お正月’13−’14

ツンとした冷気が肌をなでる。ぐるぐるに巻きつけたマフラーに口元を埋めた。
忙しいクリスマスや年末年始を乗り越えるにあたって、マスターと新マスターの2人では厳しい――ということで短期のバイトとしてお誘いがかかった。どうしても名前さんに!と言われちゃ断れません……。
早朝、まだ陽も登っていない時間に馴染みのあの店に向かう。裏口から入ればマスターと新マスターの2人は既に出勤していて元気に挨拶してくれた。よし、今日も一日頑張ろう!と意気込んだ私に、ウキウキとした表情で声を掛けてきた新マスター。


「名前さん! 晴れ着、着ましょう!」




**********





初詣帰りのお客さんでいっぱいだった店内。お昼のピークが過ぎた頃、嫌になるほど耳にしたベルが鳴った。


「いらっしゃいませ!」
「……うわっ、何してんの?」
「か、神崎さん…」


ポケットに指を突っ込んでけだるそうに立っていたのは神崎さんだった。なんだかめんどくさい人に見つかってしまった…と一瞬顔を顰める。それに目聡く気付いて同じような表情を浮かべた彼に、私は慌ててお席へ案内した。


「ご注文はお決まりでしょうか」
「そのカッコなに? つかなんで働いてんの?」
「年末年始だけお手伝いさせてもらってマス…この格好は新年だからって新マスターに着せられちゃって」
「ふーん…てことはアイツも?」
「はい、とっても可愛いですよ!」
「へー…」


そう言って神崎さんは急に黙り込んだ。ほんの十秒程度だろうか。少し経ってからジッと私を見上げて、


「お雑煮。赤みそで」
「? かしこまりました、少々お待ちください」


突拍子もなく注文を告げられる。なぜか探るような目つきをしていたのには驚いたが、すぐに仕事モードへ切り替えた。
……背中に突き刺さる視線はひとまずスルーさせていただこう。


オーダーを聞いて、料理を持って行ってを繰り返しているうちに、神崎さんのことなんて頭からスッポリ抜け落ちてしまっていた。そういえば、と顔を向ければ、頬杖をついてスマホをいじっている神崎さんの姿。

さっきのアレはなんだったんだろう…。
神崎さんともつれると大変そうだから、サッパリスッキリしておきたい。あとで様子を見に行こう、と意気込んで、出来上がった料理を運んだ。


「お待たせいたしました、ぴりから餃子とジンジャーエールです!」





**********





休憩時間になり、店の奥でイスに座ってゆったりまったりとお雑煮を頂く。帯は苦しいけれど、至福のひと時。
このお店の料理はどれもこれもお世辞抜きに美味しい。短期のバイトとして働かせていただいて、間近にふたりの働きっぷりを目の当たりにし、「そりゃ美味しいわ!」と納得してしまった。

愛情を込めて料理を作り、笑顔とぬくもりを提供する。そんなありがちなことでも忙しくなると難しくなる。けれどそこに手を抜かないマスター達にとってこの仕事は天職といえるだろう。

私には到底できない。諦めなければできるようになるのかな…。
だとしても、残り一週間なのだから、焦らず目の前のことを一生懸命やろう。うん。

お雑煮をかきこんで、反省会終了。神崎さんが注文していた赤みそのお雑煮だ。人が食べてるものって美味しそうに見えちゃうから、「お雑煮食べませんか?」と天使の囁きが聞こえてすぐに「赤で!」と答えてしまった。

あ、そういえば神崎さん、もう帰っちゃったかな。使った器を返して客席を覗きに行けば、神崎さんはレジの前で新マスターとお話していたらしく、奥から出てきた私に気付いた。


「あ、名前」
「名前さんちょうどいいところに!今呼びに行こうと思ってたんです」


桃色の晴れ着姿の新マスターがふわっと笑みを浮かべる。一方、いつも通りの神崎さんはジトッとした目で見てきた。なんだろう…とっても裏へ戻りたい気分…!

