今宵も貴方を想う


「あ、アルフリード。どうしたの?」

「ああ、ナマエ!!」

聞いてよ、といいながら近づいてくるたいそう立腹している少女に、ナマエは首をかしげた。

「ナルサスが妓館に行っちゃったんだよ」

口をへの字に曲げて言うアルフリードに、ナマエは苦笑を返した。

「誰かとご一緒?」

「ダリューンとだよ!!もう、あいつらあたしたちという者がありながらっ!!」

「ま、まあまあ、アルフリード」

そう言いながらも、ナマエの心境は些か複雑である。2人で行ったことからして女の身体以外にも目的があることは確かだが、ついでに、ということがないわけではない。ギランにいた時にも何度かそういうことがあったようで朝帰ってきたダリューンから絹の国(セリカ)でよく使われる女物の香が薫った時は胸が締め付けられるような思いをした。

あたしたちという者がありながら、とアルフリードは言うがアルフリードとナルサス、ダリューンとナマエは実際に恋仲ではない。アルフリードはナルサスが好きだと公言しているが、ナマエは武器を扱えるのに恋愛に関してはとことん奥手でその思いを知っているのはアルフリードとファランギースのみである。

「そう言っても、ナルサス卿はちゃんと帰っていらっしゃるから大丈夫よ。妓館に毎日通ってらっしゃるわけでもないのだから」

「けど、ナマエはダリューンがそんなとこ行っててもいいのかい?」

半ば叫ぶように言われてナマエは考え込んだ。確かに嫌といえば嫌だが恋仲でない限りそんなことは言えない。否、たとえ結婚していたとて女は男が妓館に行くことを止められないのだ。

ナマエは万騎長ガルシャースフの娘で正妻腹の子であった。ガルシャースフとナマエの母はそんなに仲が悪いわけではなく、むしろ夫婦生活は円満であったといえよう。しかしそれでも父は妓館に行っていたようであったし、母もそれを咎めようとはしなかった。

「妓館や妾がなんですか。私があの方の一番近くに居られるのです。それだけで十分幸せなことですわ。」

母の言葉をナマエは思い出していた。母は武人の妻として誇り高く生きた。父もエクバターナ落城の折に武人として死んだ。不本意な最期ではあったかもしれないが、武人としての父をナマエは誇りに思っていた。
けれど、同時に父母の関係から男の妓館通いや妾問題には目を瞑らねばならないことも学んだ。

「うーん、私はそんなに気にしないわ。男の人だもの。分からないけれど、そういう日もあるのではないかしら?」

そう言って苦笑すると、アルフリードはぷくりと頬を膨らませる。少女らしい、あどけない表情だった。それはナマエがとうの昔に捨ててきたものだ。自分が武器を持ち、国王(シャーオ)の為に働いていたとしてもいつかは武人の妻になるのだと教育されてきたし、彼女自身もそれを望んでいた。たとえそれが想い人のダリューンでなかったとしても、武人の妻になりたかった。
いや、そう望むように自分を演じていただけかもしれない。それでもまだ20歳にならぬアルフリードと、23になろうとしている自分の間に大きな壁がある事は確かだ。

目の前の拗ねた少女の機嫌をとるため、ナマエはよく冷えた酢蜜かけ氷菓子(セキャンジェヴィーン)を出した。それに釣られて目を輝かせるあたり、彼女はまだ純粋な少女であった。



アルフリードを帰した後、ナマエは一人冷やした酒を飲んでいた。ナバタイの方で取れる豆と芸香(ヘンルーダ)のような果実を酒にしたもので、これに牛のミルクを加えて冷やしたものである。大人の贅沢なデザート、といった風にも楽しめる酒で口当たりもまろやかな甘い酒だがなめてかかると案外簡単に潰れてしまう。女性に人気な酒で、ナマエもこの酒は好きだったがそこまで酒に強いわけではないのでグラスに一杯が限界だ。
一人寂しい夜の、精一杯の贅沢であり、酒にあまり強くないナマエにとっては睡眠薬の役割も果たしていた。

