断片 | ナノ

CALL


呼べない、…いや、呼べなくなった名前があった。


「なんで黒尾くんのことだけ名前で呼んでるの?」

「幼馴染みだからって調子に乗らないで」


幼い頃は確かに呼べた、のに。時が経つにつれて醜い感情は次々とわたしを襲った。自分には関係ないことだと、似たようなシチュエーションの漫画を見て思っていたこともあったといえばあったけど現実はそうではなかった。


「分かった、―――――」


わたしからすれば当たり前だったことを否定され続けることに次第に疲れてしまって思わずそう言えば何かが崩れたような、そんな気がした。そしてわたしはその時から幼馴染みではなく仲が良い友達に成り下がった。そしてそれを初めて目の当たりにしたときの幼馴染みの顔を、わたしは見れなかった。


「……いつから、そんな呼び方になったの」


もう一人の幼馴染みがわたしに訊いた。わたしはその時になにを言ったか覚えてない。ぐちゃぐちゃな感情を吐き出して泣いて喚いたような、そんな気がする。いま思えば多大な迷惑をかけたと反省をしている。それでもわたしがその名前を呼べないのは、今もなお変わらずだった。


「クロ、これ猫又先生から」

「おー」


猫又先生から会ったら渡してくれと頼まれたプリントを届けるべく、そして自分の用事も済ませるべく少し離れたクラスへ行くと、目当ての人物は居た。夜久も一緒だった。軽く挨拶を交わしてすぐ近くの空いてる席を借りて本題に入る。


「近々買い出しに行こうと思ってるんだけど部費ってまだ余裕あったっけ」

「それこの間も聞いてこなかったか」

「そうだった?なーんか気になっちゃうんだよね」

「心配するほど使ってないだろ?」

「それもそっか」


軽快に笑うと目の前の二人も笑う。それから可愛い後輩が委員会で部活に遅刻するという申告を思い出して伝えれば忘れてただろ、と図星を突かれた。


「危うく怒るとこだったじゃねーか」

「ふはは、そしたらわたしがそのあとに怒られるね」

「いやいや笑い事じゃないだろ」

「まあクロに怒ら「黒尾くん」


他愛ない会話を、女の子が遮った。同時に少し甘い匂いが鼻を掠める。あ、この子見たことある。名前は知らないけど、生徒会の子だ。巻いてるのかいつも髪はふわふわで、仕草も施されたメイクも彼女の女の子らしさをしっかり引き出していてなんとなく覚えていた。


「どうした?」

「今度の壮行会のことなんだけど、」


夜久とふたりで主将は大変だねーなんて言いながらその様子をぼんやり見ていると女の子と目線がかち合った。かち合って、わたしから目線を反らした。


「………」

「?」


隣の夜久が不思議そうにわたしを見る。一瞬のことに、気づいてない。よかった、と胸を撫で下ろした。いま、睨まれた。目の前の彼女に、睨まれた。クロの目線は彼女か差し出したプリントに向けられたままだから、きっとクロも気づいていない。わたしは何もなかったかのようにカタンと席を立つ。


「用件済んだしわたし帰るねー」

「おう、またあとでな」

「うん、ばいばーい」

「……、プリントありがとな」

「んー」


背を向けながらも夜久にはちらりと視線を送ったけど、クロには向けずただ手を振って教室を出た。自然と足早になる。いつもより早く歩いて向かったのは人が居ない階段の踊り場。


「……はっ、」


息が荒い。落ち着かせるために深呼吸を繰り返す。脳裏をよぎるのはあの子の憎悪に満ちた一瞬の睨み。そこからいろんなことが、向けられてきた妬みや嫌悪がわたしを襲う。今でこそ殆ど無くなったものの、先程のように向けられるそれらはわたしにとってトラウマとなっている。物理的なものではなくて、精神的なもの。余計にたちが悪いその恐怖は植え付けられてどんどん蓄積されて敏感になっていき、今では一瞬のことでもわたしの冷静さを消してネガティブな気持ちが渦巻いていく。ああ、やだ、わたしはなにもしてないのになんであんな、ただのオトモダチすら許されないなんて面倒すぎる、向けられる敵意すべてが気持ち悪い、お腹いたいの通り越してなんか吐きそう、むしろ吐きたい、全部吐いてすっからかんになりたい、空っぽになりたい、あの頃みたいに、


「…………、…てつ、ろ」


壁に凭れてずるずる落ちるようにしゃがんで、無意識に呟いた。



2016/07/08



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