ordinary 「わたし、こうやって話せて嬉しいなあ」 なんでもない日のなんでもない時間。いつものように話してるなかで、小夏はぽつりと呟いた。 「どないしたん、いきなり」 「氷帝に居るときは、こんなふうに話すこともなかったなあって」 「あー、苦労したんやっけ」 うん、と少しだけ困ったように笑った。小夏は跡部のところで暮らしていた。両親は仕事で海外をいつも飛び回っているような人たちで、のびのびと学校生活を過ごしてほしいがために兄妹である跡部のところに預けたらしい。が、どうも小夏は経済関係での知能が優れすぎているらしい。氷帝に居るときは、それはもうその手の家から見合いを迫られる毎日だったとか。そのため跡部が匿うように男子テニス部のマネージャーをやらせていたらしい。だが親族とはいえやはり小夏の立場は女子から疎まれるもので。いろいろな意味で目をつけられていた氷帝での日常は、俺たちから見ても穏やかなものではなかった。そんな日常から逃げ出して、今こうして穏やかに暮らしているのだから彼女がそう呟くのも理解はできる。 「なんかさ、良いよね」 「ん?」 「こうやってお昼に楽しい雰囲気に包まれて、笑顔でご飯食べれるのって」 「まあ、言われてみれば当たり前のように過ごしとるけど、ええことやな」 「わたし、此処に来て良かった」 クラスに視線をやりながら、彼女は言った。 「まだ景吾やみんなには伝えられてないけど、それでも大阪まで来て此処に入れてもらって、わたし後悔なんてしてないよ」 心底嬉しそうに笑う小夏。俺も白石もその笑みにつられて微笑み返したのだが、そんな空気もどこからか聞こえる黄色い声にかきけされた。 「…なんや、騒がしいなあ」 「っちゅーか誰やねん、芸能人でも来たん?」 「なん、だろ…」 少しだけ緊張した顔つきの小夏を残して、俺たちは黄色い声が聞こえる廊下を覗く。 「あれ、って…」 それは、ほんの数秒前に彼女の口から名前が出たそのひとだった。 「ど、したの…?」 その空気が伝わったのか、このうるさいくらいの黄色い声に予感がしているのか、彼女の顔は微妙に青ざめている。 「小夏、こんなところに居やがったのか」 そして、彼は教室にやって来た。 「景、吾…!」 「ったく、心配かけやがって…」 「なんで、」 「アーン?調べればお前の居所なんてすぐ分かんだよ」 「…っ……」 「…で、逃げ出した理由はなんだ」 「それ、は」 小夏は言葉に詰まっていた。それもそうだろう。自分によくしてくれた相手を目の前にしてあの環境が嫌になった、など誰が言えるだろうか。 「…跡部クンに迷惑かける自分が嫌になったんやと」 そんな小夏に助け船を出したのは、白石だった。小夏も俯いていた顔をあげて白石を見る。白石は至極普通に言いのけた。 「アーン?なんでテメェが答えんだ?」 「小夏が答えたって変わらんやろ?」 「くら、」 「…本当か、小夏」 「は、い…」 「連絡をしなかったのはなぜだ」 「……なにも言わずに、だったから…言いにくくて、」 「…そうか」 跡部はまあいいか、といった顔をしたのち小夏の隣の席に座った。そして頬杖をつきながら小夏の食べかけの弁当を見る。 「自分で作ってんのか」 「…うん、自立したい、から」 「………」 「あ、」 そして少し形が歪なそれをひょいと口にする。 「…良いんじゃねーの」 「っ、」 「場合によっちゃ、お前を連れ戻そうかとも思ったがやめといてやる」 「景吾…」 「頑張れよ」 優しい声音で言いながら乱雑に小夏の頭を撫でた跡部は立ち上がって邪魔したな、とだけ言い残していった。 「小夏、」 「…っ……」 「え、小夏どないしてん」 「ごめっ…、応援されて、嬉しくて……っ」 「…小夏……」 嗚咽を押し殺そうとする小夏の涙を、俺も白石も初めて見たのだった。 2013/04/06 |