君からの贈り物
昔から、面白いやつだった。
女のくせにお洒落にはまるで興味がない。
琵琶(ウード)や歌は欠片もできないくせに刀と舞だけはなぜかできる。
ちゃんと礼儀をわきまえた態度や言葉遣いを守るかと思えば、間違ってると思ったことは誰であろうとはっきり言う。
幼い頃からそんな奴だった。
だから、彼奴の周りには人がよく集まった。使用人、自由民(アーザート)、騎士(アーザーターン)本当にそれこそいろんな身分のやつが…
一方俺はといえば、どうも堅い人間らしくそんなに周りに人がいるわけではなかった。しかも一家の正妻の息子として育てられた。騎士道や形式を重んじるのは当たり前だったのだ。
だから、初めて会った時のことは忘れられない。
「ぶつかってきたなら先に謝るべきだろう!?」
俺と同じほどの背丈、胸を反らせて俺に向かう態度。
「知らぬ。こいつと俺とでは身分が…」
「身分なんて関係ない!!ぶつかった相手に謝るのは当然のことだ。」
「貴様っ!!」
どっちも引く気はさらさらない。こうして始まった殴り合いの喧嘩をヴァフリーズ老に拳骨で収められたのは懐かしい思い出だ。
「確かに、あやつは身分をもう少し考えねばならん。だが、シャプールよ。あいつの考え方は面白いとは思わんか?」
ヴァフリーズ老にそう言われ、俺は釈然とせぬままその夜、床についた。
彼奴の言っていたことは割と正しかったのかもしれない。そう思ったのはその後数日のことだった。
「おっと、すまない。大丈夫だったか?」
市場で奴隷(ゴラーム)とぶつかったにもかかわらず彼奴は謝っていた。
「これ、運ぶのか?持とうじゃないか。」
「そんな、姫様。恐れ多うございますっ!!」
「いいのだ。やってみなければ皆が苦労していることを知らずに私は暮らしてしまう。そんなことは嫌なんだ。」
奴隷の女にそう微笑んで荷物を持つ彼女のことをまぶしいと思った。騎士の子が奴隷を助けるなど、考えられなかった。
「なぜあの奴隷にあんな声をかけた。」
「ぶつかったら謝るのは当たり前だし、重い荷物を持っている人がいたら手伝うのも当たり前じゃないか。」
そう言って笑った彼奴に、俺はヴァフリーズ老の言っていたことを思い出した。ああ、そうかもしれませんね、ヴァフリーズ老。
「悪かった。あの日は俺が間違っていた。」
口からするりと抜け出た言葉に、彼奴は目をぱちくりとさせ、それからこぼれ落ちそうなその目を三日月形に歪めた。
「私はナマエ。よろしく。」
「俺はシャプールだ。よろしく。」
握った手が、2人とも幼かった。
「彼奴、調子乗ってやがる。思い知らせてやる必要があるな。」
そんな言葉を聞いたのは偶然だった。誰彼構わず優しく対等に付き合うナマエには味方も多かったがその分敵も多かった。だからそんなことを言う奴も珍しくはなかった。
「別にいいじゃないか。言いたい奴には言わせておけば。」
何故お前が怒る、と不思議そうな顔をするから俺もなにやら馬鹿らしくなってしまった。それもそうだと二人で笑った。
けれど、数日後に朝練のため訪れた訓練場でナマエが数人の少年たちに囲まれているのを見つけた。
「調子乗っていると痛い目を見るぞ」
「私は調子になど乗っていない。それよりもせっかく早起きをしたなら練習をしたい。どいてもらえないか?」
「ふざけるな、女のお前ごときがっ!!」
飛びかかってきた少年を無駄のない動きでひらりとかわした。けれど多勢に無勢。かわしたところを別の少年に抑えられてしまい別の少年に殴られる。そんな様子を見ていたら我慢ならなかった。
「ふざけているのはどっちだ?嫉妬なんてやめておけ。」
彼女を殴ろうとしていた奴を蹴り上げると、大きな瞳を開いた彼女と目があった。
「なんで…?」
「何故?決まっているだろう?」
友を助けるのに理由などない。
そう言えば、ナマエはもう一度こぼれ落ちそうなほど目を見開いた。そしてそれからいつもの何ににもとらわれない笑顔を俺に向けた。
そのままかけつけたヴァフリーズ老の鉄拳制裁が行われるまで俺たちは喧嘩を続けていた。
「いっ…」
「なんだシャプール。情けない。」
濡れた手ぬぐいをそっと殴られた場所に当ててくるから思わず声を上げた。なら貴様はどうなのだ、と蹴られた彼女の細い足をつっつけばこちらも痛みをこらえた声が返ってきた。今考えれば女子になんとも酷い仕打ちをしているのだが、当時はそんなことを気にしていなかった。
「シャプール」
不意に名前を呼ばれるといつもの溌剌とした顔というより、気遣うような顔があった。
「大丈夫か?」
「無論だ。こんなもの、怪我のうちに入らん。」
「痛そうだったが」
