一瞬が永遠にさえ思える。
未だ、感覚が戻らない。
信じられない。
そんな凡庸な言葉が浮かんでは消えていく。

彼は今、『私の力を認める』と言った。
……『私を信用する』と言った。


どうして。

溢れかけた言葉は、堪えきれず叫んだものと同じ。
だけど、付随するものは全く違った。
ぽっかりと空いた穴に温かなものが、色んなものが流れ込んでくる。

どうすればいいのだろう。
これは、どう処理すればいいのか。
さっぱり分からない。



ふ、と白竜は張り詰めていた息を吐くと、少し頬の筋肉を緩めた。
「お前の言いたいことは……分かる。以前の俺なら今のお前のことをそれこそもはや利用価値がないと切り捨てていた。お前が課せられてきたものや過ごしてきた場所は……恐らく今までの俺と似ているんだろうな」

似ている?
私と貴方が?
有り得るはずがない、と咄嗟に思考が逸る。
白竜は一瞬だけ、発声を躊躇うように呼吸を揺らした。


「俺もずっと……強くなくてはならないと思っていた。それでなくては意味がないと」


彼は何かを手繰るように、眉間に皺を寄せる。
尖った茨か、或いは薄く柔い花弁にでも触れるように。
言の葉が零れる。


「……価値がないと思っていた」


喉の奥に蟠る重み。
この重量を、彼も知っているというの?
彼の内側に沈むものを私などには量れるはずもない。己の抱えているものの正体さえ掴めない私には、到底。

「だが、今の俺は違う」

はきとした声が響く。
先の言葉を否定したそれには何の疑念も、おそれもない。
「それに、雷門は力がないからといって仲間を切り捨てるようなチームではないからな。そのうち嫌でも分かる」
彼は少し口許を綻ばせて、頬の緊張を解いてみせた。紅い目が穏やかに細められる。
ーー憂いや雑念の全てをはね除け、例え困難の中でも『己』を確立させる。
それは三国志時代の試合でも目にした、紛れもない白竜の強さだ。
だがそんな彼もまた、己の存在価値を問うていたというのならば一体。
何がどうやって……貴方を変えたのだろう。



(……眩しい)

不意にそう思った。
視界が僅かに、いびつに歪む。眼輪筋が収縮するのを、どこか俯瞰的に感じていた。
紅葉の朱色に引き立てられる彼の白色ひかり。それはより一層鮮やかで、美しくてーー目が眩む。
光とは常に、語らずとも己の在り方を周囲に示すものなのだと知る。
彼の積み重ねてきた軌跡。
記録ではなく体験伴った記憶。
多くの繋がりに研磨された感性。
生命力の体現、或いはーー生の実感。

喉のひりつく感覚は、『あの時』の乾きに似ていた。
満たされたようだった、そのように感じていたはずの胸が再び空虚に疼く。
耳鳴りにも似た、胸の鼓動。


「私には」

この感情の名をなんという?



「望みもない。貴方や雷門のチームメンバーたちのように個としての目標もない」

「煩雑な感情ものは思考を妨げる。私的な希望ものは行動を阻害する。統率性のない思想ものは判断を鈍らせる」


ーー私には、何もない。
彼と私は違う。結論が頭を圧迫する。
整然と調整された型に己を埋める。
私の手には何もあってはいけない。
だから認めてはいけないのだ。
不要なものは必要ない・・・・・・・・・・のだ。
それが唯一の存在意義だから。


だから、だから。








「ーー私は、機械のようなものだ」
「違う!!」





怒号にはっと目をむいた。
白竜の眼光に射抜かれて、思わず体が震える。
逃げ出したい。
だが反射的に後ずさった私の腕を白竜は素早く掴んだ。追い立てるように私との距離を詰める。
逃がさない。
食い付いてくる彼の瞳が、まざまざと私に意思をぶつけてくる。

