■ネイアマ■

堕落


「・・・・」

ペラリと読んでいた小説のページを捲る。
ジリジリと日差しが差す中,遠くのほうから子供たちのはしゃぐ声が聞こえた。

さすがに,暑いな。

黒の長袖シャツにジャケット,スリムタイプの締まったパンツという風な出で立ちの俺は息を吐く。

無邪気な声は件の悪魔を彷彿とさせた。

上司の命令で招き入れた八候王,アマイモン。

若さゆえの,欲か。
力の強い者を欲する,あの瞳。

それは己の裏づけされた実力から出てくるオーラ。
まさに,王といえるほどのそれを出会った一瞬で感じ取った。
激しい嫌悪が身体中を駆け巡り,気がつくと目の前の悪魔を組み敷いていた。

キョトンと目を見開くヤツに,嗜虐心が炎を揺らめかせる。

幼さが残るその顔を,歪ませてやりたい。

俺を突き動かすものはそれだけだった。




はずなんだが。

「イゴール」

上から名前を呼ぶ声がして,ゆったりと顔を上げる。
チラリ,と視線を泳がせると,俺が腰掛けている木の枝にもはや見慣れた姿を見つけた。

「あぁ。どうした」

スタッと地表に降り立った悪魔は無表情に俺を見つめる。

不躾な視線に嫌な顔をしてやるが,全く気にしていないようだ。

「物質界の字は読めません」
「不便はないだろう」
「はい」

「イゴール」
「なんだ」
「なんでもありません」
「・・・アマイモン。貴様,一体何を企んでる」

正直,この悪魔のこういうところにはついていけない。

「文字が読めないので,映画をみました」
「・・・」
「人間は,好きな相手の名前を連呼するのが好きみたいですね」
「・・・それで?」
「あと,セックスするのは,好きな人同士というのも知りました」

悪魔にはそういった概念はありませんが。

そういいながら隣に座った悪魔は腕を組む。

「何が言いたい」
「イゴール」
「・・・」
「好き,ってなんでしょう」
「・・・」

懐かしい,言葉。
はるか昔に忘れた言葉だ。

「さぁな」
「イゴール」
「なんだ」
「僕のことが好きなんですか」
「・・・・!」

この悪魔は,俺とのセックスが気に入ったのか,たびたびこうして俺の目の前に現れては,俺の心を揺らしてくる。

なぜ,こいつにこんなにも惑わされるのか,それは,わからない。

わからないフリを,続けていた。

「イゴール」

いつまでも答えない俺に,悪魔が覗き込んでくる。
大きな瞳が自分だけを写していることに,こんなにも鼓動が早くなるなど。

わかっている。
こいつに逢った,その瞬間,俺は人生2度目の恋をしたんだ。

魔神の息子である,こいつに。

憎い憎いといっていた相手の息子に欲情するなど,もってのほかなのだが。
都合の良い自分に腹が立つ。


「俺は,お前が憎い」

「・・・おかしいな」

「?」

「キミの目は,僕しか写していないくせに」
「っ・・・」
「僕が欲しいんでしょう,イゴール」

瞳に吸い込まれる。

「な,にを・・・」
「気持ちいこと,好きですよ。僕は」

放たれた言葉の意味を噛み砕く。

「貴様・・・」

「憎い憎いといっている相手が,本能との間で葛藤する様は,ステキですね」

兄上の気持ちがようやくわかりました。

口の端を曲げ,悪魔的な笑みを浮かべた悪魔には,理解できないだろう。

そんな挑戦的な表情が俺の歪んだ感情を増幅させることなど。

昼間から盛るほど,若くはないんだがな。

心の中で苦笑いする。

「その気にさせてみろ」

十分その気であることはわかっているだろうが,俺の言葉に悪魔は満足気に笑った。

「キミなんて,一瞬ですよ」

そういいながら近づいてくるぷっくりとした唇を眺めながら。


堕ちるところまで,堕ちてやろうじゃないか。

本能に全てを任せ,俺は早鐘を打つ鼓動を隠すように目を閉じた。



オワリ


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