ノスタルジック 「清香!!!!」 柔兄の叫び声が障子の向こうから聞こえた。お父も俺もその声に振り向く。そして俺の脳裏をよぎるのはきよちゃん。きよ、清香、って、 「柔造、いま清香て、」 でもそれより先に反応したのはお父だった。信じられないという面持ちで、柔兄に聞く。柔兄は頷いたあとに俺を見た。 「柔兄、」 「廉造、お前清香と顔見知りやったんか」 「え、きよちゃんのこと、」 「顔見知りやったんやな?」 「おん…?」 「なんで言わんかった」 「え?」 「なんで言わんかったんや…!」 がしり、と柔兄に肩を掴まれる。だけど俺の頭は混乱していた。だってどうして柔兄やお父はきよちゃんのことを知っているのだろうか。どうしてきよちゃんは柔兄から逃げてしまったのだろうか。どうして俺がきよちゃんについて黙っていたことに対して、ふたりともそんな哀しそうに悔しそうに顔を歪めるんだろうか。わからなかった。分かるのは俺が、俺だけがきよちゃんについてなにも知らないということだけだった。その事実を実感した途端に、なぜか涙が溢れそうなくらいに胸が締め付けられた。 「…なあ、柔兄、きよちゃんて、」 「、」 「柔兄」 「清香は、……」 「お前の姉貴や」 くしゃくしゃに顔を歪める柔兄の代わりにお父が言った。だけどすぐにはその言葉が飲み込めなかった。だって、いまなんて言った?俺の姉貴? 「お前と一緒に生まれてすぐ、死んだ」 「え、」 「廉造、お前は清香と双子やったんや」 きよちゃんが、?告げられる事実にますます頭は混乱する。だって今まで生きてきてそんな話は一度も聞いたことがない。清香という名前も今初めて聞いたくらいなんだから。でもどうしたって冗談には思えなかった。 「清香は生まれてくるのもいっぱいいっぱいなくらい弱ってて、みんな頑張ってくれはったけど、……」 「けど廉造にそんなんすぐ話せるわけないやろ?」 「………」 「生まれてきてくれたから、少しでも生きた証に、て清香って名前つけたんや」 だから自分のことを話したがらなかったんだ。俺が聞いてもかなしむだけだと言ったんだ。ああ、俺のことを優しいだなんて彼女は言ったけど、彼女の方がよっぽど優しいじゃないか。なにも知らない弟の元へ来て、仲良くなりたいだなんて。いくら自分のことを知らなくても、普通に仲良くしてくれてたなんて。きよちゃんの方がよっぽどじゃないか。 「お兄ちゃん!」 そこでハッとなる。きよちゃんが俺の姉貴なら、きよちゃんがお兄ちゃんと呼んだあの人は。明陀宗のことを気にかけていた、目の前の家族と同じものを着ていて、青い夜に死んでしまったというあの人は。 「、廉造!?」 気づいたら、駆け出していた。だって、だってあの人は。 「あのひとが、矛兄なんや…!」 前にきよちゃんに連れられて来た墓地。あの人はまだこの辺を彷徨いていると言っていた。そして明陀に居られなくなって、きよちゃんは矛兄にすがりついているだろう。そう思うと靴下のままなのも、ところどころ草木でかすり傷ができるのも気にせずに俺は走っていた。 「矛兄、もうわたし廉造の顔見られへん…!!」 「…見られてしもたんか、きよ」 「柔兄に見られてもうた、清香って名前呼ばれてもうた、もう無理や…!」 がさり、声がしたから足を止めた。そこにはやっぱり矛兄にすがりついて泣くきよちゃんが居た。訛りの入った標準語じゃなくて、本来きよちゃんが使うべき言葉で、本来きよちゃんが呼ぶべき呼び方で、話をしていた。 「きよちゃん…」 「れ、れんぞ…」 「久し振りやな、廉造」 「…やっぱり、あんたが、矛兄なんや…」 「おん。お前の兄ちゃんや」 「……っ」 言葉に詰まる俺を、きゅ、と矛兄に隠れるように矛兄の服の裾を強くつかんで涙をぼろぼろ流しながらきよちゃんは見つめる。 「きよちゃん、」 「…ごめんなさい」 「?」 「きよは、廉造には出来るなら知らずに居てほしかったんよ」 「え」 「やて、お父もお母も、みんなやっとわたしのこと受け入れて生きてくれるようにならはったんや!