◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 雨の降る閑静な住宅街を静雄は歩く。最初こそは自分しか出歩いていない帰路に世界から取り残された感覚を覚えていたが、今は違う。
 静雄の隣で寄り添うように歩いているのは、先刻黒塗りの車に乗っていたところを半ば無理矢理に連れ出してきた折原臨也。
 彼は傘を持っていなかったために静雄の持っていた傘を共有するしかなかった。嫌々ながら傘下に入れた静雄と、嫌々ながら傘下に入った臨也も最初は互いに悪態を吐いていたのだが、次第に言葉数が少なくなり気付けば二人の間から会話はパッタリとなくなっていた。
 ざあざあと雨の降る音だけが二人の鼓膜に伝わり、二人は除々に気まずい雰囲
気に襲われる。静雄は前を向き、臨也は俯いたまま歩き傍から見ても気まずいオーラが漂って見えた。
 二人の間に長く感じられる沈黙が流れたが、それもついに打ち破られる。
 饒舌な臨也ではなく、静雄の声によって。

「手前、あの噂はほんとだったのか」
「……噂?ああ、もしかして学校で垂れ流しになってるあの噂のこと?」
 臨也の問い返しに静雄はコクリと頷く。静雄の肯定ととれる仕種を見て、臨也
は至極どうでもよさような口ぶりで静雄の問いに答えた。
「うん、本当だよ。さっきの車は一緒に乗ってた人のだし、その人はそういった類の所謂裏の人」
「……そう、か」

 この言葉により噂は真実に姿を変えた。それにより静雄の返事も歯切れの悪い
ものになってしまう。臨也が否定も肯定もしなかったのはやはり自分の噂に対し
それぞれの反応を見せる人間を観察したかったからなのだろう。

「あはっ、もしかして否定して欲しかった?確かに裏の人と関わりを持っていたのは事実だけど、やましいことは何一つしてないから安心してよ。って言ってもシズちゃんにはどうでもいいことだろうけど」
「さっきのは」
「……さあ。あれは俺にもよくわかんないよ。あんなことされそうになったのは初めてだし。ある意味シズちゃんはいいタイミングで――」
「臨也」

 臨也の言葉を遮ると、静雄はその両腕で臨也を抱きしめる。持っていた傘が地面に落ち、二人の雨に打たれ、濡れてく。
 突然の抱擁に臨也はなにが起こったのかわからず、パチパチと何度も瞬きをする。

「俺は手前がなにしてようが知ったこっちゃねぇ。どんな噂流されても手前は平気だろうし俺だって口出しできるようなもんじゃねぇ。――けどな、」

 ぎゅっ、と臨也の体を抱く静雄の腕に力が込められ、臨也はハッと圧迫された肺から息を零す。小さな声で苦しいと言っても静雄が離れることも、力が緩められることもない。
 そして静雄は震えた声で言葉を紡ぐ。

「手前だけは、誰にも渡したくねぇんだよ……ッ」

 それは、平和島静雄の折原臨也に対する悲痛な訴えだった。心の叫びだった。彼の本心だった。
 犬猿の仲だろうが憎たらしかろうが殺したがろうが静雄は臨也を欲した。腕の中にあるぬくもりを他の誰にも渡したくなどなかった。こうして自分の腕に閉じ込めておきたかった。

 ――ああ、俺はこいつが好きなのか。こんなにも愛しいのか。

 腕の中のぬくもりを感じながら静雄はそれを強く実感する。

「し、ずちゃ……」

 雨に濡れきった体は既に冷え切っている。それでも自分を抱きしめる男のぬくもりだけは臨也の体に伝わっている。そのぬくもりが臨也にとってどんなに心地の良いものだったか。
 しかし臨也は動揺した。これまで互いにいがみ合ってきた自分たちが今までの関係を一転させることなど出来るのだろうか。自覚できるほどこの男に対する愛しさが生え始めているのはわかる。

 ――俺は、どうすればいいんだろう。
 
「好きだ。臨也、俺は手前が好きだ」

 ――ッ、嗚呼いやだ。そうやって君は俺を惑わせる。
 ――そんなに後押しされたら、俺だって応えるしかないじゃないか。

「シズちゃん、俺ね――」

 強さを増した雨音に臨也の声は掻き消される。それでも静雄には臨也の言葉は十分伝わった。その言葉だけで、静雄は満たされた。
 臨也はゆっくりと瞼を閉じると、目の前のぬくもりをそっと抱き返した。



 END
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