「確かに俺はお前をまるで機械のように動いて、闘心も無い奴なのかと思っていた! だが今は違う!」
「っ、とう……しん……?」
「ああそうだ!」

ビリビリと体が痺れる。体を叩き付ける暴風のように加減はない。遠慮もない。
怖い、でも、痛がろうと、喚こうと、嵐は全てを飲み込んでゆく。


「お前は俺と勝負をしたときに、お前は俺を『越えたかった』と言った! 義務ではない、お前はお前の意思で、足を挫いたのも構わずにボールを取ろうとしただろう!」

「機械は俺に『勝とう』としても、俺に『勝ちたい』とは思わない!」









「お前は人間だ!」







雷鳴の如く。



嵐は枯れた大地に雨を呼び、暗雲を一筋の光をもって割り裂いた。

白い、稲妻を見た。




……………言葉が、出ない。
言葉が詰まって、何も。

胸が、張り裂けそうで。
零れ出してしまいそうで。
どうしようもなくて。

ただ、




ーー罅割れる、音がする。





「なっ……!? おっ、おい……!」

一筋、頬に温かいものが伝っていた。






「っ…………ぅ…………」
「リファ……!」


俯いた視界の端に白い指が映る。
それは少し宙をさ迷って、それから控えめに私の目尻へと触れた。
止めどなく流れる液体が指を濡らしていく。
どうすれば、嗚呼、止め方が、止め方が分からない。

身を丸めて、私はただ涙を流している。
行き場を探して惑う手が、胸を強く押さえている。
からだの中に大輪の華が咲いたみたいなのだ。
胸が篤い花香と色彩でいっぱいになって。
突然、震えが止まらないのだ。
この体だけではない、体の奥の、芯のところが震えている。それを認識するだけで、何故か、涙が止まらない。
全身が声を上げて、泣かずに居られないのだと叫んで、けれどそれは、ひどく穏やかな衝動で。


剥がれ落ちる音がする。
罅割れて、剥がれ落ちて、私は『自分』が壊されていく音を聞いた。
決壊した己の下から、真新しい素肌が剥き出しになってゆく。
溢れる豊かな感覚はとうに許容量を越え、混乱の最中。
でも、けれど。
この結果は、私が予想していたものとは、全く違う……だって、木立を揺らすように、秋風がこんなにも優しく肌を撫ぜゆくなんて知らなかった。
胸に溢れ返る、まっしろな息吹を……この温かいものを、私は知らなかった……。


「白、りゅ……う……っ……なぜ、わたし……きず、もっ……ない……のに……」
「う……嬉し涙…….というやつでは、ないのか……?」
「うれし……なみだ……?」


見上げた白竜は今まで観測した事がないほどの角度まで秀眉を下げていた。

これが……『嬉しい』という感情?
虚無感とは違う、体が浮ぶような軽ろやかさに包まれるような。
優しい陽光のなかで、さらさらと清々しい風が胸の中に溶けてゆくようなこれが。
とくん、とくん。
心臓が鼓動を唄っている。
命の証を奏でている。


ーー嗚呼、ならば私は。
ーーずっと。ずっと怖かった。痛かった……苦しかった。


嬉しいときにも涙は出るものなのだと……ようやく知ったーー



「っ……わたしっ……あのとき、あなたに、かてなかった……」
「……それがなんだ」
「けど」
「関係ないだろう。あの時にこそお前はお前の真価を俺に見せた。共に闘う、『仲間』としての力を」
「……な、かま……?」
「ああ……お前はもう雷門の一員だ。俺だけじゃない、天馬や水鳥さんたちも……みんなも、もうそう思っている」

錆び付かせた瞼に電気信号が走った。
遥か水底に埋葬した『私』が、今もう一度、目を開こうとしている。

ずっと、ずっと思っていた。
雷門に来てチームに迎えられたその時から、自分は他人とは違うのだと自覚したその時から、生まれ落ちたその時から、ずっと。




「わたしは……ここにいても……いい……?」

「ーーああ。居ろ」


白竜の親指が、私の下瞼をぐっと拭う。
そしてそのまま薄く、目尻を撫ぜた。こんな触れ方をされるのは、初めてだった。


「お前がここに居たいと思うならそう願って、望めばいい」

「だから自分で『自分』を捨てるような真似は止めろ。リファ・シフル。それこそ無価値な行為だ」


鳶色の瞳は、褪せた私の景色に輝く数少ない色彩。
晦冥に差し込む一筋の光。または烈々と身を貫く閃光。
白竜はいつも、私の目を真正面から見据えてくれるのが、それがーー『嬉しい』。




「わ、たし……は。わたしは……」







「私、は、ここに……居たい……」


許された。
ーー赦されたんだ。



「……居ろ」
「ここに、居たい……」
「居ろ」
「い……た、い……」
「居ろ」

「お前は俺達とここに居るんだ、リファ」



体の奥底から、号哭が湧き上がった。
声を上げて泣いた事など今まで記憶にないというのに。それ以外のことを忘れてしまったかのように一心不乱に泣くことしか出来ない。
体を撫でる熱はひどく温かい。
この熱に直に触れられることが、今はどうしようもなく、嬉しくて、仕方がなかった。


(19.5.14)


[ 35/53 ]



 
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -