脱走

珍しいお客さんが来たと思った。



お弁当を詰め込んだ胃は少し苦しくて、気を抜けばゲフッと女の子としてダメなものが出ちゃいそうだけど図書室へと向かう足を止めようとは思わなかった。
扉を開けるとあの独特の本の香りがして私はこの匂いが嫌いじゃなかった。


「おー名字はいつも早いな」
「先生代わりますよ」
「ん、頼んだ」


新刊コーナーから1冊選んでカウンターの椅子に座る。
図書委員の私は昼休みに此処へ訪れるのが日課だ。今日のような当番の日はお弁当をかきこんでから、当番じゃない日はゆっくり食べてから此処へ来て本を読む。静かな空間。ひとりのような空間。つまりアイラブ図書室なんです。

昼休みに入ってまだ15分しか経っていない今いるのは私だけ。誰か来るまでもう少しあるだろうと私は本に没頭した。


ガラッと扉の開く音がして顔を上げると先ほどから20分も経っていた。つい本を読むと時間を忘れちゃうんだよね。常連さんかな、と入り口の方を見ると珍しいお客さんがそこに立っていた。

確かアレは2−Aの有名な藤くん。

この距離で見たのは初めてだけど騒がれる理由がわかる。これはモテる、と納得のイケメン様がこの図書室に何の用なんだろう。本を読みに来た?そんなまさか、読書の趣味があれば噂で耳にしているはずだ。

不思議そうに見ていたせいか藤くんと目が合ってしまい、おっといけないと視線を本に下ろした。


「なぁちょっと頼みたいんだけど」


ヤバい声掛けられた。友達曰く藤くんと喋ったら『女子の視線を独り占めだねっ!』らしいんだけど、運よく此処は図書室。私と藤くんしかいない。悪く言えば二人っきりだ。これこそバレたらヤバい。どうか誰も来ませんようにと切願する私に藤くんは頼み事があるらしい。神様っていじわるね。


「女子に追っかけられてんだけど…」


なんと。
まるで漫画のような話を聞いてしまった。人気者って凄いなぁ。我が校は積極的な女子が多いのかもしれない。
それで…うん。続きがなんとなくわかるんだけど、もしかしてそれってつまり、そういうことですか?


「ちょっとでいいから匿ってくれねえ?」
「仰せのままに」


予想通りの発言に即答して小さく頭を下げると藤くんは奇妙なものを見るような目で私を見ていた。常伏の王子にタメ口で喋るなんてそんな。無理です。
突き刺さる視線を無視してある本棚を指差す。


「そこ、入り口から死角になってます」
「…サンキュ」


ふらふらと歩いている藤くんは結構お疲れのようだ。そういえば何で追われてるんだろう。あれかなこれかなと思い巡らせているとパタパタと複数の足音が聞こえた。此処へ近くなるにつれて図書室やら藤くんやらといろいろ聞こえてくるのでどうやら藤くんを追いかけていた女子らしい。慌てて死角へ隠れた藤くんの後ろ姿に少し笑ってしまった。中学生らしい一面を見てしまったというかなんというか。チラッとこっちを覗く藤くんに、静かにと人差し指を口元に当てた。


ガラッ


「失礼しまーす」
「藤くんは?」
「どこー?」
「えーいなくない?」
「あっ名字さん、藤くん来てない?」


キョロキョロと図書室を見渡す彼女たちに心の中で苦笑いした。追いかけられてるっていうからどんな凄い女子なんだろうと少し身構えていたのに、小声で話してくれる良い子たちじゃないか。図書室でもぺちゃくちゃげらげらと話す迷惑な人たちと比べたらとても好ましい。

それでも申し訳ない、王子が見つかりたくないと仰るんですよ。


「来てないよ」
「そっかーごめんね」


落胆して図書室から去っていく彼女たちを見送る。素直で良い子たちだからこそ藤くんは困ってるんだろうか。理由はわからないけどまぁいい。私には関係のないことだ。
パタパタという足音が遠くなってから藤くんがいる本棚を見ても彼は一向に出てこない。変だなぁと思いながら時計を見ると昼休み終了5分前だった。