「そんなものは貴様の目の錯覚だ。大丈夫と言ったら大丈夫だ。」
見え見えのやせ我慢だ。けれど、申し訳なさそうな彼女を目の前に痛いなど言えるわけがなかった。強情だと言われてもそれがその時の俺の男の意地だったのだ。
きっと、そんなことも全て見透かしていたんだろう。
「すまない」
ナマエが申し訳なさそうにそう謝るから、笑って頭を撫でてやった。まるで妹、いや違う。信頼できる友か。
「そうだな。助けてやったのだから謝られるのは気分が悪い。」
そう言って拗ねたようにそっぽを向いてやると、クスリと一つ笑い声が隣から漏れた。
「ありがとう、シャプールどの。次は必ず私が貴方を助けよう。」
「ナマエにどのと言われると気持ち悪い。やめろ。」
「おい、なんだそれはっ!?」
失礼な、と憤慨する奴に歯を見せて笑った。
それから10年。
様々なことが変わった。
背丈は同じくらいであったのに、今では俺の方が拳2個分ほど背が高い。
彼女は少年のような少女から、美しい女へと成長していた。中味はあまり変わらなかったが…
俺たちは通っていた訓練所を出て軍に入った。ただ訓練所にいた頃でさえ女だからと差別されてきた彼女への風当たりは更に強くなるばかりだった。そこらの男より頭も切れて強いし兵の指揮もうまい。そんなことへの醜い嫉妬が彼女の才能を埋めてしまったのかもしれない。俺が千騎長となっても彼女は百騎長のままであった。身分も、性別も、歩んで行くべき道すらも、俺たちは何一つ交わらない。
「お前、嫁にはいかんのか?」
ある日ふと気になって俺がそう聞くと、
「なら貴方が貰ってくださるので?」
と返されて戸惑った。
冗談だ、と言われた時少し胸が苦しかった気がした。そして、それは突然だった。
「父が見合いを持ってきました。此度の戦が私の最後の戦になりましょう。」
いつかはこんなことになると分かっていた。
その時初めて己がナマエに惚れてきたことに気がついた。恋慕がいつ生まれたかなど分からなかった。ただ、唇を噛んでそうか、と告げただけだった。
そんな不安定な心境で戦場に出たのが悪かったのかもしれない。
俺の部隊はすっかりシンドゥラ軍に包囲されてしまった。剣を持たない方の腕に鋭い熱と鈍い衝撃が走る。見てみれば矢が刺さっていた。幸いにも勢いはあまりなかったようで貫通はしていないが動きは鈍る。退路を作ろうにもこれで切り抜けられる可能性は低い。
もはやこれまで、か。
天を仰ごうとした時だった。
「シャプールさまっ!!援軍ですっ!!」
傷だらけの部下たちから歓喜の声が上がる。彼らが指をさした方を見れば、兜から長い黄金の髪が靡いていた。
「突撃っ!!シャプール卿の退路を確保しろっ!!」
よく統制のとれた100騎の騎馬隊がまるで一つの生き物であるかのように動く。その先頭で弓に矢をつがえ、きりりと引く姿をこの世の何より美しいと思った。
1度、2度弓弦が鳴ると1人、2人と敵が倒れる。
「今だっ!!退却っ!!」
ぽっかりと空いた包囲網の一部を突破するよう指示を出した。
「くっ…」
「傷はそれほど深くないようです。間に合ってよかった。」
手巾で俺の腕に止血を施し、ナマエは一つ安堵の息を吐いた。
「なぜ…?嫁入り前の身であろう?」
「と、おっしゃいますと?」
「なぜあんな危険な真似をしてまで俺を助けた?」
「何をおっしゃいます。」
兜を脱ぐと、長い金の髪がふわりと揺れた。
「あの時あなたがおっしゃったではありませんか。友を助けるのに理由などない、と…。それに、次は私が助けると約束いたしました。」
震える肩が、細い。
紡がれる声が、高い。
返り血を浴びた頬が、白い。
ああ、こいつはこんなにも女であった。
そして、ずっと昔から俺の友であった。
「流石10年の仲だな。」
溢れた涙にどんな意味があるのかはわからない。それが、俺の無事に安堵するものであればいいと心から願った。
「ありがとう。助かった。」
頬に溢れた涙を拭ってやる。
「ぶじ、で…よかった…」
「次は俺が助ける。約束しよう。」
震える手を優しく握ってやると、少しだけ頬を赤く染めた彼女が小さく頷いた。
友情、勇気、愛。
それはすべて…
君からの贈り物
その戦いから数日後。
いきなり正装をさせられ、何事かと問えば見合いだと言う。そんなものは聞いていないと叫んだところで、ちょうど到着した正装の彼女に目を奪われるのはまた別の話。
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BGM
「言葉のいらない約束」
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