甘い酒を口に含みながら考えるのは、黒衣の男のことばかり。彼と初めて会ったのはナマエが10になる頃で、5つ年上の彼をとても頼もしく感じたものだった。彼に剣をならって、彼女はそれに打ち込んだ。彼の剣の虜になってしまったのだ。当然男のような太くて重い剣は扱えないから、まるで剣舞でも舞うような素早さと流れを武器にした剣である。

「あの頃は、あの方の奥方になれるって本気で信じていたわね」

今となっては完全に若気の至りだ。そんなこと、あるはずがない。彼は絹の国の公主様と浮名を流したのだ。自分などに目が行くわけがない。
だが、困るのは自分の行く道を定めてくれる人間がいないことだ。もし、父であるガルシャースフが生きていたならきっと今頃縁談がまとまり、それ相応の武人の元へ嫁いでいたと思う。事実、アトロパテネの敗北前、ガルシャースフはナマエに様々な縁談を持ってきていた。あの時何故誰かのもとに嫁がなかったのかと、今更後悔をする。けれど多くの御仁はアトロパテネで討ち死にを遂げていたし、中途半端な人間のもとに嫁ぎたくはなかった。

「年でいけば、イスファーン卿かしら。あとジムサ卿もたしか同じくらいの年よね。年を気にしないならクバード卿。でもあの方は私を子供と思っていらっしゃるし…ナルサス卿にはアルフリードがいるし、ギーヴはファランギースにご執心。キシュワード卿はナスリーンといい感じだものね。」

ナマエは再びグラスの中味を口に含む。甘い味が広がった。その甘さが胸にしみる。こんな甘い恋をしてみたかった、否していたのだ。

何人の男の名前を羅列しても、結局思考は黒衣の騎士のところに戻ってくる。目を閉じた瞼の裏で、彼の深紅のマントの裏地がナマエの視界を塗りつぶした。




















































今宵も貴方を想う

お酒がまわって、眠りに誘われるそのときまで



そんな言葉が口からこぼれることはなかった。


「ナマエさま、お客様です。」

「あら、こんな時間にどなた?」

侍童(レータク)であるリラの声で現実に引き戻される。

「いつからこんな時間に男の名前を羅列するようになったんだ?」

低い声にハッとなってナマエが振り返ると、眉を寄せたダリューンがいた。いつもより幾分鋭い目つきは少し怖い。

「あ、…全く、いつから聞いていらっしゃったのです?お人が悪い。リラ、お前もよ。もう少し早く声をかけてくれればよかったのに。」

もう下がって寝ていいわよ、とナマエが言えば今年15になる少女はすみません、と礼儀正しく一礼して部屋を後にした。


「それで?なぜそんなに男の名前を上げる必要がある?」

鋭い目つきで問われて、仕方なしにナマエは笑って答えた。

「そろそろ、父の願いを叶えてやらねばと思いまして…」

「ガルシャースフ殿の?」

「ええ、父は立派な御仁のもとに私を嫁がせることを常日頃から願っておりましたから…」

今度は自分で見つけねばならぬのが少し手間ではありますが、とナマエが続ければダリューンの表情が硬くなる。

「それで、誰ぞ好いた男でもおるのか?」

「いえ、おりません。ですから、これからその殿方を好きになろうと思っております。」

そんなこと実現しえないのはナマエ自身が痛いほど分かっていた。どんなに探しても彼より好きになれる人は現れない気がする。
やっぱり、独り身であの世に行ってから父に謝ろうかしら、とナマエが思っていると、途端に腕が強い力で掴まれた。顔を上げると、まるで戦場にいるかのような真摯な目と視線が絡まった。絡まった視線が自分の彼への好意を伝えてはいないかとナマエはひやりとしたが、彼は何故かそのままナマエそのたくましい腕の中に閉じ込めた。



「なら、俺を好きになってはくれまいか?」



結局、彼女が彼のことを考えない夜なんて、この先いつまでたっても訪れることはない。










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企画「君と奏でる恋の詩」さま
第9回「星は君、月は僕」
ベルベットハンマーを担当させていただきました。

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