどい」

「相変わらずあほっすね」

「えぇ…」

「ま、どうぞ」


スッと慣れた手つきで出されるそれは私がお気に入りのカクテル。しかも頼んでないのに出してくるからなんだかんだの優しさは健在している。で、最後は奢りとかさらっと言うんだろうな。更に言うとたまにしか会わないのに私の味覚をマスターしてるのかと思うほど絶妙な美味しさだから、天才は何年経とうと何をやっても天才らしい。このバーの女性のリピーターが増えるのも当然だよ、まったく。


「で、今日はなんの約束しとったんです」

「…記念日のお祝い」

「………」

「別に、同棲してるし全然そんなのしてなかったんだけど…」

「たまには、みたいな感じっすか」

「うん。最近イベントみたいなのも私たちにはなかったから、あえてやる?って感じで」

「ふーん」


意外、と口にはしなかったもののなんとなくそう言いたげな顔をされた。そりゃ5年以上も経てば何かしら落ち着いてしまっていて、というのも勿論あるし元々記念日をマメに祝う習慣というのも無い。それでも世間一般の人と同じように季節の行事とか、恋人と過ごす選択肢もあるようなイベントの日を一緒に過ごすことはあって、…まあそれもお互いの都合がつく時だけの話だけど。それでその都合がつく日が重ならずしばらくイベントというスパイスのない同棲生活が続いていた中で、記念日である今日は珍しくお互い何も約束がないことが分かったのだ。とは言え遠出はできないし日中は大学があるし、と話しあった結果いつもより贅沢なご飯で家飲みをしようと控えめに落ち着いた。ご飯の準備は先に帰れる私でお酒はユウジの方が分かるから任せて。昨日までに少しずつ冷蔵庫が華やかになってはお互いの買ってきたものに興味津々で、今日は細やかながらも素敵な時間になるんだろうと、少なくとも私はそう思っていた。


「ところがどっこいだよ」

「そっすね」

「はりきったんだよ」

「愛理さんなら張り切るやろな」

「ぶっちゃけプレゼントすら用意した」

「可愛らしいとこもあるんすね」

「うるさい」

「で?」

「帰ってから何時間もユウジのこと待ってた」

「うん」

「ひたすら待ってた。連絡もした」

「けど返事はあらへん」

「そ。課題の話とか聞いてたからそれかななんて最初は思ったけどそれにしては遅いし、でも行き違うわけにもいかないから待つだけで」

「で知らん女に連れられて帰ってきて」

「………」


そうだ、ハルさん。ユウジの先輩にあたるひとだから、きっとOLさんなのだろう。でもそんなに私と年の差が無さそうに見えた。そして何よりユウジがあんなに酔うくらい飲む相手ってなかなか居ないんだから、ハルさんがまだ在学していたうちから親しくしていて一緒に飲む場も多かったのだろう。可愛い系というよりは綺麗系なお姉さん、という感じのひと。


「愛理さん?」

「………」

「…その人、綺麗やったとか思ってます?」

「え」

「図星かい」

「…うん」

「心配やろうけど、まだ外見とサークルの先輩ってことしか分からへんのでしょ」


なら直接聞いたらどうです?そう言いながらカクテルを静かに置いた。分かっているけどそんなの出来っこない。そしてそんな私の思いも言われる前から分かっているのだろう。


「ま、このまま放っとくほど冷たくはないんで」

「…光ってなんでそんなイケメンなわけ」

「さあ」

「その爪の垢を煎じて飲ませたい…」

「今さらすぎるやろ」


フッと笑った光は、気ぃ済むまで付き合いますんで、とあの時と同じ言葉をあの時より優しさを上乗せして付け足した。


2018/06/05



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