優しい意地悪 | 1/3page 普段穏やかな男ほど恐いものはない。 その穏やかな顔で今から己に施す事を綺麗に隠して笑っている。 この男には、どうあがいても勝てないときがある。今がまさにそうだ。 俎上の鯉になった気分で、曹操は己の上にいる男を見つめていた。 きっかけは、ごくごく些細な事。 「文若」 「何でございますか、殿」 帰ろうとする荀イクを呼び止め、曹操は機嫌良さそうに手にした酒瓶を軽く振る。 これから酒を飲むから来い、ということだろう。 「わたくしと、でございますか?」 面食らった荀イクが聞き返すと、曹操は苦笑した。 「お前以外に誰がいるというのだ」 もっともである。 振り向いて側を見回しても、そこには誰もいなかった。 「では、御相伴させていただきます」 にい、と悪戯っぽく笑う曹操に、荀イクは胸のざわめきをおぼえていた。 直に酒瓶から呑む曹操に、聞かないだろうが行儀が悪いと一応注意する。 「公の場でもあるまいし、構わぬだろう?お前も呑め」 荀イクは溜息をついて盃に酒を注ぎ、あおった。滑らかで、実に美味い酒だ。 「で、わたくしを呼び出して、何用でございますか?」 「うむ、それなのだがな……」 暫く夢中で話していた。これから行う行事のこと、上奏する法案のこと。話し合うのが必要なことはいくらでもあった。 「……それに関してはわたくしが手配しておきます。殿は何食わぬ顔をしていてくださいませ」 「ああ、頼む」 そう言ってぐい、と酒瓶を傾けたが、もう中身は空になっていた。僅かに残る雫が曹操の唇を濡らす。 「代わりを持って来させましょうか、殿」 そう言いながら、荀イクの視線は曹操の唇に吸い寄せられた。薄い唇に滴る雫を舐めとる舌がなんともなまめかしい。 「いや、もういい」 そっちの気はなかった筈なのに。ちょっとした仕種の端々に香る色気にやられてしまっている。 「なあ、文若」 「はい?」 ことり、と酒瓶を卓の上に置き、ほろ酔いの曹操はとんでもない事を言い出す。 「好きだ。愛してる」 酒の勢いの戯れ言に違いない。いや、そうであってほしい。荀イクの胸のうちでの願いは、曹操が言葉を続けた事であっさり打ち砕かれる。 「いつの間にか好きになった。今だって、お前といるだけでこんなにどきどきしているんだ」 温かで大きな手で、荀イクの腕を掴み、ゆっくりと胸に押し付ける。 どくん、どくん、 幾分か早い鼓動。曹操の息遣いまで感じる至近距離に、荀イクは真っ赤になりっぱなしだった。 「可愛いな、お前は」 嬉しそうに笑う殿のほうがずっと可愛い。荀イクは胸のうちで呟いた。 「文若、」 「はい」 「好きだ」 「……はい」 それは、肯定し、受け入れる言葉。 「儂とて怖かったのだぞ。拒否されるのではないか、とな」 「殿……」 ぐい、と曹操を引き寄せ、貪るように唇を奪う。時折ひくり、と身体を跳ねさせるのがなんとも可愛らしい。 「文、若……激しすぎだ」 肩を上下させる曹操を見て微笑む荀イク。その余裕は一体どこから来るのだろう。 「まさか此処で、ではなかろうな?」 「そんな不粋な事は致しませんよ」 そして荀イクとともに寝台についたところで、今に至る。 . → back |