そういうわけにもいかず、レジへ向かえば新マスターはキッチンへ戻っていき、神崎さんと二人になる。


「いつまでココにいんの?」
「今週まで、ですね」
「そのカッコは?」
「今日と明日だけのトクベツです。明日は別の振袖を着るみたいですけど」


自分の格好を見下ろせば橙色のきれいな晴れ着。新マスターに着せていただいたものだ。
張り切った新マスターが色はこれだ柄はこれだ帯はこれだ、なんて嬉々としながら見立ててくださったので朝から大変だった。なぜあれほど何着も用意されていたのかはわからないけれど、せっかくのお正月だからということで二日間だけ着ることとなった。

着る機会のない伝統衣装に少しウキウキ、少しソワソワする。

そんな私の頭から爪先まで神崎さんにじっくりと眺められ、一瞬で緊張が走る。そして一言。


「それもイイけど、やっぱ紫でしょ」


いや、なんで紫…? そんな大人っぽい色、とても似合う気がしない。
不思議そうにしていれば、神崎さんは淡々と続ける。


「絶対紫。紫がイイ。百歩譲って青だ。最悪の場合でも黄色だ」
「……はい?」
「千歩譲ってグレーと水色…いや、やっぱり紫がイイと俺は思うね」
「全然譲ってないし結局紫なの? 明日は赤がいいかなって新マスターさんと話し、」
「赤はゼッタイにダメ!!」


えっなに!? なんでそこで怒った!? 勢いに圧倒されてわけもわからず「ハイ」と答えれば、満足げに「よし!」と仁王立ちする神崎さん。


「な、なんで赤はダメ?」
「…………。いいじゃん、そんなこと」
「“そんなこと”なら赤でもいいんじゃ、」
「ダーーーメ!ノーレッド!イエスパープル!」


なんだそれは。

理由も話さず紫がいい、紫にしろ!だなんて駄々をこねる姿は子供のよう。まぁ紫がいいって言うなら紫でも私は構わないんだけど、選んでくれるのは新マスターだから本人に聞いてみないとわからないっていうか……。
彼の望む返事はここでは出せない。うーん、と思い悩んでいると「名前、」ととても小さな声で、今にも消えてしまいそうな声で、名前を呼ばれる。目の前の彼から発せられたものとはとても思えずぎょっとする。


「え、か、神崎さんどどどうしたんですか」
「名前、紫はイヤ?」
「全然。嫌じゃないですよ」
「じゃあ着てよ。俺の色。俺のために。明日も来るからさ」


綴るような声と、子犬のような目で見上げられて、もうどうしようもなかった。ずるい。とてもずるい。
冷静に考えれば神崎さんの罠だとわかるのに、ぎょっと驚いた私は冷静になれていなかった。
心細い子供に見えたのだ。……あの神崎さんが、だ。
ダメ押しとばかりに手を控えめに握られて、もうダメだった。降参。


「わかりました、お願いしてみます…!」
「やった!」


ぱあっと顔色を明るくさせて、既に繋がれていた手はぎゅうっと握られてしまった。こうかはばつぐんである。

「明日絶対来るから!」と宣言し、珍しくニコニコして帰っていった。後ろ姿を見ていて、なんだかとても、騙されたような気分になったんだけど、これでいいよね? いいんだよね? 

あの小僧のテクニックを見せつけられた感じもするけど、明日も来てくれるなら結果オーライだよね?


……ね?





**********





翌日、出勤した私を待ち受けていたのはいつも通りマスターと、やけにニコニコした新マスターで。不思議に思いながらも挨拶すれば、その可愛らしい笑顔から可愛らしい声が返ってきた。

―――ただし、その手に“紫”色の晴れ着を持って。


「名前さん、この金色の柄が入ったものなんてどうですか? 透さんの髪みたいで気に入ってもらえるのではないかと!」
「……っど、どこから話聞いてたんですかーー!?」


それから一時間後、ノリノリな新マスターの手によって髪まで神崎さんを意識したもの(前髪の分け方がまさに神崎さん)に変えられてしまい、約束した本人が来るまでドキドキして待つはめになる。いろんな意味で。

神崎さんはどんな反応をしてくれるんだろう。
そんな考えが頭から離れないまま、お正月真っ只中である今日も変わらず開店した。


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