私の手を引いて先導する彼の手を見ていた。
私と白竜の、繋がれた手を。
意識の輪郭は曖昧だった。彼が手を取っていてくれなければ、たちまちに形を失ってしまいそうな程。
けれど、だからと言って。
私には流れてくる彼の熱に身を任せることも、とても恐ろしくて出来ない。
それはしてはいけない。
出来るはずもない。
漠然と頭に過る言葉には絶対的な強制力があった。
ぼんやりとした視界に自分の頼りない呼吸の音が重なっている。
ただキリキリと痛む心臓だけが、この期に及んでどうしようもなく明瞭で。
それは否が応でも『私の存在』を知らしめてくる。
痛いほど。痛いほど。
ーーその痛みの行き場など、何処にも無いというのに。


「少しは落ち着いたか?」
声音は不思議と、普段よりいくつか穏やかな気がした。
白竜がこちらへ顔を向ける。
町から離れた場所にある静かな川縁に私達はしばらく佇んでいた。
今の私は時間感覚が定かではない。数秒か、数分か、それ以上かーーどの程度時間が経過したのだろう。
ただ分かっているのはその間、白竜は私に視線をやったり背中を擦る程度で、会話はなかったということだ。
「……ええ」
一先ず、彼の問いに応答する。
確かに先程のような極度の混乱状態からは解放された。
だが身体機能に関して言えば、総てに靄(もや)がかかったようで、反応が鈍い。

「突然居なくなるな……探したぞ」
白竜は静かに言った。
ズキリ、と心臓が痛む。

「何故」

吐き出した。
溢れたインクのように、頭の中を音もなく警笛が真っ赤に染める。
これ以上抱えていることは出来ない。
これ以上継続していくことは出来ない。
最早制御が利かない。
全身がそれを訴えている。

だけど、私は何処にも行けない。

「今の私には、貴方に探される……それほどの価値は無い」

事実。
現実。
紛うこと無き真実。

己の言葉さえも鋭利なナイフと化し。突き立てられた刃物は鈍く、重く体を引き裂いていく。
痛みに侵された体は重量を失ってただ現実に漂流している。
息が出来ないなら。何処にも行けないなら。
もう止めてしまえばいいのか。
埋没するように緩やかに、いっそ、まわる思考の息の根を止めて仕舞いたかった。

「…………」

白竜が押し黙る。その空白を、じっと耐える。
廃棄処分だと、一息に告げられるのをただ待った。
話があるということは、刻限が来たということに他ならないから。
ーー罅割れる、音がする。


「……まず、俺がお前に謝らなければならないな……」
言葉の意味を咄嗟に理解出来なかった。
は、と視線を上げると、正面切って彼の紅い目と目が合う。
彼は私の正面へと移動してきていた。
確かな光を宿した瞳は真っ直ぐに私の目を捉える。
そしてーー瞼の下へ。前髪の下へと消えた。

思わず目を見開く。
束ねられた彼の髪が、重力に従い肩から滑り落ちた。

「……すまなかった」

ーー白竜は私に、深く頭を下げた。




呼吸を忘れた瞬間、度し難い激情が頭へ駆け上った。
ーー耐え難い。御し難い。抑え難い。抗い難い。

胸を貫かれたかのような激痛、その傷から止めどなく噴き上がる熱い濁流。
体のなかをかき混ぜられるような不快感。

これは何。これは何? これは何!
凶暴で、汚濁で、粗雑で、剥き出しで!
とめどなく、途方もなく、どうしようもない!

これは何、熱くて寒くて柔くて惨くて固い痛い酷い違う痛い痛い違う、違う、違う、停止する、加速するーーーー!!


「ッどうして!!」

弾け飛び、弾き出した。
空を割る絶叫。
息が切れる。

こんなにも、己について不自由だと、知らなかった。
こんな大声を上げたのはいつ振りか、もしくはあったのか。
胸が抉られてぽっかりと穴が空いたよう。
じわりじわりと広がっていくのは激痛と空虚感。それが複合したものの正体を、私は知らない。
目頭が熱くなってくる。喉の奥を引き絞る。
けれど、それ以上の言葉が声にならなかった。
今にも溢れだしそうなのに。
わたしは。

ーーわたしはあなたにそんなことをさせたかったんじゃない。


白竜がやがて、頭を上げる。
彼の表情はとても沈着なものだった。
恐慌状態の私に対して一歩も引く気はないーーそんな凜然とした面持ち。
むしろこの時を待ちわびていたというような、歓待さえも感じさせる。
そんな彼に私は体を震わせた。
その反応が恐怖からか、困惑からか、それさえ判別がつかない。
ただ彼の紅い目はいつも真っ直ぐで、強くて、変わらない。


「俺はお前の力を猿真似だと言った」

ふらふらと話の焦点を探る。
……彼が言っているのは私が雷門に協力を求められた、その前のやりとりだ。
彼は私の『複製』を見て、確かにそう言った。
『私を否定し、認めない』と。

「だが」
止まっていた呼吸に白竜の言葉が重なる。

「お前とサッカーをしているうちに……それがお前の軸に結び付いているひとつの能力、あるいは体の一部のようなものだということが分かった。そして『複製』を可能にしているのはお前の鍛練と調整……努力があるからこそだ」
白竜が一瞬だけ、目を伏せる。
唇が微かにつぐまれた。
「……三国志へタイムジャンプした時に、思い知った」

こちらへ視線を戻した白竜は、声を少し落として続ける。
「……お前の能力は、他人の力を掠めとるものだとそう思っていた。俺は、まるで自分の力を奪われるようで、疎ましく……きっと……恐ろしく、思っていた」

じり、と焦げ付くような痛みには覚えがある。
馴染みのある感覚だ。
それが今まで『痛み』であるとは……きっと認めていなかった。たった今になってそう呼んだのだと、思う。
けれどずっとーー昔から、いつからか、その痛みは私の中に在り続けた。
だって、知っている。

私の能力(ちから)は、疎まれる力だ。



「だが違う」

ーーえ?

指先が、ぴくりと跳ねた。
口から滑り落ちた声は音に成らず……ただ呆然と空気に溶けていった。

ーー彼は、今何と?


白竜は毅然と眉を吊り上げる。
依然、彼の目を見つめていることが恐ろしい。
なのに、目を逸らすことが出来ない。
たった今、彼の目がーー私だけを映して逃そうとしないから。

「孔明の園での試合の時、お前はお前の力を俺を活かす為に使った。お前は俺を活かした。だから」

不思議と周囲の音が、途絶えていた。
聞こえるのは、彼の、白竜の、言葉だけで。
彼の唇がはっきりと、言葉を形どっていく。


「俺は、お前を信用することにした」


総ての感覚が奪い去られたみたいだった。
ただ、恐怖はない。不安もない。息苦しさもない。
ただ総ての輪郭の枷を外して、あるべきものがあるべきところに戻ったような。
魂が原初の海に還ったような。


「俺は俺で、お前はお前だ。お前を否定したこれは……俺の弱さだった」

そこに刻まれてゆくのは、彼の瞳。
彼の声。彼の唇。彼の鼻筋。彼の髪、頬、首、腕、脚、姿……白い光。
真正面から私を見据える、鮮烈な意思の力。

「だから、謝罪する。そして撤回もする。俺はお前の力を認めよう」



(19.3.22)


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