優しい意地悪
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普段穏やかな男ほど恐いものはない。
その穏やかな顔で今から己に施す事を綺麗に隠して笑っている。
この男には、どうあがいても勝てないときがある。今がまさにそうだ。
俎上の鯉になった気分で、曹操は己の上にいる男を見つめていた。



きっかけは、ごくごく些細な事。
「文若」
「何でございますか、殿」
帰ろうとする荀イクを呼び止め、曹操は機嫌良さそうに手にした酒瓶を軽く振る。
これから酒を飲むから来い、ということだろう。
「わたくしと、でございますか?」
面食らった荀イクが聞き返すと、曹操は苦笑した。
「お前以外に誰がいるというのだ」
もっともである。
振り向いて側を見回しても、そこには誰もいなかった。
「では、御相伴させていただきます」
にい、と悪戯っぽく笑う曹操に、荀イクは胸のざわめきをおぼえていた。

直に酒瓶から呑む曹操に、聞かないだろうが行儀が悪いと一応注意する。
「公の場でもあるまいし、構わぬだろう?お前も呑め」
荀イクは溜息をついて盃に酒を注ぎ、あおった。滑らかで、実に美味い酒だ。
「で、わたくしを呼び出して、何用でございますか?」
「うむ、それなのだがな……」
暫く夢中で話していた。これから行う行事のこと、上奏する法案のこと。話し合うのが必要なことはいくらでもあった。
「……それに関してはわたくしが手配しておきます。殿は何食わぬ顔をしていてくださいませ」
「ああ、頼む」
そう言ってぐい、と酒瓶を傾けたが、もう中身は空になっていた。僅かに残る雫が曹操の唇を濡らす。
「代わりを持って来させましょうか、殿」
そう言いながら、荀イクの視線は曹操の唇に吸い寄せられた。薄い唇に滴る雫を舐めとる舌がなんともなまめかしい。
「いや、もういい」
そっちの気はなかった筈なのに。ちょっとした仕種の端々に香る色気にやられてしまっている。
「なあ、文若」
「はい?」
ことり、と酒瓶を卓の上に置き、ほろ酔いの曹操はとんでもない事を言い出す。
「好きだ。愛してる」
酒の勢いの戯れ言に違いない。いや、そうであってほしい。荀イクの胸のうちでの願いは、曹操が言葉を続けた事であっさり打ち砕かれる。
「いつの間にか好きになった。今だって、お前といるだけでこんなにどきどきしているんだ」
温かで大きな手で、荀イクの腕を掴み、ゆっくりと胸に押し付ける。
どくん、どくん、
幾分か早い鼓動。曹操の息遣いまで感じる至近距離に、荀イクは真っ赤になりっぱなしだった。
「可愛いな、お前は」
嬉しそうに笑う殿のほうがずっと可愛い。荀イクは胸のうちで呟いた。
「文若、」
「はい」
「好きだ」
「……はい」
それは、肯定し、受け入れる言葉。
「儂とて怖かったのだぞ。拒否されるのではないか、とな」
「殿……」
ぐい、と曹操を引き寄せ、貪るように唇を奪う。時折ひくり、と身体を跳ねさせるのがなんとも可愛らしい。
「文、若……激しすぎだ」
肩を上下させる曹操を見て微笑む荀イク。その余裕は一体どこから来るのだろう。
「まさか此処で、ではなかろうな?」
「そんな不粋な事は致しませんよ」

そして荀イクとともに寝台についたところで、今に至る。



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