廉造に話したら、辛い気持ち思い出させて、傷を抉ることになる!そんなん、そんなん嫌やった…!!」 ぼろぼろ。話している間もきよちゃんの涙は止まらなかった。きよちゃんが俺以外との接触を避けたのも、俺以外に話すなと言ったのも、家族のためを思って。そう思うときよちゃんがあのとき圧し殺した悲しみや辛さがどれだけ大きかったのだろうと胸がずきりと痛んだ。 「それに廉造が知って、わたしのことで変に罪悪感とか責任感とか感じてほしなかった!哀しませたくなかった!!」 「きよちゃん…」 「けど廉造と仲良うしたかった…!わたしの片割れやから!唯一無二のわたしの片割れやから…っ!」 「きよは、廉造のこと気にかけてはったんや。自分が身体が弱くて死んださかいに、廉造に影響がないか。自分が先に死んだことで、廉造に負担を掛けとらんか」 「…、……」 「ほんまはこうなるかもしれんて分かっててん。けどわたしのせいで廉造に悪いこと起きてはったらどうにかしたかったし、少しの間だけでも、廉造を知りたかった…。わたしが生きられなかった時間を、廉造が生きている時間を、少しだけでも見たかった……」 「きよちゃん…」 「っ清香!廉造!!」 そうしてぼろぼろ泣くきよちゃんと、俺の名前を呼んだのは柔兄だった。ぴくり、と矛兄が反応した。まだ顔は見えない。 「清香…、ほんまに清香なんやな……」 「…うん」 「また、また会えるなんや、奇跡やろか、」 「…柔兄……っ!」 「柔造」 「!」 珍しく泣きそうな顔を見せた柔兄に、矛兄が静かにその名前を呼んだ。柔兄はばっと矛兄を見て、目を丸くして信じられないと小さく首を振る。 「大きなったな」 「……!」 そして初めて見せた顔は、写真で見た矛兄だった。お父よりも若くて、けど柔兄よりは歳上で。ふたりよりも穏やかで、だけど金兄たちほどやんちゃさは持ち合わせていない。そんな顔つきで、そんな雰囲気のひと。 「た、矛兄…?」 「おん」 「どうして、」 「きよほどやないけど、お前たちのことが気になっててん。たまにここらを彷徨いてたんや」 「、」 「跡継ぎの件は、負担かけることんなって申し訳ないと思とる。ほんまにすまん」 「いや、俺は、」 「けど継いでくれて感謝しとる。ありがとう」 「!」 「…立派な兄貴になったな。安心したわ」 ふわり、と矛兄が優しく笑った。 「これなら、ここらを彷徨くこともあらへんな」 「え」 「きよ」 「…はい」 「きよは、どや」 「………」 「心残り、あるか?」 「………」 「清香。清香が死んでしまったのは、清香のせいでも誰のせいでもあらへん。そら清香が居らんくて寂しかったりするけど、清香のこと誰も責めとらんし、みんな清香のこと大切に想っとるよ」 「柔兄…」 「あのとき悲しかったのは事実や。けど清香のこと誰も忘れたりせんし、嫌ったりもせんよ。清香は俺らの大切な家族や」 「!」 そうして柔兄が優しく笑えばきよちゃんはぼろぼろ涙をこぼしたまま、笑った。 「ありがとう、柔兄」 「俺らの方こそ、ありがとう」 「でも、消える前に、みんなに会いたい」 「、」 「ちゃんとお礼言いたい」 「ほな行っといで、きよ」 「矛兄は?行かんの?」 「やて、俺のこと覚えてはるか分からんし。そもそもお父に合わせる顔も、」 寂しそうに笑う矛兄にまだ目尻に涙をためたままのきよちゃんは強く、行こ、と一言言った。 「わたしのこと覚えてくれはってるみんなが、矛兄のこと忘れるなんてありえん。それに柔兄たちがそうなように、きっとお父も矛兄に会えたら嬉しいはずやさかい」 「…きよ……」 「矛兄」 「柔造、」 「清香の言う通りや」 「………」 戸惑いを見せた矛兄だったけど、すぐにふっと笑った。 「ほな、俺もきよと一緒に最後に挨拶しにいこかな」 「…うん!」 そして涙を拭いたきよちゃんもまた、笑った。 2013/09/01 |