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恋々








耳元で囁く魔法の言葉がある。「もし頑張ったら、」続きはいつも無し。ただ私の想像力だけが、答えだった。

「今日はここからここまで」
「こんなに?」

週二回の家庭教師。彼は大学生だ。受験生の私とは二歳しか変わらないのに、うんと大人に見えた。二時間、彼は私の部屋にいる。良くも悪くも彼は、私にとってとても魅力的だった。

「今井さん酷い」

俺はお前を生徒とは呼ばない。だからお前も俺を先生と呼ぶな。俺、適当に生きてるだけのただの学生、解る?
初日にそう言われて、私は「今井さん」と呼ぶことにした。

「琴音なら出来る出来る」

今井さんはベッドに寝転んで、私の少女漫画を読み始めた。
――ここからここまで
いつもそれだけ言って、放置するだけ。それでも成績が上がったのは、今井さんを好きだから。解らない所を聞いた時だけは、ちゃんと教えてくれる。最後の三十分が質問時間だった。


「じゃぁアレやって」
「いいよ」

今井さんは躊躇なく、私の耳たぶに唇をそっと当てた。そして魔法の言葉を囁く。

「もし頑張ったら、」

紅潮した顔で机に向き直ると、シャープペンシルをカチカチと二回押した。

その続きがあるわけじゃないけど、充分だった。初めてそうされた時の衝撃は強烈で、既にその時、私は今井さんを好きだった。彼の何を知っているという訳じゃない。大学生、私の家庭教師、少女漫画で泣く人。

週二回、二時間づつ、参考書の指定されたページを解くだけ。そして私が質問を始めると、今井さんは後ろから私を包むように、手を重ねてシャープペンシルを動かし正解を書き込んでいく。
ピピピ、と電子音が鳴った。今井さんがこの部屋に居るのは、あと30分だけ。起き上がり私の横に立つと、いつもと同じように「分からない所あった?」と訊く。

「無かった」

「ふうん」

ページを捲りながら視線を滑らせていく。右手の人差し指に指輪をした逞しく男らしい指や今井さんの匂いに、私はいつもドキドキした。伏せた横顔を見たくて仕方ないのに、恥ずかしくて出来なかった。

「いいんじゃない。出来てるよ」

参考書を閉じて腕時計を見る今井さん。まだあと十分はある筈。言おうか、止めようか。勇気が無い訳じゃない。その勇気を使っていいのか、迷っているだけ。

別の参考書に手を伸ばした今井さんの手を掴んで、私は言った。
「もし頑張ったら、の続き。もし頑張って志望校に受かったら、彼女にしてやるって言って」

今井さんの驚いた顔はすぐに平常に戻り、「十年早いっつーの」と、私のおでこを弾いた。

「本気だよ」

「ふうん」

知ってる。今井さんの口癖の「ふうん」は、いつだって肯定的に使われてるって事。強気に背伸びし過ぎたかなと思ったけど、案外私の胸は平穏に、いつも通りの鼓動を刻んでいる。

本日のカテキョウ終了。 ――END




yawn様提出
「魔法、背伸び、耳元」
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