ガラッ


「鍵は閉めとくから名字は早く教室戻れよ」
「はい」


本を新刊コーナーに戻してから藤くんの元へと向かうと先生は不思議そうに私の名前を呼んだ。


「名字?……って、何で藤がこんなとこで寝てんだ?」
「モテすぎて困っていたので」
「なんだそりゃ」
「匿ってくれと、王子が」


すーすーと気持ち良さそうに寝転がっている藤くんを指差すと、王子ねぇと面白そうに笑っていたので、藤くんが王子で先生が王のようだと告げると髪をぐしゃぐしゃにされてしまった。怒ったのかと思えば先生は嬉しそうにニヤニヤしていて、よくわからない人だなぁと思いながら手櫛で髪を整えた。ちくしょうぐしゃぐしゃだ。


「お前も王子が好みか?」
「いえ」
「ほお、じゃあ王が好みか」
「いえ」
「っくく…素直だな」


私はいつだって素直です。自分に嘘ついても良い事ないし…まぁそれを口に出すかは別として。整えたばかりの髪をまたぐしゃぐしゃにされてしまって先生を蹴ってやろうかと思ったけど、その前に先生が藤くんを蹴っていて私はビックリした。な、何してんの先生!?


「ぐっ…!」
「藤、サボりはダメだ。ハデス先生と違って俺は甘くねーからな」
「だからって蹴るんじゃねーよ…」


お腹を押さえて起き上がった藤くんを横目に時計を見るとチャイム1分前だった。
また遅刻か…と頭の隅で思った。慣れてるから別にいいんだけど。

本に夢中になって時間を忘れることが多い私はよく5時間目の授業に遅れるので、いつもこうして川嶋先生が5分前に知らせに来てくれる。とてもありがたいんだけど、先生がいるから大丈夫だと安心してしまっているせいか、出張などで先生が来ない日は必ず遅刻してしまうのが難点だ。つまりちょっとした問題児らしいです、私。

まぁサボり魔の藤くんほどじゃないけどね、と鳴り響くチャイムの中思った。


「あっヤベ、また名字遅刻だ…」
「また怒られますね、先生が」
「お前の担任いちいちうるさいんだよ…なんとかしてくれ」


無理です、と心の中で答えていると座ったまま動こうとしない藤くんは急に「あ、」と声を漏らして私を指差した。


「お前もしかして噂の本の虫?」


生憎そんな噂は心当たりがない。教師の中ではちょっとした問題児らしいけど、生徒に噂されるほどではないしきっと違う人だろうと首を左右に振ると先生は何故か噴き出していた。


「当たり。本人は知らなかったみたいだけどな」
「へー」
「………」


マジで?
先生を見上げると見透かしたように嘘じゃないぞと言われてしまった。うっそー。この王子の耳に入るぐらい噂になってるの?うわ、恥ずかしくてこの学校歩けない。

ふよふよと目を泳がせていると先生はまた私の髪をぐしゃぐしゃにしてニヤニヤしていた。わかってますか、3度目ですよ。3度目は正直にしかなっちゃいけないんですよ。なに乙女の髪を3度もぐしゃぐしゃにしてるんですか。


「はっ倒しますよ」
「ぶっ…くく、コイツ可愛いだろ?俺のお気に入りだ、手出すんじゃねーぞ」


そう言ってぐいっと肩を寄せられる。先生め!我が校の王子が私を相手にするわけないだろうが!先生の足を踏むと嬉しそうに笑う声が聞こえてきた。え…先生ってそっちの気が…と恐る恐る見上げるといつものニヤニヤした顔でとーっても楽しそうにしていた。そっちの気だなんてとんでもない。あっちだった。


「な?こういうところが猫みたいだろ?コイツは無口な方だけど心の中じゃベラベラ喋ってるタイプだ。それにすぐ顔に出るからわかりやすいぞ」
「…へー」
「仲良くしてやってくれ。でも手は出すな」
「だ、出さねーよ」


少し頬を染めた藤くんに私は驚いた。学校一の王子がこんな反応するなんて。モテるけど軽くないんだなぁと感心しつつ時計を見た。授業開始して10分か…先生が来ない日よりは早いからギリギリセーフということにしよう。


「そろそろ行きますね」
「担任に俺を怒るなって言っとけよ」


言っても無駄な気がするけど、と思いつつもとりあえず頷いて図書室を出た。
いつもと違う昼休みだったなぁ。


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